「あの日から30年」 震災で両親亡くした書家、アートに託した願い

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2025年01月11日 08:16  毎日新聞

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立体アート「あの日から30年」を作成した野原神川さん=2025年1月8日午前11時39分、堀雅充撮影

 阪神大震災で両親を亡くした神戸市東灘区の書家、野原神川(しんせん)=本名・久美子=さん(69)が「あの日から30年」をテーマにしたアート作品を完成させ、地元で展示している。1年前に利き手が震える体調不良に見舞われながらも、制作をあきらめなかった、その思いとは。


 30年前の1月17日、同区の実家や斜め向かいにあった妹宅が倒壊。近所で1人暮らしをしていた野原さんは無事だったが、両親と妹の夫が亡くなった。建物の下敷きになった影響で右足に障害を負った妹と奇跡的に助かった妹の子ども2人が残された。翌年に実家跡地に住宅を再建。1階でお好み焼き屋をしたり、会社勤めをしたりして家計を支えた。


 妹の長女が成人式を迎えた震災7年後、やっと日常会話で両親のことを話せるようになった。「なるべく振り返らず、前だけを見て、必死で生きてきたから」。


 震災10年を前に、部屋に飾っていた両親の笑顔の写真が、苦しい時の自分を助けてくれたことに気付いた。犠牲者の笑顔や人柄がしのばれる品々などの写真を組み合わせたパネルの制作を思い立ち、話を聞いた地元自治会が肉親を亡くした人たちに協力を呼びかけた。25人分の展示が実現し、地域の交流につながった。「思い出に励まされながら、明日に向かって一緒に歩んでいきたい」。当時の取材にそうほほえんだ。


 以降も1月には震災をテーマにした作品展を開催。2011年の東日本大震災後には、大きな被害を受けた宮城県石巻市や名取市閖上で子どもたちと書のイベントを開くなどの活動に取り組んだ。


 「友人たちに支えてもらった恩を別の人に返すことで絆(きずな)が生まれると信じている」。阪神大震災20年の節目に開いた作品展には、交流で知り合った人たちが「20年後の東北」をイメージしたいと神戸まで来てくれた。


 震災30年の節目に向けては、ろうそくに見立てたラップの芯に犠牲者の名前を刻んだ立体アートを作りたいと約4年前から構想。名前については遺族の許可を取る作業が現実的ではないため断念したが、書道教室の生徒らが集めてくれた数百もの芯を生かす策を考え続けた。


 しかし、震災29年の直前に体調が悪くなり、主宰していた書道教室も休まざるを得なくなった。それでも、能登半島地震被災地への寄付を目的にしたチャリティー展の作品づくりなどを手がけるうちに創作意欲がよみがえってきた。生徒や知人らの手も借りながら試行錯誤を繰り返し、自身初の立体作品を完成させた。


 震災30年に伝えたかったメッセージは「防災の大切さ」。阪神大震災を知らない人たちが増えたことへの危機感が胸にあった。タイトルからあえて「阪神・淡路」の文字を外し、「あの日って何?」という子どもたちの質問に答えることで経験を伝えていきたい、との思いを込めた。


 作品の「日」は神戸のポートタワーと分かる形にした。「3」の文字には、わざと大きさや長さが異なる芯を重ね、でこぼこに見えるように配置。これまでに出会った人々のさまざまな人生模様を表現した。「0」は対照的に、ゆるぎない形である三重の正円にすることで人々の安寧への願いを託した。


 作品は15日までは同区本山中町4の「本山コンテナヤード」、16日〜2月28日は同区本山中町2の「ばく工房」で展示。問い合わせは野原さん(090・5978・2011)。【堀雅充】



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