アパートの下敷きになった2組の母子…硬直して開いた目「うまく閉じてあげられなかった」、阪神・淡路で救助担った大学生の記憶

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2025年01月14日 07:00  まいどなニュース

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阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸市灘区桜ケ丘町。神戸大学アメリカンフットボール部の部員たちが救助に奔走しました(提供写真)

30年間、割り切れない思いを胸に閉まってきた。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。神戸大学アメリカン・フットボール部の部員たちは救助活動に奔走した。ある部員は暗闇が怖くなり、就寝時にテレビを消せなくなった。多くの遺体を目の当たりにしたためだろうか。「潜在的に忘れようとしたのか、記憶が曖昧なんです」と話すメンバーもいる。

【写真】アメフト部員の脳裏に刻まれた2組の母子。2階建てアパートに生き埋めになっていました

あちこちからSOSを求める声

アメフト部員が向かったのは、神戸市灘区桜ケ丘町だ。ここに、築50年超の2階建てアパート「大日荘」があった。4畳半一間で、トイレ共同・風呂なし。家賃月は1万数千円。余裕のない下宿生にとってはありがたく、5人の部員が住んでいた。

1月17日は3年生27人を主軸とする新チームの始動が予定されていた。部員たちは連日作戦会議をして、16日は久しぶりの休み。大日荘の学生の多くが実家に帰省する中、3年の小笠原秀治さん(55)は2階にいた。

早朝、突き上げるような揺れで目を覚ました小笠原さんが外に出ると、1階がひしゃげて2階が1階の状態だった。ガスの臭いが漂い、警報機が鳴る。1階で暮らす大家さん夫妻が生き埋めになり、数人で助け出した。

当時は携帯電話もない。大日荘の学生を心配して、10人ほどの下宿生が原付バイクで駆け付けた。チーム名の「RAVENS」と書かれたスタジアムジャンパーを着た部員たちに、「ここにも人が埋まっている」「助けて」とあちこちからSOSが寄せられた。

後の統計で、神戸市灘区の住家被害は全壊1万2757棟、半壊5675棟。死者934人、負傷者1112人だった。神戸大では44人の学生が亡くなった。愛媛出身で大日荘にいた2年の男子学生も、その一人。学生新聞「神戸大学ニュースネット」に伯父は語っている。「変わり果てたわが子の亡きがらにすがり、涙する母の影はあまりにも残酷な形での対面でありました」

「死んでいると思うけど、娘を先に出して」

午前7時ごろ、いち早く大日荘に駆けつけたのは、後に副キャプテンになる3年の西知巳さん(52)。脳裏には、全壊したアパートにいた2組の母子が刻まれている。

一組は20代くらいの女性とその母親だった。西さんはオレンジ色の原付きヘルメットをかぶり、隙間を見つけ堀って奥へ進んだ。女性の反応があり、助け出そうとすると、拒まれた。「隣で寝ていた娘が冷たくなっている。先に出してあげて」と。

母の思いに添って娘を助け出し、全壊した近所の家から借りたドアを担架代わりにして、六甲病院に運んだ。「見た目は傷もないし、血も出ていないのに亡くなっているなんて…」。硬直して開いた目を閉じてあげようとしたが、うまくできなかった。

もう一組は、えんじ色のパジャマを着た女の子とその母親。7時間、生き埋めだった女の子は、中学生か高校生くらいだった。後にキャプテンになる3年・早田裕さん(53)がおんぶして病院に運び、西さんは「隣にお母さんが寝ていたから出して」と言葉を託された。願いは叶わず、外に出した母親の息がなく、布団をかけられた。顔を確認した父親らしき男性が崩れ落ちた。

地震のニュースのたびに頭をよぎった。「あの女の子、どうしているのかな」

   ◇

記者が元アメフト部員から震災当日の話を聞いたのは2023年12月。過去の住宅地図を調べ、近所の人にも話を聞き、7時間生き埋めになった女の子と、その父親に接触できました。女の子にどんな時間が流れたのか、連載でお伝えします。

(まいどなニュース・山脇 未菜美)

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  • 都市部の被災で1番怖いのは家屋の倒壊による圧死、火災だと思う。しかも火事は規模が大きくなると消火が難しい。明日は我が身。対策は一度は考えるべきだと思う。
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