「まず選手に伝えたのはリーグ優勝しようということ。もちろん簡単ではないし、いい時も悪い時もある。それでも自分たちから崩れることなく、支えてくれる人たちも含めて全員で目標に向かっていけば、必ずたどり着くと信じています」
1月12日に行われた2025シーズンの鹿島アントラーズ新体制発表会。26年ぶりに古巣復帰を果たした鬼木達新監督は高らかにこう宣言した。
2016年のJ1制覇以来、8シーズンも国内タイトル無冠というのは、常勝軍団にはあってはならないこと。だからこそ、川崎フロンターレで7冠を獲得した名将を招聘し、チーム再建を託したのだ。
この新体制に先駆けて、同日午前中に行われたトップ対ユースの30分×3本のトレーニングマッチ。セレッソ大阪から獲得した昨季21得点の新戦力FWレオ・セアラとエースの鈴木優磨が2トップを形成するなど、新チームの輪郭が見えつつある中、見る者の目を引いたのが、1、2本目で左サイドアタッカーのポジションに陣取った松村優太だった。
「『まずは張ったポジションから』というのは監督から言われていました。最初の方は少しサイドバックと距離感が遠かったかなと感じました。1本目が終わった時に鬼木さんと距離感や前の選手の入れ替えのことを話して、2本目の15分までプレーしましたけど、1本目より2本目の方がサイドバックやディフェンス陣との関係性がよくなった。そういうトライ&エラーを繰り返しながらやっていければいいと思います」
本人は鹿島では経験の少ない左サイドでのプレーに意欲を示していた。鬼木監督の中では彼を川崎F時代のマルシーニョのように使いたいのかもしれない。
実際、今季の鹿島には松村以上のドリブラーは見当たらない。彼にとっては絶好のチャンスと言える。
高校サッカー選手権を制した静岡学園の背番号10という金看板を引っ提げ、プロ入りしてから今季で6年目。正直言って、ここまでのキャリアは紆余曲折の連続だった。
特に厳しかったのが、ランコ・ポポヴィッチ監督体制でスタートした2024年だろう。今季は鹿島を引っ張っていくという自覚を持って新シーズンに挑んだが、初日から構想外のような扱いを受け、本人も戸惑いを隠せなかった。
夏にはパリオリンピックもあり、彼自身もそれをターゲットにしていたから、パフォーマンスを落とさないように懸命に自主練をこなしていた。だが、状況は変わらず、結果的にオリンピック代表から落選。それを機に、松村は東京ヴェルディへのレンタル移籍を決断するに至った。
「松村優太としては鹿島を出たくなかったですけど、1選手としては出るべきだと考えました。悩みました…。もちろん初めてだし、いろいろな人の話も聞きながら。ここ(東京V)だけではなく、いろいろなチームもありましたしね。そういう中で決めたのは、城福(浩)監督と話した中で、一番成長できると思ったから。それが決め手です」と本人も神妙な面持ちで語っていた。
その東京Vでも最初の3試合はスタメンで使われたが、右ウイングバックの競争は熾烈で、最終的に宮原和也にポジションを奪われる格好になり、スーパーサブという位置づけから脱しきれなかった。
「鹿島でやっていたシステムとは違いましたし、ウイングバックやシャドーなどいろいろなポジションも経験しました。同年代や年下の選手も多く、いろいろな刺激を受けた半年間でした。ヴェルディは全員が自分たちに目を向けて切磋琢磨していた。『這い上がっていくんだ』という意欲をすごく感じました」
そのメンタリティは常勝軍団だった鹿島には少し足りない部分だったのかもしれない。けれども近年無冠という現実は確かにある。ここは今一度、マインドを切り替え、上へ、上へ、のし上がっていくという闘争心を前面に押し出すことが重要。松村はその急先鋒になれるはずだ。
鬼木監督は選手たちを様々なポジションでテストする意向を示しているため、彼が左サイドに固定されるとは限らない。ただ、本当に“マルシーニョ化”を求められるならば、もっとゴールに直結する仕事が必要だ。プロ6年間を振り返っても、松村のゴール数はまだ通算5点。2024年はまさかのノーゴールに終わった。ゆえに、2025年は得点力と推進力の両方を追い求めていくべき。それが真のブレイクにつながる絶対条件と言っていい。
「自分が今季帰ってきた意味は、まだタイトルを取れていないチームにタイトルを取らせること。自分が躍動する姿を僕は諦めていません。優勝に貢献して、最後、その輪の中にいること。それを目指したいと思っています」と語ったように、今度こそ、目の前のチャンスをつかまなければいけない。
鬼木・鹿島のキーマンの一挙手一投足から目が離せない。
取材・文=元川悦子