2022年7月8日、奈良市で銃撃され絶命した安倍晋三元首相。殺人などの罪で起訴された山上徹也被告は、犯行動機として世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)に対する恨みをあげた。この衝撃的な事件を契機として、世間は宗教2世たちの苦しみを知ることとなった。
現在は主婦として平穏な家庭を持つ田中浩子さん(仮名・40代)は、「まったく他人事とは思えない。自分の性格上、誰かを殺すことはないけれど、自死を考えたことなら数え切れない」と振り返る。彼女が調べた限りでは、旧統一教会信者だった父親の献金総額は1億円を優に超えている。宗教に翻弄され続けた2世としての半生に耳を傾けた。
◆父と祖母が入信したきっかけは…
田中さんは大阪府に生まれた。一般に知られるように人情豊かな街で、ご近所との交流も盛んだったという。だが心温まる行き交いが地獄への入口だった。
「もともと父方の家系に病気の人も多く、早く亡くなる人も多かったんです。それを心配した近所のおばさんが、『ここに行けば元気になるから』と教えてくれたんだそうです。それをきっかけに、父と祖母は入信しました。ちょうど、私が産まれる前後のころだったと聞いています」
◆「自分の家は貧しい」と思っていた
田中さんの父親は地元で不動産業を営んでいた。いわゆる辣腕で、事業の調子は上向き。本来ならば金銭的に困ることはなかったはずだった。
「自分の家は貧しいと思って生きてきました。“長屋のぼっとん便所”なんてよく言いますが、本当に我が家はそれでしたから。もちろん、父の顧客に貸すアパートやマンションのほうがずっと立派でした。両親ともに入信していたので、旧統一教会に関連する会合などで忙しく、放置されることもしばしばありました。近所の人がおにぎりをくれたりしたので何とか餓死せずに済みましたが、幼稚園くらいからは自分でお米を炊いてお漬物と一緒に食べたりもしていましたね。風呂にも滅多に入らず、汚らしい子どもだったのだろうなと思います」
◆癌が見つかった父が「旧統一教会の本部」に行くも…
いわゆるネグレクト状態の弊害は、こんなところにも及んだ。
「5〜6歳くらいのころ、教会の空き地のようなスペースで遊んでいたら、顔見知りで信者の男性から『遊びに行こう』と声をかけられました。そして車に乗せられて、身体を執拗に触られるなどの性的ないたずらに遭ったのです。恐怖で身体が硬直したままの私は何時間も連れ回され、夜になって自宅付近で降ろされました。帰宅すると、両親が烈火のごとく怒っていたのを今でも覚えています。統一教会の教義に男女交際に関する厳しい決め事がありますが、この出来事と重なってその後長く男性不信になりました」
身内の健康状態に対する不安感から入信した田中さんの父親だったが、次第に自身の身体も蝕まれていく。
「入信から10年くらいが過ぎたとき、父に癌が見つかりました。通常は治療をすると思うのですが、旧統一教会から『病院に行かなくても、清平(チョンピョン、旧統一教会の本部があり聖地とされる場所)に行けば治る』と言われ、言われるがままに行動していました。旧統一教会の信者が集まって修行を行う修練会という場所がありますが、それと同様に儀式を行えば治ると信じていたように思います。当然治るはずもなく、父は私が小学校6年生のときに亡くなりました」
冒頭でも触れた通り、献金総額は1億超。いまだに自宅には旧統一教会から買ったものが残っているという。
「最も高額だったのは多宝塔ですね。6600万円したはずです。ほかにも、仏を模したような像なども購入していました」
◆中学卒業後、ヤングケアラーに
田中さんが実態を知ったのは、父親の死の直後ではなく、それからしばらく経過してのことだ。
「父の死後、祖母に介護が必要になり、私の10代はケアに費やすことになりました。今でいうヤングケアラーです。中学を卒業してからは高校に進学せず、自宅で介護をやっていました。当時はどこにも逃げ場がない閉塞感があり、本当につらい時間でした。ひたすら来る日も来る日も祖母のおしめを替えて、気がおかしくなりそうだったんです」
だが、田中さんは18歳のときに介護職に就いた。この選択は意外にも思える。
「学歴がないから選択肢がなかったという事情もあります。しかし、祖母の介護中にヘルパーさんに入ってもらった経験が、介護職をやろうというモチベーションになりました。あのとき、ヘルパーさんが来てくれることによって自分の時間を作ることができて、リフレッシュできたのが救いでした。かつての私のように介護をする側の人たちが少しでも楽になるならと思っています」
◆結婚を機に住んでいた家を飛び出す
現在、田中さんは地元を離れている。その理由もやはり旧統一教会が関係しているという。
「親族には信者もいますし、地元にいると顔見知りの信者が家まで訪ねてきて『なぜ献金しないんだ』と迫ってくるのが怖くて、母と一緒に誰にも言わずひっそりと家を出ました。夜逃げ同然でした。ちょうど私の結婚も決まっていましたし、父が残した借金の整理もついた区切りでもありました」
男性不信だった田中さんは、自らのトラウマと向き合うなかで徐々に他人とのコミュニケーションを行えるようになっていったという。
「先ほどお話ししたように、信者の男性から車のなかで性的いたずらを受けたことで私は男性が怖くなりました。統一教会の教義に染まって抜け出ることができない部分もあり、男性と話すのさえ恐怖を感じる時間が長く続きました。祖母の介護で打ちのめされているときには、医師から複雑性PTSDの診断が下るなど、心身ともに疲弊していて社会復帰など到底できる状態ではなかったと思います。
しかし、30代のころ、『このままでは私の人生は旧統一教会に飲み込まれてしまうのではないか』と思い、親しくしてくれる男性とはなるべく関われるようにしようと思ったんです。とは言え、最初は教義の通り『地獄に堕ちるのではないか』と考えてしまう場面もありました。本来は喜びとなるはずの触れ合いも、罪悪感があったことも事実です。しかし本当に少しずつ、現在の夫が解きほぐしてくれたおかげで心地よさを知ることができました」
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どれほど社会の規範や価値観とかけ離れた教えでも、それが絶対的尺度になれば俯瞰の視野をもつことは不可能に近い。強い洗脳によって心を支配され、高額献金の末に力尽きた父親。そして家族は同等以上の苦しみを味わい、なお後遺症に悩んだ。
田中さんは何度も「山上被告が他人と思えない」と呟いた。耐え難い苦痛を伴いながら、田中さんは呪詛に縛られずに自らの人生を切り開いた。それでも、救われなかった自らの半身が山上被告に重なる。国をあげてあらゆる救済の策が検討されているとはいえ、今なお彷徨う宗教2世は多い。彼らは記憶のなかで何度も慟哭する。信じる者ははたして、救われたか。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki