野球殿堂入りを果たした岩瀬仁紀 吉見一起が語る鉄腕クローザーの素顔「誰よりも準備し、誰よりも緊張していた」

0

2025年01月17日 17:01  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

 元中日の絶対的守護神・岩瀬仁紀氏が野球殿堂入りを果たした。「通算407セーブ」「1002試合登板」など、驚異的な記録を残し続けた岩瀬氏。プロ野球史に残る「鉄腕クローザー」は、どのようにして圧倒的な存在となったのか。チームメイトだった吉見一起が明かす、その素顔と哲学とは?

【落合監督から絶大な信頼】

── 吉見さんが入団する前年の2005年、10歳上の岩瀬さんは、セ・リーグ記録の46セーブを挙げ、守護神としての地位を築いていました。当時の印象は?

吉見 セーブという記録がつくのはプロ野球だけなので、社会人野球から入ってきた当初は正直な話、「セ・リーグ記録の46セーブ」のすごさにピンときませんでした。ただ、セーブがつく場面でいつも送り出され、落合博満監督の「岩瀬で負けたら仕方ない」という発言からしても、常人にできる役割ではないなと感じていました。

── 2007年の日本ハムとの日本シリーズでは、山井大介投手との「継投・完全試合」もありました。

吉見 山井さんの右手の指の皮がむけたなど細かな真相は別にして、やはり最後をまかされたのは「岩瀬さんあってこそのチーム」だったことを象徴していた出来事だったと思います。しかも期待どおり3人で抑えて、「継投・完全試合」達成と同時に、チームを日本一に導くのですから、すごい投手です。あれ以上の緊張はなかなかないと思います。

── 岩瀬さんというと"死神の鎌"の異名を取った右打者への内角のスライダー、左打者へのシュートが武器でした。

吉見 岩瀬さんは、ふつうに投げたストレートが少しスライダーの変化をする「まっスラ」に加え、鋭く大きく曲がるスライダーを持っていました。打者からすると、かなり打ちにくかったと思います。谷繁(元信)さんが捕手として受けた"球種別ベスト3"で、左投手のスライダー、シュートは間違いなく岩瀬さんが一番だそうです。

── 岩瀬さん自身は「1球目にファウルになる球で、いかにストライクを先行させるかだ」と語っていました。

吉見 先発投手も抑え投手も1球の失投で負けることはありますが、先発は7回2失点ぐらいでまとめれば「最低限の仕事をした」との評価を得られますが、抑えの場合はその失投がチームの敗戦に直結してしまいます。それだけに「初球ファウルでストライクを取る」ことに注力したのではないでしょうか。初球にストライクを取ることによって、(ストライク)ゾーンで勝負し、自分のペースでピッチングできる。実際、やるのは簡単ではないのですが、岩瀬さんは淡々とそのピッチングをやっていました。

── ひとくちに「通算407セーブ」「1002試合登板」がすごいと言われますが、具体的に岩瀬さんのどこがすごいと思いますか。

吉見 抑えの場合、走者を出すと、まず相手の"足のスペシャリスト"が出てきます。そのあたりは、先発の僕たちにはわからないプレッシャーです。そんななかで「9年連続30セーブ」「15年連続50試合登板」など、これだけの成績を継続したのはふつうでは考えられません。「1002試合登板」なんて、まるで打者と見間違うような数字です。

【さりげなく野球を教えてくれる】

── 岩瀬投手の調整法で、印象に残っていることはありますか。

吉見 自分の出番が来るまで、誰よりも準備し、誰よりも緊張している姿を目の当たりにしました。試合展開を見ながら、スイッチを入れるタイミング、登板が近づくと近寄りがたい雰囲気がありました。緊張しているのは伝わってくるのですが、マウンドに上がると淡々と打者を抑える。岩瀬さんは打者との対戦を「ああだった」「こうだった」と理路整然と言語化して、説明してくれる人でした。打者の様子をしっかり観察し、それが抑える技術につながっているのだと、感じされられました。

── 岩瀬さんからアドバイスを受けたことはありましたか。

吉見 僕は投球中、喜怒哀楽など感情の起伏が表に出てしまうタイプでした。初めて最多勝のタイトルを獲得した2009年、巨人とのクライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージの第3戦。2対0でリードしていた6回裏、僕はアレックス・ラミレスと亀井善行さんに連続ソロアーチを浴びて同点に追いつかれたんです。悔しさのあまりマウンドの土を蹴り、思わず膝に手をつきました。

 結局、僕はその回で降板し、試合にも敗れたのですが、岩瀬さんはこう諭してくれました。「(川上)憲伸のように気迫を前面に押し出して投げる投手は、感情をあらわにしてもいい。しかし、吉見のようなタイプは打たれても抑えても、冷静に淡々と投げられるようになりなさい」と。重い言葉でしたね。それ以降、マウンドで感情を出さず、闘志は胸に秘めて投げるようにしました。そのアドバイスがあったからこそ、5年連続2ケタ勝利という結果につながったのだと思います。

── 1歳下の川上憲伸さんから「(あだ名)マンちゃん」と呼ばれて親しまれキャラでしたが、いざマウンドに登ると「守護神」に変身するギャップが、岩瀬さんの魅力でした。

吉見 僕は恐れ多くて......川上さんだからこそいじれるのでしょう(笑)。ただ、岩瀬さんはお酒が飲めないのですが、遠征などに出ると、毎回違う選手を食事に誘い、おいしいものをご馳走してくれ、野球も教えてくれました。偉大すぎるゆえに、ともすれば距離をあけてしまうところ、気軽に誘ってくれる気遣いがありがたかったです。

── 最後に、岩瀬さんに祝福の言葉をお願いします。

吉見 「通算407セーブ」「1002試合登板」という前人未到の大偉業を成し遂げられました。中日をはじめ、プロ野球界の後輩たちに、岩瀬さんの"野球の引き出し"を分け伝えて上げてください。野球殿堂入り、心よりおめでとうございます。


吉見一起(よしみ・かずき)/1984年9月19日、京都府生まれ。金光大阪高3年時に春の甲子園に出場。卒業後はトヨタ自動車に進み、2005年ドラフト1位(希望枠)で中日に入団。08年に10勝を挙げると、翌年は16勝で最多勝に輝いた。11年には18勝、防御率1.65で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。08年から5年連続2ケタ勝利を挙げるなど、中日のエースとして黄金期を支えた。20年に現役を引退。引退後は解説者、トヨタ自動車硬式野球部のテクニカルアドバイザーとして活躍。23年に侍ジャパンの投手コーチに就任した

    ニュース設定