GIは14回挑戦して未勝利に終わったものの、平成初期に絶大な人気を集めた1頭がホワイトストーンである。そんな芦毛の名脇役が最後の勝利を手にした93年のAJCCを振り返る。
現役時代に「白い稲妻」の異名をとったシービークロス。70年代後半から80年代前半にかけて、末脚を武器に活躍。重賞を3勝した記録にも記憶にも残る名馬である。その代表産駒であり、GIを3勝したタマモクロスが引退した翌年、入れ替わるようにデビューしたのがホワイトストーンだった。
名前の通り、父譲りの芦毛。夏の札幌でデビューし、2戦目となった秋の東京で初勝利を挙げる。すると続く朝日杯3歳Sでも5着に健闘。しかし、その後は善戦マンのイメージが定着することとなる。4歳春(※馬齢は旧表記を使用)は京成杯2着、弥生賞3着、皐月賞8着、NHK杯3着、ダービー3着。秋初戦のセントライト記念で重賞初制覇を果たしたものの、菊花賞はメジロマックイーンの2着。古馬との戦いに転じて以降もジャパンCが4着、有馬記念が3着だから、先輩のタマモクロスとは対照的に、大一番ではワンパンチ足りないレースが続いた。
そんな「惜敗キャラ」だからこそ、ファンの人気を集めることとなるが、明け5歳初戦となった大阪杯で重賞2勝目を挙げたのを最後に、成績は徐々に下降線をたどる。しかし、最後の勝利から1年10カ月が経った7歳初戦のAJCC、突如の復活を果たす。前年の有馬記念2着のレガシーワールドが、単勝オッズ1.4倍の1番人気。2番人気はシャコーグレイド、3番人気はレオダーバン。ホワイトストーンは12.5倍の6番人気に甘んじていた。しかし、ここで低評価に反発するかのような走りを見せるのだ。
他に逃げたい馬がいないとみるや、1コーナーでハナへ。これが柴田政人騎手の好判断だった。生涯唯一の逃げとなったが、リズム良く淡々としたラップを刻むと、最後まで脚色が衰えることなく、2着のレガシーワールドに2馬身半差の完勝。小雪が降る中山競馬場は祝福の大きな拍手に包まれたのだった。
この勝利で力を使い果たしたのか、その後は7戦して未勝利に終わった。それでも冬の中山で見せた雄姿は、多くのファンの記憶に残り続けているに違いない。