今のMLBに「イチロー」はいない−−偉大なリードオフマンの殿堂入りに思う個性が消えゆくMLBの傾向とその背景

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2025年01月21日 19:10  webスポルティーバ

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前編:イチローの殿堂入りに思うMLB野球の変貌

日本の野球殿堂入りに続き、1月21日(日本時間22日)に発表される2025年度のアメリカ野球殿堂入りが有力視されているイチロー氏。2001年に太平洋を渡り、1年目から独自のスタイルで10年連続200安打以上などMLB史に名を刻む存在に昇華した。

しかし、現在のMLBでイチロー氏のようなスタイルの選手は、ほぼいない。いても高い評価を受けていない。その背景にあるMLB野球の変貌はどのように起こったのか。あらためてイチローという名の野球選手の価値を思い返しながら、振り返る。

【イチローの出現がMLBに与えた影響】

 2010年、イチローはオールスター選出、200安打以上、打率3割台、そしてゴールドグラブ賞を10年連続で達成するという偉業を成し遂げた。その年に、サンフランシスコでアメリカを代表するTVドキュメンタリー作家ケン・バーンズをインタビューする機会があった。

 当時57歳のバーンズ氏は、1990年の『南北戦争(The Civil War)』、1994年の18.5時間に及ぶ大作『ベースボール』の代表作で知られる人物で、特に『ベースボール』はエミー賞を受賞している。エミー賞は、映画のアカデミー賞や音楽のグラミー賞と並ぶ、米国テレビ業界で最も権威ある賞だ。バーンズ氏はその年、『ベースボール』の続編となる『10th イニング』を発表。本塁打王バリー・ボンズを物語の中心に据えつつ、イチローにも大きなスポットを当てている。

 その彼に、なぜイチローを取り上げたのかと質問すると、次のように説明してくれた。

「この15年間を象徴する出来事として主に取り上げているのがステロイドスキャンダルだが、カウンターポイント(対立する意見や対比)としてイチローが最適だと思ったからだ。多くの選手が筋肉を大きくしパワーをつけようと躍起になっていた時代に、イチローが現れ、パワーではなく、技術やスピード、フレキシブルな身体の動きで、野球のプレーの仕方をあらためて教えてくれた。そんな時代だったからこそ、イチローのプレーは希少価値があるし、きちんと取り上げたいと考えたんだ」

 イチローは、何から何まで独特だった。

 打席に立つと、バットをまるでたいまつのように掲げ、ユニフォームの袖を整えながら、一連の流れるような動作からバットで大きな円を描く。その瞬間、テレビカメラは彼の顔にズームインする。

 ストレッチもまた、ユニークだった。

 胴体をひねり、膝を曲げ、足首をつかむ。太ももの筋肉を伸ばし、腰を折り曲げて背中を伸ばす――常に体を動かし、決して静止することはなかった。

「実は先日、ミネアポリスでイチローと再会して、試合に向けて準備する様子を見学することができた。ストレッチをし、走り、バットを振り、守備につく。一つひとつのルーティンをこなしながら、集中力を高めていく。戦いに臨む、内なる世界を垣間見れてとても幸せだった」と満面に笑みを浮かべた。

 日本人であるイチローが10年連続で200安打を達成した。この偉業は、いまだアメリカ人選手も成し遂げていないものだ。この事実をアメリカ人はどう受け止めるのか――そう尋ねると、彼はこう語った。

「ジャッキー・ロビンソンのことを思い出してほしい。かつてMLBは黒人選手を締め出していたが、彼の挑戦によって、当時の野球界に何が欠けていたのかが明らかになった。アグレッシブなプレースタイル、スピード、パワー――彼はファンを熱狂させた。そして、その門戸が開かれたことで、ウィリー・メイズやハンク・アーロンのような偉大な黒人選手たちが続き、野球は以前よりもはるかに魅力的なスポーツになった。

 私がこのドキュメンタリーで伝えたいのは、野球界には常に弾力性があり、逆境を乗り越える底力があるということだ。この15年間も、ストライキでワールドシリーズがキャンセルされたり、ステロイド問題など多くの困難があった。しかし、イチローのような選手が加わり、さらにラテン系のスター選手たちも増えたことで、野球界全体は確実によくなっている」

 MLBの国際化について、彼はこう語った。

「すばらしいことだと思う。野球はすべてのスポーツのなかで最高のゲームだ。理解を深めれば深めるほど、その奥深さが見えてくる。世界中からより多くの優れた選手が集まるようになれば、それは野球だけでなく、アメリカという国にとっても大きなプラスになる」

 バーンズの意見は特別なものではなかった。当時、多くの米国の野球メディアやファンも、イチローの存在を非常に高く評価していた。

【MLBで「イチロー」型の価値が薄れた理由】

 しかしあれから15年が経ち、現在のMLBではイチローのような選手の姿がほとんど見られなくなっている。俊足で高い打率を誇り、出塁後は果敢に次の塁を狙い、クリーンアップに得点圏でのチャンスを演出する真のリードオフヒッター――そんな役割を担う選手は、近年、急激に減少している。

 この傾向は、奇しくもイチローがメジャーデビューを果たした2001年前後から始まった。勝利のための最適解を追求するなかで、セイバーメトリクス(統計分析)が徐々に球団のフロントに浸透。データ重視のアプローチが戦術に大きな転換をもたらしたのである。

 その起源は1982年、当時32歳のビル・ジェームズが歴史的著作『ベースボール・アブストラクト』を発表したときまでさかのぼる。この書籍では、MLBが2リーグ制に移行してからのデータを基に分析を行なっていて、その時点まででア・リーグとナ・リーグはそれぞれ81シーズンを戦っていたが、ジェームズはそのサンプルからチーム打率とチーム得点、さらにチーム出塁率とチーム得点の相関係数を算出。その結果、出塁率のほうが得点との関連性が強いことを明らかにしたのである。

 ほかにもジェームズは、チームの勝敗を左右する要因を統計データを駆使して解明し、野球界で「常識」とされていた多くの概念を次々と覆していった。この画期的なアプローチは、野球の見方を根底から変えるものとなり、現在のセイバーメトリクス時代の礎を築いた。

 ただ、ジェームズの考えは当初、データ愛好家の間で共有されるにとどまり、MLBのフロントオフィスではほとんど採用されていなかった。この状況が一変したのが、『マネーボール』で知られるオークランド・アスレチックスの躍進だ。

 アスレチックスは限られた予算のなかで統計分析を駆使したチーム構築に挑み、2000年からの7年間で地区優勝4回、2位3回、そして5度のポストシーズン進出という見事な成果を上げた。その画期的な手法は、マイケル・ルイスが2003年に出版した著書『マネーボール』で詳しく描かれ、ベストセラーとなったことで広く知られるようになった。

 その後、より多くのチームが統計分析を積極的に採用し、やがて出塁率以上に長打率が得点との相関性が高いことが明らかになった。この発見を契機に「フライボール革命」が起き、打者たちはゴロを転がすのではなく、意図的に飛球を打ち上げるスタイルを追求するようになった。この結果、イチローのような選手、つまり高い打率を誇り単打を量産するものの長打率の低い打者は、次第に評価の対象から外れていくことになる。

 例を挙げれば、サンディエゴ・パドレスのルイス・アラエスだ。2022年から2024年、3年連続首位打者に輝き、2年連続200安打をマークしたが、長打率はその間.420(ア・リーグ40位)、.469(ナ・リーグ23位)、.392(ナ・リーグ57位)である。三振が少なく確実にバットに当てる能力を持ちながらも、戦力としての評価が必ずしも高くないことは、ミネソタ・ツインズ、フロリダ・マーリンズ、パドレスと3年連続でチームを渡り歩いた経歴からも明らかだ。さらに現時点でもトレードの噂が絶えない状況である。

【統計分析が見落としがちな魅力の源泉】

 球団は打者の評価基準として打球速度と打球角度を重視するようになり、打線全体が1番から9番までホームランを狙うスタイルへと変化した。この現状についてイチローは最近の国内テレビのインタビューで「今のメジャーの野球は見ていてストレスがたまる。退屈な野球。打順でのそれぞれの役割のようなものがまったくない」と批判していた。

「さらにデータでがんじがらめにされて、感性が消えていくのが現代の野球。以前は頭のよくない選手は野球に向いてないって言われたけど、今はそうじゃなくなってきている。残念ではあるけど、実際にそうなってしまっている」と続けた。

 筆者は2010年の時点で前出のドキュメンタリー作家、バーンズ氏にセイバーメトリクスについても質問していた。当時、アスレチックスに加え、タンパベイ・レイズ、ボストン・レッドソックス、クリーブランド・インディアンズ(現ガーディアンズ)、セントルイス・カージナルスなども統計分析を駆使して成功を収めていたが、バーンズ氏はその流れに否定的な立場を取っていた。

「私は、どうかな、と思っている。セイバーメトリクスの人は、例えば、データを検証してみると、クラッチヒッターなるものは存在しないと断言する。だが、私のようにボストンに住み、チャンスに強いデビッド・オルティーズの打撃を見てきた者は、現に存在するではないかと反論したくなる。

 私は数字を越えるようなプレーを見せる選手が好きだ。1+1が2ではなく、3にできるようなプレーヤー。イチローはまさにそういう存在だと思う」

 セイバーメトリクスは、試合に勝つための最適解を提供し、球界を変革した。しかし、プロ野球は単なる競技ではなく、エンターテイメントでもある。ファンがゲームを見て、どこに面白さを感じ、どこでワクワクするのか――その魅力の源泉を、統計分析は見落としている。

つづく

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