後編:イチローの殿堂入りに思うMLB野球の変貌
日本の野球殿堂入りに続き、1月21日(日本時間22日)に発表される2025年度のアメリカ野球殿堂入りが有力視されているイチロー氏。2001年に太平洋を渡り、1年目からトッププレーヤーとしての地位を確立したそのスタイルは、現在のMLBには見られない野球の多様性の象徴にも見える。
MLB史上最強とうたわれたリードオフマンの証言、また、イチローが更新したシーズン最多安打の前記録保持者の家族への接し方を踏まえ、MLB史におけるイチローの価値をあらためて考える。
【歴代盗塁王ヘンダーソンの野球観とイチローへの敬意】
昨年末の12月20日、リッキー・ヘンダーソンが65歳で永眠した。主に1980〜90年代のオークランド・アスレチックスで活躍した彼は通算1406盗塁と2295得点というふたつのMLB記録を保持し、メジャーリーグ史上最高のリードオフマンとしてその名を刻んでいる。敵としても味方としても故人を知るトニー・ラルーサ元監督は「同点や1点差の場面で、最も危険な選手だった。爆発的なスタートだけでなく、独特の構えでストライクを取りにくかったし(2190四球は歴代2位)、甘く入れば本塁打も打つ(通算297本)。野球IQが高く、盗塁も打撃も技術が高かった」と称えている。日米通算28シーズンのイチローに近い、25年にわたる長いキャリアで、9球団でプレー、2009年に94.8%の高い得票率で殿堂入りした。
筆者は2019年、アスレチックスが日本で開幕戦を迎える前に、当時球団社長特別補佐だったヘンダーソンにアリゾナのキャンプ地でインタビューした。チームについて尋ねると「若い、すばらしい選手がそろっているし、昨季97勝した。チームの雰囲気はとてもいい」とうれしそうに話す一方で、次のように説いていた。
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「学ぶべきは、点の取り方。昨季のうちはホームランや二塁打など長打に頼っていた。私は一番には一番、二番には二番の役割があると思う。野球の基本は大切だ。一番打者はホームランを狙うのではなく、いかに走者として塁に出るかを考えるべき。塁に出たらスピードで投手にプレッシャーをかける。二番打者は一番打者が次の塁に進むのを助け、三番、四番打者が生還させる。プレーオフを勝ち上がるには、いろんな方法で得点できないと」
ヘンダーソンも近年のMLBのプレースタイルに不満を抱いていた。「野球にはいろんなアクションがあり、得点の仕方がたくさんあるからこそ面白い。自分が今MLBでプレーしていれば、また違った野球を見せられると思うんだが」と恨めしそうだった。
驚いたのは練習中、ほかのコーチたちはただフィールドに立っているだけなのに、ヘンダーソンは頻繁にストレッチをしていたこと。「この年齢(当時60歳)でもしっかりストレッチができるというのが私には重要。野球、ソフトボール、バスケットボール、水泳など、今でもスポーツはいろいろとやっているからね」と言っていた。
それだけに彼が65歳で急逝したことは驚きだった。死因は肺炎で、副鼻腔の問題に悩まされていたという。
MLBはヘンダーソンのような選手の再出現を目指し、2023年から盗塁を狙いやすくするために牽制球の制限などルール変更を実施した。球界のご意見番として、まだ果たすべき役割があっただけにとても残念だ。
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2019年、ヘンダーソンはイチローについても語っていた。
「偉大な打者で塁に出る方法を知っており、塁に出たらスピードを生かしてゲームの流れを変えられる。今のMLBは得点の仕方がホームランに偏っているが、イチローは私と同じで何でもできるし、正しい野球をプレーできる」と称賛した。さらに日本の野球について「大好き」と言い、続けて敬意をこめてその理由を説明した。
「アメリカのほかの選手も日本に行って驚くけど、私がアメリカでもこうであってほしいと思う野球をしている。野球では常に状況判断が重要だが、日本の選手は規律が取れていて的確な判断を下せる。よく練習してきちんとゲームについて学んでいるからだろう。日本の野球文化はいつも私をエキサイ卜させてくれる」
【1世紀前の選手を21世紀に甦らせた功績】
筆者は今回、イチローがアメリカ野球殿堂入りを果たすことで、あらためて野球における多様性の意義が再認識されることを願っている。
TVドキュメンタリー作家、ケン・バーンズは、「イチローのような選手が活躍することで、野球界にとどまらず、アメリカという国にもプラスの影響を与える」と語っていた。
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MLB公認歴史家のジョン・ソーンは、イチローが2016年にメジャーリーグで通算3000本安打を達成した際、ニューヨーク州アルバニー近郊の自宅で、「イチローの偉大さは、パワー全盛の時代にあって、まるで魔法の杖を振るような独特のスイングで、10年連続200安打という前人未到の偉業を成し遂げたことにある。加えて守備や走塁でも常に超一流だった」と才能を全面的に称賛した。
とりわけ、バーンズ氏が歴史家として評価したのは、イチローが20世紀初頭の偉大な選手たちを21世紀に甦らせた点だった。2004年、イチローは1920年にジョージ・シスラーが残したシーズン最多安打257本の記録を更新。この過程でシスラーの名前が再び注目され、さらにはタイ・カッブ(通算4189安打、通算打率.366、殿堂入り第一号選手)の功績にも光が当たった。「偉大な記録に再び光が当たり、世代を越えて選手たちの技術や偉業が語り継がれるようになった。野球の魅力の一つは、その膨大な記録を通じて世代を越えた比較が可能になることにある」と、ソーンは野球の持つ歴史的価値をあらためて強調した。
イチロー本人も、偉大な先人への敬意を示す。2004年10月1日、シアトルでのテキサス・レンジャーズ戦でシスラーの記録を塗り替えた際、シスラー家の人たちも球場に招待されていた。シスラーの長女フランシスさんは、記録を破ったイチローがスタンド最前列にいる家族のもとに歩み寄り、握手を交わした際に「父は、あなたのような人物が記録を塗り替えてくれたことをとても喜んでいるはずです。それは私が確信しています」と、心から祝福の言葉を伝えた。
イチローはその後もシスラー家との交流を大切にし、2009年、オールスターゲームでセントルイスを訪れた際、シスラーの墓を訪れ、花を供えた。さらに、2010年にフランシスさんが87歳で他界したときには、大きな白い薔薇のブーケを送り、深い哀悼の意を表した。フランシスさんの息子、ボー・ドロシェルマンさんは2019年のイチローの引退に際し、筆者にこう語った。ちなみにドロシェルマンはイチローでなく、常に「Mr.スズキ」と敬意を込めて呼んだ。
「2004年9月、Mr.スズキが祖父の記録に挑戦し、私たちが招かれたセーフコフィールドの3連戦で塗り替えた。私たち一家は記録を抜かれたことでがっかりすることはまったくなかった。もちろん私たちは記録が84年間も破られなかったことを誇りに思ってきましたが、すべての記録は破られるためにある。そしてあの機会にシスラーの名前がまた世の中に出て、多くの人が彼のキャリアについて熱く語ってくれたのがうれしかった。その上で記録を塗り替えたのがMr.スズキだったのもよかった。
私たちは彼が祖父と同じで、まず人間として紳士で、野球を正しくプレーし、野球というスポーツに大変な敬意を払ってきたと知っている。ふたりはとても似ている。そんな人物に記録を塗り替えられてよかったです」
野球は長い歴史を持っている。未来に向けて進化を続けることは必要だ。だが、優れた技術や美徳は大切にし、進化の中でも継承していかなければならない。故ヘンダーソンが語った「自分が今、MLBでプレーしていれば、また違った野球を見せられると思うんだが」との言葉を思い出し、イチローが今27歳でメジャーデビューしたらどうなるかを勝手に想像する。ゴロではなく、フライを打つようにフロントに指示されたら、彼は何と言うのだろうか。
思い出されるのは、イチローが試合前の打撃練習でいつも見せていた光景だ。ライトと右中間のフェンスをはるかに越える高く弧を描いた打球を、次々と打ち上げていった。漫画のように完璧で、ミスショットを目にすることはほとんどなかった。
現代のMLBのパワーヒッターたちは力でホームランを打つが、イチローの打撃はまさに物理学の実演のようで、テコの原理や打ち出し角度、そして力の配分が絶妙に融合し、まさに芸術の域に達していた。大技も小技も自在なイチロー。ゆえに彼のプレーは予測不可能で、ファンは一挙手一投足から目を離すことができなかった。
今、あらためてイチローがMLBの舞台で活躍する姿を見てみたいと思う。