5人で挑んだウインターカップ〜和歌山南陵バスケ部奮戦記(後編)
前編:「和歌山南陵バスケ部、前代未聞の挑戦!」はこちら>>
大会直前、主将の二宮有志はこんな実感を語っていた。
「6人だと1人はまだ休めるのでラクでしたけど、5人になると想像以上にきつかったです」
【5人→4人の非常事態】
2024年12月23日、和歌山南陵はウインターカップ初戦を迎える。対戦校は長崎工。当然ながら序盤から選手交代を繰り返す長崎工に対し、和歌山南陵は全選手がコートに立ち続ける。
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さらに、和歌山南陵にとってはエース格の二宮が本調子ではないという誤算もあった。それでも、ヘッドコーチの和中裕輔が「今までで一番よかった」と称える選手がいた。中村允飛(たろ)である。中村は、アブバカが出場時にはベンチから登場する「シックスマン」だった。
「自分のなかで『(シュートを)打てば入る』みたいな感じがありました。調子がめっちゃよくて、『もっとシュートを打ちたい』と思っていましたね」
さらに酒井珀が両チーム最多となる19本のリバウンドを抑えるなど、大奮闘。和歌山南陵は序盤から長崎工に食らいついた。
第4クオーターには大きな見せ場もあった。43対52と9点を追うなかで、不振の二宮が3ポイントシュートを沈めて6点差に。その後8点差とされるも、絶好調の中村が2連続3ポイントを決め、52対54。残り時間7分41秒という段階で、東京体育館のボルテージは最高潮に達した。
ところが、和歌山南陵はそこから1分と経たずにどん底へと叩き落される。序盤からファウル数がかさんでいた紺野翔太が5個目のファウルを犯し、退場になったのだ。
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紺野は言う。
「『うわぁ〜、最悪や』と思いました。監督から『絶対にファウルだけはするなよ』と言われていましたし、5人なので絶対にしたらいけないと思っていたんですけど......」
紺野は高校1年時に極度のホームシックに悩み、じつに3回にわたって脱走を試みた選手だった。約半年もバスケ部の練習に参加できずにいたが、その後は貴重な戦力として活躍。2024年6月の近畿大会では3ポイントシュートを続々と決め、京都の名門・洛南を破る金星に貢献している。
ベンチに下がった紺野は、「勝ったら次の試合に出られるから頼む!」とコートで戦う仲間たちを激励した。しかし、ウインターカップは4人対5人で戦えるほど甘くはなかった。残り4秒の段階で、スコアは61対80。絶望的な点差が広がっていた。
【ヘッドコーチは今年度で退任】
それでも、和歌山南陵の選手のなかで、下を向く者はひとりもいなかった。主将の二宮は言う。
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「4人になって、『もう無理』と棄権する選択肢もあったんですけど、応援してくださった方々のためにも最後まで戦わないといけないと思いました。みんなで『まだまだいける!』と声をかけ合っていました」
すると、残り4秒となった最終盤に見せ場が訪れる。
酒井が相手のパスをスティールしてシュート、リングを外れたボールに中村がリバウンドしてチップアウト、そのボールを拾った二宮が藤山凌成にパス。試合終了のブザーが鳴り響くなか、藤山が放った3ポイントシュートは高い弧を描いてリングに吸い込まれた。
試合は64対80と完敗だったが、藤山はこの光景が忘れられないという。
「僕としては、最後のプレーで全員がボールに触ることができて、退場した紺野の分も含めて全員の思いが乗ったシュートやったと思います。あれを決められてよかった。負けはしたんですけど、やりきって、いい終わり方ができたなと思います」
試合後、ヘッドコーチの和中は選手たちの健闘を称えた。
「望んだ結果ではなかったですけど、1年間弱音を吐かずによくここまでついてきてくれました。この子らがいなければ、僕の存在も成り立ちません。『1年間楽しかったよ、ありがとう』と伝えたいです」
再建が進む和歌山南陵だが、バスケ部は和中が今年度限りで退任するため、新たな組織づくりが進められることになる。
これから和歌山南陵がどんな学校になっていってほしいか。酒井に尋ねると、晴れやかな笑顔でこんな答えが返ってきた。
「環境はすぐに変わるものじゃないと思うんですけど、新入生にはここでしか味わえないものを見つけて全力で楽しんでほしいです。僕も南陵に入って、近所の山や川を散歩したり、夜には人生で初めて流れ星を見たりして楽しんでいました。
最初は6人で試合に行くことが恥ずかしくて、周りからは『かわいそう』と言われることもありました。でも、クラウドファンディングで支援してくださる方々のおかげで心も安定して、応援のコメントを読んでモチベーションも上がりました。自分たちは本当に幸せ者だと思います。後輩たちも南陵でしか味わえないものを楽しみながら、新たな学校をつくり上げていってほしいです」
たった5人で全国大会を戦った和歌山南陵バスケ部。そのDNAは今後どのような形で残されていくのか。廃校寸前だった学校は蘇るのか。課題は山積みだが、ウインターカップの奮闘ぶりは多くのスポーツファンの脳裏に刻まれたはずだ。