日本サッカーを見続けて35年 ゲルト・エンゲルスが「対戦してやりづらかった」プレーヤー5人は誰?

0

2025年01月22日 10:01  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

ゲルト・エンゲルスが語る(前編)
「対戦してやりづらかったプレーヤー5人」

 日本人選手が当たり前に、欧州5大リーグで活躍するようになった。

 日本代表として定着しているメンバーを見ても、海外組がほとんど。5大リーグのなかでもトップクラブ、チャンピオンズリーグでも優勝争いを狙えるクラブで常時活躍する日本人選手が出現しないことを歯がゆく思うほどに、見る側の期待値も上がっている。

 だが、ワールドカップに臨む日本代表において海外組が過半数を占めるようになったのは、2014年のブラジル大会以降のこと。それ以前は、国内組を主体に日本代表も戦っていたのだ。海外移籍が当たり前でなかった時代の日本人トップ選手に、今のように海外移籍のチャンスがあったらどうなっているだろうかと、空想することもある。

 今回、1990年代から現在まで35年も日本サッカー界に関わってきたゲルト・エンゲルス氏に話を聞いた。

 ゲルト氏と日本の縁は深い。1990年に来日し、Jリーグ元年の1993年に横浜フリューゲルスのコーチを務め、のちに監督に昇格したが、横浜マリノスとの合併、クラブの消滅を監督として経験した。1999年からはジェフユナイテッド市原の監督、2000年からはヘッドコーチとして京都パープルサンガに入り、のちに監督としてJ2優勝、天皇杯優勝も果たした。

 2004年からは同じドイツ人のギド・ブッフバルト、ホルガー・オジェックのアシスタントとして浦和レッズのヘッドコーチを務め、2008年からは監督も務めた。2010年代にはモザンビーク代表監督、ヴィッセル神戸のヘッドコーチ、京都サンガのコーチ、INACレオネッサの監督を務めた。

 近年のゲルト氏は、自身が生まれ育ったドイツ・デューレンを拠点に日本人のサッカー留学支援や発掘など、日本との関わりを生かした活動を行なっている。そして2025年、徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任し、再びJリーグの舞台に帰ってくることになった。

 ゲルト氏には今回、日本での監督・コーチ時代を振り返ってもらい、当時やりづらかった選手5人をピックアップしてもらった(取材は2024年10月・ドイツにて)。

   ※   ※   ※   ※   ※

【ガンバ大阪から2名をチョイス】

── やりづらかった選手といっても、クオリティが高かったり、プレーに粘りがあったりと、いろんなパターンがあります。ゲルトさんがまず、思い浮かべた選手は誰ですか?

「僕がジェフ市原の監督や京都パープルサンガのヘッドコーチをしていた時代(1999年〜2000年)だから、かなり昔の選手になってしまうけど、Jリーグで一番やりにくかったと感じていたのは、なんといっても三都主アレサンドロ(当時の登録名はアレックス)ですね」

── 三都主選手はどんなプレーヤーでしたか?

「清水エスパルス時代のアレックスは怖かった。本当にイヤな選手でしたよ。スピードがあったし、テクニックもあったし、決定力もあったし、どのチームも彼のプレーを意識していましたね。

 面白い動きをするので、いいアイデアが思い浮かんだら急に一発で試合を変えてしまう選手でしたね。いつもなにか面白いことをするというだけでなく、一度失敗してもまた同じことをチャレンジしてくる。そういう意味では、やりづらいながらも好きでしたね」

── 次に思い出す選手は?

「ガンバ大阪の宇佐美貴史も、すごくやりにくい選手でしたね。日本人としては珍しく、やりづらいウインガーでした。イヤなウイングって、当時はなかなか日本にいなかったんですよ」

── 宇佐美選手の印象は?

「でも、宇佐美はピッチで休んでいることも多かったね。そのあたりを改善すれば、もっとトップレベルでできるはず。ひとつのプレーで試合をガラッと変えられる選手だけど、彼がピッチで休んでいる間、味方がサポートしないといけなかったから。今はがんばるようになったかな」

── 3人目は誰でしょうか。

「ガンバ大阪の選手でもうひとり思い出すのは、遠藤保仁です。ヤットは高校卒業後に入ってきた横浜フリューゲルスで一緒でした。でも、クラブがなくなっちゃって......。ただその後、2000年に京都パープルサンガの監督に就任した時も一緒だった」

【ジュビロ黄金期を支えたボランチ】

── 遠藤選手をルーキー時代から見ていたのですね。

「遠藤はね、過去のドイツの選手で例えるなら、レアル・マドリードなどで活躍したトニ・クロース(2024年引退)です。マークをしても、何をしても、なかなか捕まえられない。

 攻撃でも顔の出し方が上手で、マンツーマンをしたところで、うまく抑えることはできない。遠藤を抑える方法がなかなか見つからなかったので、彼から直接ボールを取るのではなく、彼が出すパスの受け手を抑えることが一番いいパターンなんだと思いました」

── 遠藤選手の攻略法ですか。

「でも、遠藤はその先の先まで見えているんですよね。受け手がプレッシャーを受けて難しくならないように、その選手が次に生きる、仕事のできるパスを出すんです。それは優しさとも言えるかもしれません。

 たとえばウォーミングアップで、受け手が次にパスする相手を言ってから出すゲームをやると、遠藤のパスのクオリティはほかの選手と全然違っていましたね。ヤットがいた時代のガンバが強かったのは当然です。崩すことができなかった」

── 興味深い話です。

「そして4人目は、これまで挙げた選手とちょっとタイプが違います。ジュビロ磐田時代の福西崇史です。6番(ボランチ)でバランスに専念する、ストッパーに近いタイプでしたね。今はああいう選手は減っちゃったかも」

── 福西選手もやりづらかったですか。

「彼のプレーは『汚い』と言ったら語弊があるかもしれないけど、ピッチでは激しい選手でした。日本人には少ないタイプでしたね。あの頃のジュビロは藤田俊哉がいて、中山雅史がいて、服部年宏がいて、最後まで戦う選手がそろっていた。だから強かった。でも、やっぱり福西が中盤にいるのが相手チームとしては一番イヤでしたね」

── 福西選手がボランチにいると、実にやっかいだったでしょうね。

「イビチャ・オシムさんが『水を運ぶ人』って言っていたけど、ドイツ語にもそういう表現があって、まさにピッタリだなと思います。今のドイツ代表だと、バイエルンのレオン・ゴレツカが似ています。ポジションは下がり目だけど、前に行く雰囲気も見せつつ、中央にドンと構えている。対戦相手としてはこの中盤をどう攻略するか、頭を悩ませるポイントですね」

【中山雅史みたいなタイプのFW】

── そして最後の5人目は誰でしょう。

「最後に取り上げたいのは、男子ではありません。浦和レッズレディースの菅澤優衣香です。対戦していて、彼女のプレーは苦手でしたね。

 僕が2020年にINAC神戸レオネッサの監督をやっていた時、けっこう菅澤にやられているんですよ。フィジカルが強くて、ゴール方向に向かう動き出しも手強かったな」

── ストライカーとしての能力が高いのですね。

「そして彼女はゴールを取る能力だけでなく、チームのために献身的にずっとがんばって動き回るんです。プレースタイルで例えるなら、中山雅史みたいなタイプ。日本人の女子では数少ない、実に力強いストライカーでした」

(つづく)

◆ゲルト・エンゲルス後編>>「ドイツに連れて行きたかった」5人


【profile】
ゲルト・エンゲルス
1957年4月26日生まれ、ドイツ出身。1975年からサッカー選手としてプレーし、1990年に水戸ホーリーホックの前身アセノ・スポーツクラブに選手兼コーチとして来日。その後、日本で指導者の道を歩みはじめる。滝川第二高→横浜フリューゲルス→ジェフユナイテッド市原→京都パープルサンガ→浦和レッズ→モザンビーク代表→ヴィッセル神戸→INAC神戸レオネッサ→相生学院高→AIE国際高を経て、2025年に徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任する。現役時代のポジションはMF。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定