ゲルト・エンゲルスが語る(後編)
「ドイツに連れて行きたかったJリーガー5人」
◆ゲルト・エンゲルス前編>>「対戦してやりづらかった」5人
1990年に来日し、指導者という立場から日本サッカーを見続けてきたゲルト・エンゲルス氏。日本に対しての造詣が深く、さまざまなコネクションを持っているゆえ、ドイツ・ブンデスリーガのクラブからリストアップを頼まれたりするという。
ただ、才能のある選手をクラブに提案することもあるが、移籍と選手の育成については確固たる信念がある。海外移籍に関しては、慎重に、丁寧に、ケースバイケースで見ていく必要があると強調する。
「今は若い選手の海外移籍も多くなりましたよね。ただ一番大事なのは、代理人やスーパーバイザーがひとりずつ、ちゃんと見ること。『この選手だから、このチームがいい。こういうキャリアがいい』という判断をしっかり行なってあげることです。
|
|
金銭面やネームバリューでチームを決めてしまうのは、特に若い選手の場合は論外。試合に出る可能性がどの程度あるのか、ちゃんと調べることが必要です。そのためには、事前にきちんと監督と話をしないといけない。どんなプランや戦術があるのかも確認するべきです」
選手サイドに立つ代理人には、選手との密なコミュニケーションや理解は必要不可欠。それと同じように、選手を獲得したあとのクラブにも若手を落ち着いて見てほしい、という願いがゲルト氏にはある。
「チームは選手を信頼することです。若い選手はすぐに結果を出せないけど、少しずつ使っていかなくてはいけないですよね。たとえば今季のチェイス・アンリ(シュツットガルト)も、少しずつチャンスを与えられてスタメンを勝ち取った。そういう時間が必要なんです。
チームは選手を見つけ出すことだけが仕事ではなくて、ちゃんと使っていかなくてはいけません。だから日本人選手も、必ず海外に行かなくてはいけないわけではありません。試合に出られるところを探すのが第一だと、私は思いますけどね」
海外移籍に関して一家言のあるゲルト氏に、「ドイツに連れて行きたかった選手」を聞いてみた。彼がピックアップした5人の選手とは──。(取材は2024年10月・ドイツにて)
|
|
※ ※ ※ ※ ※
【ポテンシャルはケタ違い。練習していれば...】
── 各クラブの指導者として、または対戦相手の監督・ヘッドコーチとして、ゲルトさんは数多くのJリーガーを見てきました。そのなかで「才能を感じたので、海外でプレーさせたい」と思った選手を教えてもらえますか?
「海外でプレーしていたら、どうなっていたかな......っていつも思うのは、やっぱり横浜フリューゲルス時代の三浦淳宏ね。その昔にチャンスがあったのなら、絶対に連れていきました。
彼のポテンシャルはケタ違いです。右も左もできて、ウイングもサイドバックもできて、スピード、パワー、テクニック......どれも申し分なかった。そして、頭の回転もよかったですね。絶対にヨーロッパで活躍できた選手です」
── それほど抜きん出た存在でしたか。
|
|
勝負の勘どころもすごくよくて、プレーも華やかで、まさに非の打ちどころがない選手。僕はフリューゲルス時代に一緒にやっていて、サッカーに対する考え方も近くて好きだった。
ただ、残念なことに彼は、練習がそれほど好きな選手ではなかった(笑)。才能があるんだから、もっと練習しないといけなかったですよね。高校時代(国見高)までに練習をしすぎて、イヤになっちゃったのかもしれない」
── ふたり目は誰でしょうか。
「ふたり目は、結果的に彼はドイツに行ったんですけど、浦和レッズで一緒だった長谷部誠ですね。直接、僕がドイツに連れて行きたかった。とても性格はいいし、人間性も完璧に近い選手。
僕はいろんな選手のことを考える時、長谷部を基準に考えています。彼は最初から真面目な選手でした。体のケアも大事にしていましたね。
浦和時代はボランチもできましたけど、もう少し前のほうでプレーが活きる選手でした。2005年の天皇杯は、彼のおかげでタイトルを獲れたようなものです(準決勝の大宮アルディージャ戦で2ゴール)。パスを出すだけじゃなくて、自分で持ち上がることもできて。現役の最後はリベロもやっていましたが、それもソツなくこなしていましたね」
【どの監督にも愛される選手だった】
── 長谷部さんとはドイツで会うこともありますか。
「今でも連絡を取り合うことがあります。彼は今、指導者を目指していますが、必ずプロ監督のライセンスを取るでしょう。とはいえ、現役を終えてすぐ指導者に転身するとは思っていなかったのでビックリしました。もう少し休んだり、別のことをするかなと思っていましたから。
でも考えてみれば、シャビ・アロンソ(レバークーゼン)が42歳でブンデスリーガを制するなど、欧州サッカーの世界では監督も若返っています。そういう流れもあるので、長谷部(現在40歳)がすぐに指導者になるのも理解できます」
── 続いて3人目は誰でしょうか。
「パク・チソン(朴智星)も取り上げなくてはいけません。僕が京都パープルサンガでヘッドコーチをしていた2000年、韓国の大学でプレーしていた彼の映像を見て、クラブに『獲得しましょう』と言いました。とても思い出深い選手です。
彼のよさは、その若さに反してプレーが落ち着いていた点でした。それは初めて見た映像でも、目立っていて、ほとんどミスがなく、粘りのあるタイプでありながらクオリティも高かった」
── ヘッドコーチとしても、彼の存在は重宝したのでしょうね。
「ボックスに入っていく感覚がよくて、なおかつスピードもあったから、相手からPKを取ることも多かったです。オフェンシブにもディフェンシブにも戦えたし、パフォーマンスのよくない試合もほとんどなかった。だから、どの監督にも愛される選手だったと思います。
アレックス・ファーガソン時代の強かったマンチェスター・ユナイテッドで活躍し、ソン・フンミン(孫興民)が出てくるまで、間違いなくプレミアリーグのアジア人ナンバーワン選手でしょう。最初に京都で会った時、そこまでの活躍を想像できたかと言われたら......(笑)。もちろん、すごい選手になる確信はありましたよ」
【Jリーグ創成期を代表するボランチ】
── 現役選手で「ドイツに連れて行きたかったプレーヤー」はいますか。
「4人目に挙げたいのが、まさに現役選手です。すでにドイツにいるんですけど、鹿島アントラーズでプレーしていた佐野海舟です。
粘りのある安定したプレースタイルは、まさに僕が好きなタイプ。前からすごくいい選手と思っていて、ドイツの代理人を連れてJリーグの試合を見に行ったこともあるんですよ。ドイツではまだみんな彼のことを知らなかったけど、その代理人はいい選手で面白いと言っていました」
── 佐野選手の移籍に関与したのですか。
「いえ、その後にいろんな流れがあって、2023年夏や2024年1月に移籍する可能性もあったんだけど、結局は僕が関わる話はなくなり、別のルートでマインツに入りました。でも、彼がドイツに行ったら、すぐにポジションを取ると思っていましたよ。
中盤での守備がブンデスリーガで通用することは、すでにわかっていました。あとはボールの展開力やボックスに入っていくところに、まだ改善の余地があると思います。それも伸び代なので、楽しみですね。日本代表で同じポジションには遠藤航や守田英正がいるので、そう簡単にはポジションを取れないと思いますけど、期待している選手のひとりです」
── 5人目の選手を教えていただけますか。
「最後はね、山口素弘を挙げたいと思います。彼は怒鳴ってチームメイトを鼓舞するタイプじゃなくて、黙々とプレーしながら背中で見せていく選手でした。
フリューゲルス時代、サンパイオとの中盤のバランスはとてもよかった。山口とのダブルボランチは、なかなかのレベルだったと思いますよ」
── Jリーグ創成期を代表する日本人ボランチのひとりですよね。
「山口は得点力があるとか、すごく面白いロングパスを出すとか、そういう派手さがあるプレースタイルではありません。時々すごいミドルシュートを見せることもありましたが。ディフェンスラインに入ったら、3バックもスムーズにできたタイプだと思いますよ。
今、山口が現役選手だったとしても、海外に行くようなタイプではないように思いますが、彼が海外に出ていたらどうなっていたのか......と想像したくなりますね」
<了>
【profile】
ゲルト・エンゲルス
1957年4月26日生まれ、ドイツ出身。1975年からサッカー選手としてプレーし、1990年に水戸ホーリーホックの前身アセノ・スポーツクラブに選手兼コーチとして来日。その後、日本で指導者の道を歩みはじめる。滝川第二高→横浜フリューゲルス→ジェフユナイテッド市原→京都パープルサンガ→浦和レッズ→モザンビーク代表→ヴィッセル神戸→INAC神戸レオネッサ→相生学院高→AIE国際高を経て、2025年に徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任する。現役時代のポジションはMF。