最新映画『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』ライターしげるが見る「ガンダム物語を大規模に語り直す度胸に驚き」

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2025年01月23日 09:00  リアルサウンド

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『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』

※この記事は映画『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のネタバレを含みます。まだ見ていない方はご注意ください。


■オープニングから30分間の驚き


 まず見終わってから最初に感じたのは、「なんかすげ〜悔しい……」という気持ちだった。『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のことである。



 いや、予想はしていたのである。トレイラーに映るあまりにもザクそのまんまなモビルスーツの姿や、これみよがしにヒートホークを持っているGQuuuuuuXが描かれたキービジュアルから、「はは〜ん、なんかスタジオカラー・鶴巻味の強い新作ガンダムに見せかけて、『実は宇宙世紀の話でした〜』というサプライズを仕掛けてくるんだろうな……」と、見る前から予想していたのだ。


 なんなら、オープニングは『長い眠り』をBGMに「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、すでに半世紀が過ぎていた……」のナレーションが入るところからやってくるな……とまで予想していた。地球のまわりの巨大な人口都市が第二の故郷になっていって、子を産み育て死んでいき、コロニーが落ちて人類が自らの行為に恐怖するんだろうなと。後出しだからあんまり説得力ないけど、本当にそう思っていたんですよ! それしかないだろうと!


  見た人ならわかると思うが、その予想は当たった。しかし、当たったのはそこまで。サブタイトルが出るときのあの音、そして宇宙空間の「スーッ……スーッ……」からザクのモノアイが大写しになったところで、え、そこから? そこからやるんかと思った。 


  このオープニングからの30分余り。正直、大変面白く見てしまった。絶妙に見たことがないモビルスーツのフォルム! 緑色のホワイトベースもといソドンと、ビットがくっついた赤いガンダム! 「お前ら当然小説版は読んでるよな」と語りかけるような、シャリア・ブルの大フィーチャー! ブラウ・ブロ……ではなくキケロガと赤いガンダムの連携攻撃! 「やっていいのか、これ」「この内容、どうやって稟議を通したんだ……?」という疑問が時折脳裏をよぎりつつ、前半の架空戦記パートを大いにエンジョイしてしまったのである。なんか見る前は全然そんなことは思ってなかったのに、前半が終わった時には「おれがガンダムで見たかったのは、これだったのかもしれない……」という気持ちにすらなっていた。


  不思議だったのは、架空戦記ものを読む時の「これは悪ノリだなあ」「面白いけど、よくない面白さだなあ」という、ある種の後ろめたさもちゃんと感じられた点である。日本で出版されている架空戦記小説というのは、第二次世界大戦を題材にしつつ、戦争の経過や勝敗が全然違うものになっていく作品が多い。「もしもミッドウェー海戦で負けなかったら」とか「もしも日独が第二次大戦に勝利して、その後冷戦が始まったら」とか、そういうのである。


  こういう架空戦記からは、どうしても「第二次大戦、勝ちたかったなあ……」という気持ちがにじんでいる気がしてしまう。そもそも、戦争なので実際にめちゃくちゃ人が死んでおり、戦争の結果をひっくり返して遊んだりするのは、少々不謹慎だとも思う。大体「もしもあの戦争に勝っていたら」なんていう想定の話は、「いや、負けたじゃん」で終わらせるのが、良識ある大人の態度だ。でも、だからこそ、架空戦記には独特の面白さと後ろめたさが付きまとう。マニアがひっそりと人目に触れずに楽しむ、少々子供じみたジャンルであるというのが、自分の架空戦記に関する認識だ。


  そんな架空戦記独特の、頭の後ろ側がジンジンしてくるような面白さ、そして「こんなことやっていいのかよ」という後ろめたさを、自分は『GQuuuuuuX』の前半からしっかり感じ取っていた。これはすごいことだ。なぜって、『機動戦士ガンダム』は架空の話、アニメでありフィクションなのである。そもそも現実の話ではないのに、その物語に「if」を突っ込んで語り直したくらいで、後ろめたさを感じる必要なんかこれっぽっちもないのだ。


 現に、ゲームでは一年戦争の結果をひっくり返すようなタイトルが色々と存在している。『ギレンの野望』とかである。でも、あれはプレイヤーが能動的に作中の歴史に介入し、「こうだったら面白いな」という自分の願望を実現していくものだ。「こうなりました」と、史実の流れを一方的に見せられるアニメとは全然違う。そもそも『GQuuuuuuX』は、ファンが勝手に作ったMAD動画とかではない。バンダイナムコやサンライズやその他諸々の会社が関係する、オフィシャルな映像作品だ。そこで、こんなことを……?


■「動かすことのできない史実」という思い込み

 『機動戦士ガンダム』第1話がああいった形で語り直されたこと、そしてそれをエンジョイしてしまったことに若干の後ろめたさを感じたということは、つまり自分は『機動戦士ガンダム』において語られた一年戦争の物語を「動かすことのできない史実」だと思い込んでいたということだろう。確定した史実がひっくり返ることはない。そもそもフィクションの中の「史実」なのに、一年戦争の年表があまりにも長年ずっしりとした重みを発生させていたがゆえに、なんだか勝手にそう思い込んでいたのだ。


 しかし、『GQuuuuuuX』は「そんなことないよ」と断言し、ド頭から『ガンダム』の物語の前提をひっくり返した。それも「ガンダムってさあ、第一話の序盤でシャアが自分でサイド7に侵入してたらそのまま終わってたよなw」という、オタクのおっさんのヨタ話みたいなストーリーを、リッチな映像と共に大真面目に語ってひっくり返したのである。


 ということで話は冒頭に戻るが、なぜ見た後に猛烈に悔しくなったのかというと、ひとつには「オタクのヨタ話みたいな話からスタートしてるのに、すっげ〜面白かったから」という理由がある。ガンダムのマニアなら、誰だって一回くらいは「第1話でシャアが"若さゆえの過ち"を犯さなかったらなあ」と考えたことがあるはずなのだ。でも、誰もそれを本気で映像化しようとは思わなかった。というか、そもそもそんなことをやっていいと誰も思っていなかったはずだ。少なくとも、自分はそんなことができると思わなかった。しかし『GQuuuuuuX』は、それを堂々とやっちゃったのである。


  見ている時は「マジかよ」と思ったが、しかしその後の展開まで通して見ると、「この物語をやるにはこれしか手がない」という気もしてくる。パンフレット掲載の鶴巻監督へのインタビューを読む限りでは、『GQuuuuuuX』は企画開始当初から「ジオンが勝利した世界線の物語を描く」という案だったそうだ。


■「パロディをやるために集まった集団」のパワー

  つまりそもそも『GQuuuuuuX』は「スペースノイドが勝利したはずなのに、宇宙に住む人々の生活環境や閉塞感はまるで改善されていない」という状況を描くところからスタートする物語だったことになる。それならば、やはり「ガンダム第1話の内容をひっくり返すことから始める」という手段には必然性があると思う。ジオンが勝たなくては企画が成立しないのならば、絶対にアムロをガンダムに乗せてはならないのである。この「ストーリーの内容とオタクの悪ノリが不可分である」というあたりからは、往年のガイナックス作品の匂いとガイナックス主要スタッフの「パロディ筋」の強さを感じた。


 「サイド7にシャア自身が侵入してたらガンダム終わってたよな」というある意味のヨタ話に資金を突っ込み、これだけリッチな映像に仕上げ、見た人間を無理やりにでも納得させる腕力の強さ。これはDAICON FILMという「パロディをやるために集まった集団」からキャリアをスタートさせ、40年以上そのまま仕事を続けている人たちにしか出せないパワーだと思う。このパロディを実現するための剛腕こそが、『機動戦士ガンダム』という作品の「語り直し」を可能にした原動力だったはずだ


 実のところ『機動戦士ガンダム』という作品は、何度か「語り直し」をされてきた。しかしこれまで、この語り直しには資格が必要だった。小説版も『ガンダム』の語り直しと言えるが、なんせこれは富野由悠季監督が自分で書いている。コミック『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』も『ガンダム』を語り直した作品だが、これは主要スタッフだった安彦良和が描いたものだ。もはや「歴史」となっている『ガンダム』の物語を語り直すには、「ま……まあ あんたほどの実力者がそういうのなら……」という、語り手に関する納得感・説得力が必要だったのである。


 『GQuuuuuuX』は、初代ガンダムの主要スタッフ以外によって抜本的かつ大規模に『ガンダム』を語り直した、初の作品なのではないか。そしてそれを担ったのは、パロディ筋を異常発達させ、長年にわたるハードワークで技量を磨くことで「あなたたちがやるなら、いいか……」という説得力を身につけた、かつてのオタク青年たちだったのである。こんなによくわからなくて、なんだか妙に感動的なことがあっていいのか。ガンダムってすごいですね。


「オタクのヨタ話みたいな話からスタートしてるのに、すっげ〜面白かったから」


  ということで、『GQuuuuuuX』は序盤だけでいえば大変面白く、そして「ものすごく腕力のあるオタクのおじさんたちに、無理やり気持ちよくさせられてしまう」ということへの悔しさを感じさせる作品だった。ほんと……オタクのヨタ話みたいなアニメが……こんなに面白いなんて……! この後マチュとニャアンとシュウジの物語がどこへ辿り着くのかはわからないが、ちょっとやそっとの予想や想像では追いつけないくらいのところまでぶっ飛んでいってほしいと思っている。本当に悔しいけれど、続きがものすごく楽しみだ。



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