鈴木聡美が語る33歳で現役続行の理由 「まだやんの、私?と思わないわけではない(笑)」

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2025年01月23日 10:11  webスポルティーバ

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鈴木聡美インタビュー(2)

 競泳女子といえば、1992年バルセロナ五輪の女子平泳ぎ200メートルで14歳の岩崎恭子が金メダルを手にしたように、かつては「10代がピーク」と言われていた。だが、パリ五輪に日本競泳史上最年長の33歳で出場し、4位入賞を果たした鈴木聡美(ミキハウス)は、そんな常識を覆し、いまも母校の山梨学院大学で学生たちと懸命に練習に励んでいる。

 現役続行について問うと、鈴木自身「客観的に見れば、『まだやんの、私?』みたいな思いがないわけではない」と笑うが、その判断は極めて自然な流れだったという。

 一部のプロ選手を除けば、多くのアスリートにとって、五輪は4年に1度の大舞台であると当時に、選手として大きな区切りとなってきた。出場権を逃した選手が、また一定の成績を残した選手が「4年後の自分を想像できない」と現役を引退するのは五輪後のお決まりの姿でもある。

 だが、選手たちが自身のアスリートとしての限界を感じて競技から離れているかといえば、そうでないのも事実。引退の理由はさまざまで、なかには周囲の空気や固定観念に捉われて競技を離れざるを得なくなった選手も少なくない。そういう意味で、競技を続けられる環境があった鈴木にとっては、競技続行は既定路線だったのかもしれない。

――大会前、パリ五輪後のことは「白紙」と話していました。「引退」や「現役続行」ということについて、大会中はどう考えていたのですか。

「正直、私もパリの前は、何か具体的に考えていたわけではないです。ただ、五輪前の合宿中から、どうも監督やトレーナーからは今回が最後という気配はなく、『体も動いているし、続行な』みたいな雰囲気がありまして。もちろん、私的には『えっ?』って感じでしたけどね(笑)。

 私が(現役続行を真剣に)考え始めたのは、100メートルの準決勝が終わったあたりですかね。決勝進出は逃してしまったのですが、調子自体は悪くなかったので『まだいける』という思いが出てきたというか......。その後、200メートルでも6年ぶりに2分22秒台が出て、修正次第でまたチャレンジできるかもしれない、と。そして、締めくくりのメドレーリレーで、自分の役割を果たせたうえで、1分5秒台という自己ベストが出せ、決断に至ったという感じです。メドレーリレーで(金メダルを獲得したアメリカの平泳ぎ代表の)リリー・キングのタイムが1分4秒90だったのですが、それくらいなら私も今後の強化次第で狙えるかもと、意欲が沸いてきましたので」

【「あれ、終わりじゃなかったっけ?」】

――集大成と考えていたパリ五輪で、新しい光が見え、「やるしかない」と?

「パリに向かっては、もちろん集大成のような気持ちはありましたし、それこそ失敗してもいいやぐらいの割りきりもあったので、それがプラスに働いた部分はあったと思います。ただ、実際に競技を終えると、次を考えている自分がいて、自身自身も『あれ、終わりじゃなかったっけ?』と調子が狂ってしまい(笑)。そんな感じなので、どこまでやるとか具体的に考えているわけではなく『とりあえず、いまは思いっきりやりますけど......』みたいな気持ちではあるんですけどね」

 高校時代は「無名」に近い存在だった鈴木を、大学入学後から指導してきたのが、山梨学院大学水泳部の神田忠彦監督である。

 鈴木は学生時代から現在まで同大学で練習を続けている。いまでも毎朝5時に起床し、卵かけご飯と納豆をかきこみ、6時半には学生と一緒にプールに入る日々を送っている。そんな鈴木を「不器用を絵に描いたような選手」と評しながら、巧みにサポートしてきた神田監督は、鈴木の状況をどう見ているのだろうか。

「本当は(パリ五輪の)100メートルで決勝に進み、勝負できるかなと思っていました。ただ、予選のあと、私が『もっと大きく泳いで』とか余計なことを言ってしまったことが悪かったのか、前半で遅れ、少し焦りが出てしまった。そういう意味で、決勝に行けていれば、また結果は違ったかなとの思いも残っているんです。

 200メートル決勝は後半が......。隅のコース(8レーン)だったので、思いきり飛び出したうえで、ラスト100メートルは、100から150、150から200をそれぞれ36秒台でいきたかったところが、どちらも37秒台になってしまった。それでも大会を通して体と気持ちのコンディション調整はうまくいっていましたし、ピークに近い状態を保てていたと思っています」(神田監督)

 33歳という年齢もあって、パリ五輪後も現役を続けるという判断は、少なくない驚きを持って報道された。だが、神田監督は、むしろそれが自然で、報じるメディアが古い固定観念に捉われすぎているとした。

【「競泳は10代がピーク」は本当か】

「だって周りが『33歳だし、そろそろ引退では』と、勝手に思っているだけで、我々はそもそもそういう仮定でやっていたわけではないですから(苦笑)。鈴木も『やめます』なんてひと言も言っておらず、『今後は?』と聞かれたから『続けます』と言っただけですよね。

(競泳は10代がピーク?)確かにバルセロナ五輪で岩崎恭子さんが金メダルを獲りました。でも、10代がピークというのは思いこみですよ。かつては、たとえば社会人になったときに競技を続けていける環境がなかったということもありますし、選手の多くは自分の限界を知らずやめていったはずです。

 他の競技を見れば、学生時代に優秀だった選手が、社会人(プロ)になって質が高く、ハードな練習を積み、成果を出すというのが一般的ですよね。それが水泳だけ違うというのは私には疑問です。競泳選手にとって33歳という年齢は、もちろん若くはありません。それでも、年齢を重ねて結果を出している選手は世界的にもいますし、いまはどんな競技でも選手寿命は延びていることを考えれば、競技を続けられる環境さえあれば、まだ記録が伸びる可能性は否定できないと思っています」(神田監督)

 平泳ぎ100メートルで14年ぶりに自己ベストを更新した2023年の世界選手権(福岡)に続き、24年はパリ五輪選考会および本大会であらためてその力を示した鈴木。そのひとつのきっかけは、22年末のジャパンオープンでの絶不調を経て、23年以降、ストロークのテンポを上げたことにあったという。

――最初は、それまでの大きなフォームからストロークを増やすことに抵抗があったそうですね。

「ストロークを増やせば、そのぶん終盤に失速する可能性もありますから。それでも監督やトレーナーから『聡美ならできる』と言われたことでトライしたことがスタートでした。一歩踏み出せば、あとはやるだけですから」

 不器用なぶん、一歩を踏み出すのには時間はかかるが、一度ものにすれば、それを努力でさらに磨くことができるのがスイマーとしての鈴木の魅力かもしれない。

【「私、なんでやめないんだろう」】

 21年の東京五輪出場は逃した。新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、五輪自体の開催が危ぶまれていた頃は「このまま競技を続けていいのか迷っていた」とし、心身ともに競技に集中できていなかったと振り返る。

 同世代の選手がプールから去っていくのを見て、「やめたい」と思ったのは1度ではなく「私まだ泳いでいていいの? 引退して、会社勤めなどをしたほうがいいのかな」と、考えを巡らせたこともあっという。

 ただ、コロナ禍が明け、それまでの日常が戻ると、鈴木は徐々に調子を取り戻し、近年の好成績につなげている。

――何が鈴木選手を突き動かしているのですか。

「記録ですね。世間の方はメダル、メダルって思うかもしれませんが、水泳って、本来は記録で勝負する競技ですので。ロンドン五輪の100メートルで銅メダルを獲ったときは、タイムを見たら自己ベストには届いていなくて、少し複雑な気持ちになったくらいですから(笑)。やっぱり自己ベストを出したい、その欲が一番なんです」

――練習で学生と同じメニューをこなすのは簡単ではないと思います。

「最近は疲労の回復が著しく遅くなっているのを感じていますしね。特に夕方からの午後練習のあとの翌日の朝練は、ほとんど体が回復していないというか、アップからバテバテなことも。だから『やめようと思えばやめられるのに、私、何でやめないんだろう』って自問自答しながら笑ってしまうときさえあります(笑)。

 毎日、しんどいです。でも、本当に気持ちも体もついていけなくなったら、監督と"そこまで"という話をしています。幸いまだそこまではいっていないので、いまはもう少しだけ頑張ってみようと思っています」
(つづく)

【profile】
鈴木聡美(すずきさとみ)
1991年1月29日、福岡県生まれ。ミキハウス所属。山梨学院大学在学中の2012年ロンドン五輪で、女子平泳ぎの100メートルで銅メダル、200メートルで銀メダル、400メートルメドレーリレーで銅メダルと3個のメダルを獲得。2016年リオデジャネイロ五輪は100メートルで準決勝進出、400メートルメドレーリレー出場。2024年パリ五輪では100メートル準決勝進出、200メートル4位、400メートルメドレーリレー5位。

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