長引く不況もあり、勤めていた会社から早期退職して新たな一歩を踏み出す人が増えている。今回話を聞いた山本弘樹さん(仮名・50代)も、50歳になったタイミングで、自分の夢を叶えるために早期退職した一人だ。
◆退職金を元手にラーメン屋になることを決意
「自分が働いていたのは、堅実な経営をしている自動車関連の会社。定年まで働けば安泰だと言われていた会社でしたが、徐々にリストラも行われるようになったんです。そこで、早期退職制度で退職金が割増になったタイミングで、思い切って退職したんです。割増された退職金はかなりの額でしたね」
貯蓄に余裕を持った状態で、長年の夢だったラーメン屋への道を歩み始めたそうだ。
「唯一若いときから続けていた趣味がラーメンの食べ歩きです。休みの日は全国津々浦々のおいしいラーメンを求めて旅をしていて。そのうち自宅でもスープを作って研究するようになり、いつしか開業したいと考えるようになりました。今回、良い機会だと思いラーメン屋になるために修行を始めたんです」
◆朝5時から22時まで働き、家に帰ってからも勉強
山本さんが修行先に選んだのは、北関東にある行列のできるラーメン屋。10年近く月に一度は通っており、店主に顔を覚えてもらっていたこともあり、山本さんを快く受け入れてくれたのだという。
「無理を承知で修行を申し込んだら引き受けてくれました。清掃や接客からはじまり、2ヶ月ほどすると厨房にも入らせてもらえました。仕込みから麺の茹で方、スープを作るコツまでしっかりと教えていただき、会社員時代には味わえなかった充足感を感じる毎日でした。ただ、修行そのものは厳しく、師匠が店に来る前の午前5時には厨房にいないといけない。また、夜の営業もしていたので、清掃をして家に帰るのは22時ごろ。同時進行で経営に関する勉強もしていたので、毎日の睡眠時間は4時間ほど……。週に一度の休日は死んだように寝ていました」
◆人気店だった師匠の店が閉店してしまった
肉体的にも精神的にも追い込まれながらハードな修業を続けていた山本さん。みっちりと2年間修行を積んだ結果、師匠から「店を開いても大丈夫だろう」とお墨付きをもらえたそうだ。しかし、思いも寄らないトラブルが……。
「独立しようと思った矢先、新型コロナウイルスの猛威が。新規で店をやるどころではないと思い、アルバイトをして食いつないでいました。修行中の2年間は、まかないがあったので食費は浮いたものの、貯金は目減りしていて。衝撃的だったのは、師匠がお店を閉める選択を選んだことです。人気店だったのにお客さんはパッタリ来なくなり、ほかに活路を見出すような施策もできなかった。心労がたたって師匠は倒れてしまい、結果として店は潰れ……。どれだけおいしいラーメンを出していても店が潰れるのを見て、飲食業界の恐ろしさを目の当たりにしました」
◆1000円以上では流行るイメージが湧かない…
コロナが明けるまで、埼玉県にある実家に戻り、フリーター生活をしていた山本さん。ラーメン屋に短期のバイトで入り、ラーメン作りの腕を落とさない努力もしていたそうだ。だが、コロナが落ち着いたと思ったら、またも山本さんの前に大きな壁が立ち塞がったという。
「お店の物件を探していたのですが、今度は原材料が高騰してしまい……。師匠が使っていた業者さんにお願いするつもりだったのですが、自分が作ろうとするラーメンを逆算すると、1000円以上で提供しなくてはいけなくなる。新規開店の立場で、1000円以上のメニューばかり……というのは流行るイメージが湧きません。師匠に教えていただいたことを守りながら、なんとか安く出せるメニュー開発をやり直さないといけなくなりました。結局、いくつか候補にあがっていた物件は借りることなく、現在もバイト生活を続けながら開店の準備を進めている状況が続いています」
◆会社を辞めないほうが良かったかも?
ラーメンを作る腕と資金がありながらも、足踏みを続けている状態になっているそうだ。
「スープの味を妥協してコストを下げればお店を開店できるのですが、それで本当に良いのかと毎日悩んでいます。ラーメンチェーンでもう一度修行し直してフランチャイズ経営でお店を出しても良いのかなんて、考えてしまう時もあります。何にせよ、やりたい気持ちは変わらないのですが、どう決断すべきかわからない状況。こんなことなら会社を辞めないで、平凡なサラリーマン人生を送ったほうが良かったのかもと思う日もありますね……」
しっかりと目標をもって会社を辞めた山本さんでも、さまざまな外部要因でセカンドキャリアに迷う日々が続いている。早期退職に夢を持つのも結構だが、改めてしっかりシミュレーションしてみたほうが良いかもしれない。
<TEXT/高橋マナブ>
【高橋マナブ】
1979年生まれ。雑誌編集者→IT企業でニュースサイトの立ち上げ→民放テレビ局で番組制作と様々なエンタメ業界を渡り歩く。その後、フリーとなりエンタメ関連の記事執筆、映像編集など行っている