小田原ドラゴン先生が24年9月より週プレNEWS(集英社)で新連載『堀田エボリューション』を開始! というわけで、小田原先生がどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのかをジックリ語っていきます。
新連載第5回は漫画家への一歩踏み出します。
* * *
高校を卒業してからいろんなアルバイトをしました。ハム工場、コンビニ、結婚式場、フードコートのラーメン店......でも、残念ながらどれもこれも長続きしませんでした。
|
|
就職経験もあります。2年間、パン屋さんで正社員として働きました。人生で1回ぐらいは就職しとかないとダメかなと思ったのがきっかけです。
ところが、いざ働き始めて驚いたのは給料がめちゃくちゃ安かったこと。朝から晩まで働いて手取り15万円。実家暮らしだったので、家に4万円ぐらい入れていたんですが、毎月給料がきれいになくなってしまう。しかも、仕事が忙しいからなのか、風邪をひくと全然治らない。3ヵ月も4ヵ月も風邪をひきっぱなしの状態です。
結局、パン屋さんを辞めて家でプラプラしていたら、1995年のある日、父からこう言われたんです。
「これからどうするんだ。やりたいことは見つかったのか」
実は自分が本気で打ち込める仕事を25歳までに必ず見つけると、両親と約束していたんです。なので僕は、父がモラトリアム期間の終了を告げてきたのだと即座に理解しました。1989年に高校を卒業してから気がつけば6年。自分が進むべき道を決めるときでした。
|
|
たぶん、この30年前の父とのやり取りを覚えているのは、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件と同じ年の出来事だったからかもしれません。
僕は中古で買った三菱の6代目ギャランのハンドルを握り、マニュアルトランスミッションのギアを上げ下げしながら、自分が好きなものは何か。僕にしかできない仕事はあるのか。自分の心と向き合いました。市街地のストップアンドゴーを抜け、ワインディングを駆け抜けていると、中学生になるとき、親から謎に漫画禁止令を出されたことを思い出しました。
でも、25歳の僕にそんな話はもう関係ない。その瞬間、小学生の頃、『まことちゃん』や『北斗の拳』を夢中で読んでいた自分の姿が脳裏に浮かびました。そして、ふとこう思ったのです。
漫画を描こう――。
実際、漫画誌をいくつか買って読んでみたら、これなら自分でも描けると確信が持てた。これまでの人生で漫画を描いた経験などなかったんですが、見よう見まねで描いたら......できちゃった(笑)。
|
|
長編はめんどくさいので、原稿枚数が最も少なかった『週刊ヤングマガジン』(講談社)の新人賞に応募してみたんです。内容は、当時ちょうどブルセラが流行っていたので、主人公がブルセラのパンツを買いに行く話を描きました。
意気揚々と応募したんですが、世の中そんなに甘くはなく......。
《つづく》
撮影/山本佳吾