今オフ、阪神タイガースの青柳晃洋はポスティング・システムを利用し、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。マイナーリーグ契約を交わし、ノンロースター・インバイティ(キャンプ招待)としてメジャーリーグレベルのスプリングトレーニングに参加する。
青柳がメジャーデビューすると、阪神選手からメジャーリーガーとなった例は、新庄剛志、藪恵壹、井川慶、藤川球児、藤浪晋太郎に続き6人目となる。
最初の「阪神→メジャーリーガー」となった新庄は、このなかではただひとりの野手だ。2000年のオフに阪神からFAとなってニューヨーク・メッツに入団。翌年の開幕戦(アトランタ・ブレーブス戦)にベニー・アグバヤニの代走としてメジャーデビューした。
ちなみに、新庄より前にメジャーリーガーとなった日本人野手は、ブレーブス戦の前日にシアトル・マリナーズからデビューしたイチローのみ。また、アグバヤニは2004年〜2009年に千葉ロッテ・マリーンズでプレーし、そのアグバヤニを開幕戦で新庄と交代させたメッツのボビー・バレンタイン監督は1995年と2004年〜2009年に千葉ロッテの監督を務めた縁だ。
メジャーリーグ1年目の新庄は、最初の4試合中3試合は途中出場ながら、メッツの外野手では最多の916.2イニングを守った。規定打席には届かなかったものの、レギュラーに近い存在だったと言える。
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2001年のホームラン数は、イチローの8本に対して新庄は10本を数えた。守っては外野手リーグ5位タイの12補殺を記録している。イチローの送球は「レーザービーム」という愛称で知られているが、初年度の2001年は8補殺。シーズンふたケタ本塁打もふたケタの外野補殺も、初めて記録した日本人選手は新庄、ということになる。
新庄は2001年のオフにメッツからサンフランシスコ・ジャイアンツへ移り、メジャーリーグ2年目の2002年は初めてワールドシリーズに出場した日本人選手となった。ただ、1年目と比べると、打率は.268→.238、出塁率は.320→.294と下がり、ホームランも9本。メッツに戻った2003年は6月下旬にスリーA降格となり、再び昇格することなく退団した。
【井川慶がヤンキースに残したもの】
新庄に続く阪神選手ふたり目の藪は、メジャーリーグで2シーズンを過ごし、リリーバーとして計100試合に登板した。1シーズン目は40登板の58.0イニングで防御率4.50、2シーズン目は60登板の68.0イニングで防御率3.57を記録している。
ただ、この2シーズンは、2005年のオークランド・アスレチックスと2008年のジャイアンツだ。2006年は開幕直前にコロラド・ロッキーズから解雇されてメキシカン・リーグで投げ、2007年はどの球団にも在籍することなく過ごすアメリカ生活だった。
3人目の井川は、2006年のオフにポスティングシステムを利用してニューヨーク・ヤンキースに入団した。ヤンキースは2600万194ドルの入札額で独占交渉権を得て、井川と5年2000万ドルで契約している。当時のポスティングシステムは、最高入札額の球団だけが選手と入団交渉を行なうことができた。
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井川と同じオフにメジャーリーグへ移籍した松坂大輔(西武ライオンズ→ボストン・レッドソックス)の入札額5111万1111ドルと6年5200万ドルの契約には及ばないものの、タンパベイ・レイズに入団した岩村明憲の入札額455万ドルと3年770万ドルの契約と比べると、ヤンキースが井川に寄せていた期待が小さくなかったことがわかる。
けれども井川は、阪神に少なからぬ入札金をもたらしたものの、ヤンキースの期待には応えられなかった。2007年〜2008年に71.2イニングで防御率6.66を記録し、その後の3シーズンはチャンスを与えられることもなく、傘下のマイナーリーグで投げた。
井川を手に入れたヤンキースは、43歳のランディ・ジョンソンをトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ放出していた。そのジョンソンは2007年〜2008年の計240.2イニングで防御率3.89を記録している。ヤンキースが交わした契約を振り返る記事において、井川との契約は、今でもワースト10やワースト5にランクインする。
【メジャーで成功した阪神選手は?】
4人目の藤川は、ケガに泣かされた。2012年のオフにシカゴ・カブスと2年950万ドルの契約を交わし、開幕戦でメジャー初セーブを挙げた。だが、4月半ばに腕を痛め、一度は復帰したものの、5月下旬に再び離脱。6月にトミー・ジョン手術を受けることになる。
手術を挟み、2013年も2014年も15イニング未満。2015年、1年110万ドルの契約で入団したテキサス・レンジャーズでも右足の付け根を痛めて1カ月以上出遅れ、2試合に投げたところでロースターから外されて退団した。
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なお、2014年のオフには、鳥谷敬が阪神からFAとなってメジャーリーグ移籍を目指した。トロント・ブルージェイズやサンディエゴ・パドレスから契約の申し出もあったようだが、条件面で折り合いがつかずに阪神に戻った。ブルージェイズの遊撃にはホセ・レイエスがいたため、鳥谷に二塁を守らせようとしたらしい。一方、パドレスの遊撃手は確定していなかった。
5人目の藤浪は、2023年1月に1年325万ドルの契約でアスレティックスに入団した。開幕ローテーションには入ったものの、4登板でブルペンに回され、7月にボルチモア・オリオールズへトレード。移籍前の防御率8.57に対して移籍後は防御率4.85ながら、制球難は解消せずにポストシーズンのロースターには入れなかった。
メッツに在籍した2024年はメジャーリーグに昇格できず、プエルトリコのウィンターリーグで投げたのち、今年1月にシアトル・マリナーズとマイナーリーグ契約を交わした。こちらも青柳と同じく、ノンロースター・インバイティだ。
こうして振り返ってみると、阪神からメジャーリーグに移籍して成功したのは新庄だけ、と言ってもいいかもしれない。新庄にしても、メジャーリーグでのスタッツは年々下降した。2008年に藪が記録した防御率3.57も、リリーフ50イニング以上投げた137人中ほぼ真ん中の69位だが、登板したのはリードしている場面よりもビハインドの場面のほうが多かった。
【青柳晃洋の投げ方は有利に働く?】
もちろん、青柳も同じ道をたどるとは限らない。スタットキャストによると、2024年に500球以上を投げ、腕の平均角度が水平より低かった右投手は3人しかいなかった。アンダースローを除くと、たったふたりだ。つまり、どの打者も青柳のような投手と対戦した経験は少なく、この点は青柳にとって有利に働く可能性もある。
青柳だけでなく藤浪も、たとえ開幕ロースターに入れなかったとしても、マイナーリーグでいい投球をしていれば、いずれ昇格の機会は巡ってくるはずだ。