【立ち上がりは慎重だった】
1月24日、WBA/WBC/IBF/WBO統一スーパーバンタム級チャンピオンの井上尚弥が、挑戦者のキム・イェジョンに予想通り圧勝した。試合13日前に対戦相手が変更されるというハプニングを乗り越え、4本のベルトを守った。
かつて日本王座を懸けて"モンスター"と拳を交えた、元WBA/IBFライトフライ級王者の田口良一に今回の井上について話を聞いた。モンスターが唯一、ダウンを奪えなかった男である。
「立ち上がりの井上くんは慎重でしたね。ルイス・ネリ戦の初回にダウンを経験したので、用心深い戦い方なのかなと感じました。1ラウンドからガンガン攻めていれば、もっと早く試合を終わらせることもできたでしょう。でも、何が起こるか分からないのがボクシングです。いきなり効かせるパンチが当たれば仕留めるでしょうが、今後も、相手の出方を見たうえで試合を作っていくんじゃないかと思います」
井上と田口が拳を交えたのは2013年8月25日、モンスターにとってプロ4戦目だった。
「自分との一戦では、開始直後から荒々しさがありましたよ。キャリアを重ねていくなかで、まず相手を観察するスタイルになったのだと理解しています。今回も、いつもの井上くんでしたね。
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12ラウンドあるので、いつか必ずチャンスはやってくると、焦りはなかったんじゃないですか。感情を揺さぶられることなく、淡々とやることをやっている印象でした」
代役として選ばれたキムだったが、突然のオファーを承諾し、捨て身でリングに上がった。初回、井上は遠目からのジャブで牽制し、ところどころで胸、腹に右ストレートを放った。挑戦者はいつの間にか後退し、コーナーに詰められてしまう。どうにか凌いでも、ロープを背負わされる局面が続く。
「挑戦者もペースを掴もうとしましたが、追い込まれましたね。井上くんの圧倒的なパンチ力を警戒せざるを得なかったからです。そのうえ、井上くんにはスピードがあり、瞬間的な"前の手"の使い方にも長けている。どんな動きをしても反応してくるので、気づいたら追い込まれているんです。井上くんを相手にしたら、誰もがそうなりますよ」
【井上は「ちょっとパンチをもらっただけで騒がれる」】
2ラウンドに入ると、統一スーパーバンタム級王者はギアを上げる。細かくステップを踏み、スピードを生かした。上、下と、右ストレートが何度もキムを捉える。
「キム選手はクリーンヒットされた後、首を振って『ダメージはない』みたいなアピールをしていましたが、相当なプレッシャーを感じていたでしょう。彼のレベルが低いということではなく、井上くんがすべてを上回っていました」
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3ラウンド、顔面を中心にパンチを繰り出していた井上だったが、残り30秒で左ボディアッパーをヒットし、挑戦者の動きを鈍らせる。
「試合が始まった時から、井上くんが防衛するとは感じていましたが、一気に流れを引き寄せた3ラウンドでKO勝ちを確信しました。『これは時間の問題だな』と。
とはいえ、キム選手が井上くんに左ストレートを当て、ヒヤっとする場面もありましたね。井上くんの場合は、ファンが完璧を求め過ぎるんです。だから、ちょっとパンチをもらっただけで騒がれる。ほんの数発でも、彼の場合は『けっこう打たれたな』と捉えられてしまう。ボクサーですから、多少相手のパンチをもらうのは当たり前なので......。ちょっと可哀想になります。
空振りにしてもそうですよ。百発百中なんてあり得ないけれど、井上くんだからパーフェクトが期待される。全部が全部、完全無欠なんて酷です。"捨てパンチ"だって使う訳ですし」
そして迎えた第4ラウンド、序盤の井上は再三、右ストレートを出した。そして残り1分を過ぎた頃、左フックをヒット。即座に左ボディアッパーを放ち、キムが体を折ったあとで右ストレート、左ボディアッパー、右ストレート、左ボディアッパー、右ストレート、左フック、そして右ストレートを顔面にぶち込む。するとキムは、ロープにもたれるようにバランスを崩し、次の瞬間、両膝をついた。
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【非の打ち所がない戦績はパッキャオ以上?】
カウント・ナインまで数えたレフェリーだったが、右腕を振って試合終了を告げた。公式ノックアウトタイムは、4ラウンド2分25秒。
本来、井上は昨年のクリスマスイブに、IBF/WBOの指名挑戦者であるオーストラリア人、サム・グッドマンとの防衛戦を行なうはずだった。田口は同ファイトが決まった頃、「序盤、井上くんが様子を見て、中盤にノックアウトする」と読んでおり、「井上くんは、どんなパンチでも相手を倒せますよね。今回は、顔面へのパンチでフィニッシュするように思います」と話していた。
しかし、グッドマンは2度にわたって左目の上を負傷し、リング上がることができなくなる。キムは代役を引き受け、一生に一度のチャンスとして井上に挑んだのだ。井上 vs. キム戦は、田口がグッドマン戦で予想した内容と、ほぼ同じだった。IBFとWBOで1位にランクされる挑戦者だろうが、キムのような下位ランカーだろうが、モンスターの敵ではない。
「キム選手がオファーを受けなければ興行が成立しなかったので、感謝しかないですね。彼もあの井上尚弥と戦ったことが、将来の糧となるかもしれません」
田口自身も、モンスターとのファイトを経験したからこそ世界王座に就けた、と折に触れて語る。
「井上くんは、パウンド・フォー・パウンド1位を争っているトップファイター。そこまでの境地に辿り着いているチャンピオンとの対戦を希望しても、戦えない人がほとんどです。そういう意味では、キム選手には運があったのかな、という気がします。自分も井上尚弥と戦ったことを誇りに思っていますし、彼との試合があったからこそ世界チャンピオンになれました。
井上くんは日本史上最高のボクサーだと思います。自分はNBAの大ファンですが、バスケットボールの世界で井上くんを表すなら、マイケル・ジョーダンかレブロン・ジェームズのレベルですね。人によってさまざまな意見があるでしょうが、ボクシング界なら、マイク・タイソン、フロイド・メイウェザー・ジュニアに勝るとも劣らないスーパーチャンピオンですよ」
そのタイソンは、「あのモンスターは、パッキャオ以上の逸材だ」と発言している。
田口も言う。
「今、井上くんはマニー・パッキャオと比較されていますよね。パッキャオが6階級で、井上くんが4階級を制覇、統一王座は井上くんが2階級、パッキャオはゼロ。最初に世界タイトルを獲得した年齢は井上くんが20歳で、パッキャオは19歳。階級を上げるリスクはありますが、パッキャオでさえ、井上くんほど非の打ち所がない戦績は打ち立てていないと自分は感じるんです。対戦相手をここまでパーフェクトに下している点では、類を見ない存在ですよね」
無双を続けるモンスターも、この4月に32歳になる。
「一般的に述べるなら、どうしても疲れが抜けなくなってくる年齢です。完全にオフの日を作ったり、抜く時に抜くメリハリをつけることが大切だと思います。まぁ、彼ならうまくやるでしょう。レブロンも40歳ですが第一線で活躍していますし、井上くんも現状を維持できる、と見ます。このまま頑張ってほしいですね。
世界にはスーパーバンタム級という118〜122パウンド (53.524〜55.338キロ)の軽いクラスを認めない人もいるでしょう。でも、このまま勝ち続けてそういう声をかき消してほしいですね。世界中の誰もが、井上くんを認めざるを得ないチャンピオンになってもらいたいです」
井上尚弥は、2025年をどのように彩るか。
【プロフィール】
◆田口良一(たぐち・りょういち)
1986年12月1日生まれ、東京都出身。2006年7月にプロデビューし、2007年にライトフライ級の全日本新人王に輝く。2013年4月、同級の日本王座を獲得。2014年12月にWBAライトフライ級王座、2017年12月、メリンド(フィリピン)との統一戦を制してIBF同級王座を獲得した。2019年12月に現役を引退。プロ戦績は27勝(12KO)4敗2分け。