18年のファインニードルは国内に敵なしだった。JRAではGI・2つを含む重賞のみの4戦を走って全勝。しかし、年明け当初から不動の主役といえる存在ではなかった。そこで、この年の始動戦であり、「ファインニードル時代」の到来を予感させることとなった1月のシルクロードSを振り返る。
ファインニードルはレース経験を重ね、そして敗戦を糧にして、徐々に力を付けていった。4歳を終えた時点で22戦6勝。4歳夏の水無月Sでオープン入りを決めると、北九州記念の5着を挟み、セントウルSで重賞初制覇。しかし、続くスプリンターズSでは12着に大敗する。頂点を目指すには、もう一回りの成長が必要…。そんな印象で迎えた5歳の初陣がシルクロードSだった。
ハンデ戦らしい混戦模様で迎えた一戦。ファインニードルはダイアナヘイロー、アレスバローズ、カラクレナイに続く、単勝7.7倍の4番人気に推された。最内枠から五分のスタートを決めると、無理することなく好位のインを確保。折り合いはバッチリだ。そのままリズム良く運んで直線へ。逃げるセイウンコウセイを残り200mでかわすと、あとは独走だった。川田騎手の叱咤に応えて後続を突き放し、接戦の2着争いを尻目に2馬身差の完勝。プラス18kgの大幅馬体増も関係なし。スプリンターズSの後の4カ月の休養で大きく成長したことをアピールする、圧巻の走りを見せたのだった。
続く高松宮記念ではGI初制覇。二度の香港遠征でこそ結果を残せなかったが、秋にはスプリンターズSを制し、国内に敵なしをアピールした。アドマイヤムーンの代表産駒として、さらにはゴドルフィンの日本調教馬では初のGIウイナーとして、その名は語り継がれていくに違いない。