昨年(2024年)の12月3日の夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が唐突に非常戒厳を宣言した一件は世界中を驚かせた。韓国で戒厳令が宣言されたのは軍事政権下の1979年以来であり、1987年に民主化されてからは初めてであった。これに反対する与野党の国会議員が支持者らとともに国会に集結、また非常戒厳に反発する市民が国会前に集まり、大統領の命を受けた軍や警察とあわや一触即発の状態となった。
尹錫悦は翌日朝に非常戒厳を解除、「大統領のクーデター」は不発に終わり、今年1月14日には国会での弾劾決議案の可決により尹の大統領職務は停止され、15日に内乱の疑いで捜査当局が拘束令状を執行、19日にはソウル西部地裁が尹に対する逮捕状を発付、26日には韓国検察が尹を内乱罪で起訴した……というその後の経過はご存じの通りである(この原稿は26日に執筆)。ところで、非常戒厳に始まる一連の騒動に対し、日本のSNSでは、2024年に日本公開された韓国映画『ソウルの春』(キム・ソンス監督)を引き合いに出した感想が圧倒的に多かった。私自身、「なんだこの『ソウルの春』みたいな事態は」と思いながら報道を見守ったものである。
『ソウルの春』は、1979年12月12日、ソウルで起きた粛軍クーデター(12.12軍事反乱)における、反乱軍と鎮圧軍の攻防を臨場感たっぷりに描いた傑作である。しかし考えてみると、戦後の韓国現代史について、多くの日本人は詳しく知らないと思われる。そもそも現代史自体、中学や高校の授業ではそこに到達する前に「時間切れ」となりがちだ。にもかかわらず、少なからぬ日本人が今回の非常戒厳から韓国軍事政権下の出来事を容易に想起できたのは、『ソウルの春』や、1980年に軍事政権が市民を虐殺した「光州事件」を扱った『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』(チャン・フン監督)などの韓国映画が自国の歴史を積極的に取り扱い、日本の映画ファンもそれらを通じて韓国現代史を学んでいたからではないか。
では、韓国現代史を扱った映画には他にどのようなものがあるのか。それを知るために欠かせない一冊がある。韓国生まれ、日本在住の映画研究家・崔盛旭(チェ・ソンウク)の著書『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史 歴史のダイナミズム、その光と影』(書肆侃侃房)である。なお、本書は2024年4月に刊行されたため、その時点で日本未公開の『ソウルの春』は紹介されていない。
本書は第1章「韓国と日本・アメリカ・北朝鮮」、第2章「軍事独裁から見る韓国現代史」、第3章「韓国を分断するものたち」、第4章「韓国の“今”を考える」の4章に分けられ、紹介された映画は44本。世界的なヒット作もあれば、恥ずかしながらタイトルも知らなかった作品もあるが、すべて日本でも公開されている(Netflix配信作品も含む)。観たことのある作品ならば、著者がそれをどう分析したかという興味が湧くだろうし、未見の作品ならば観てみたい気が起きるだろう。
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各作品の紹介は、単なるあらすじやテーマの言及にとどまらず、鋭利な分析が盛り込まれている。例えば、解釈が難しい謎めいたオカルト映画『哭声/コクソン』(ナ・ホンジン監督)に籠められたメッセージを、國村隼が演じる「よそ者」がラストシーンで手に持っているカメラの機種から読み解くくだりなどは圧巻である。
著者は韓国の現代史について「日本による植民地支配から解放されたのも束の間、左右のイデオロギー分裂による朝鮮半島の南北分断、朝鮮戦争と軍事独裁、そして民主化のための闘い——。その良し悪しは別としても、浮き沈みの激しい、実にダイナミックな歴史を歩んできたと言わざるを得ない」と説く。韓国映画は、そうした歴史を反映して、時にプロパガンダの道具となり、時に自国の歴史を反省し問い直すものとなった。
先述の『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』や、軍事政権下の警察署内で大学生が死亡した事件を取り上げた『1987、ある闘いの真実』(チャン・ジュナン監督)、聾学校生徒への性犯罪を扱って韓国社会を大きく揺るがせた『トガニ 幼き瞳の告発』(ファン・ドンヒョク監督)などのような作品で政治性が前面化されているのは当然として、一見政治的要素とは関係なさそうな『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督)のような作品でも、連続殺人の捜査の背景に当時の世相がディテールとして描き込まれている。そこには、連続殺人と軍事独裁政権が決して無関係ではないことを喚起させる監督の意図があったのではないか、と著者は指摘する。
『ソウルの春』を観た日本人観客は、ファン・ジョンミンが演じた保守派の軍人が、どう見ても全斗煥(チョン・ドゥファン)がモデルなのにチョン・ドゥグァンという仮名で登場することを不思議に感じたかも知れない。著者によると、「実話(fact)」に「虚構(fiction)」を加味した「ファクション」なる造語で示されるジャンルがあるという。「『ファクション』というジャンルの根底には、現実を反映するリアリズムを重視してきた韓国映画の特徴があるのだが、それ以上に、韓国の近現代史がいかに理不尽な矛盾とともにあり、いまだ解決されない多くの問題を抱えているかを物語っているとも言える。このジャンルは、同時代には語れなかった歴史の実態を民主化が進んだ今だからこそ振り返ることができると同時に、歴史的な事件にフィクションを加えて再構成することで、“あり得たかもしれない”現実を歴史の教訓として伝える効果も持ち合わせている」と著者は説明する。
それにしても本書を読むと、韓国の歴史や内情について知らなかったことが多すぎると痛感させられる。『バーニング 劇場版』(イ・チャンドン監督)の章に記された、韓国における村上春樹作品受容の過程などがそうで、タイトルの元になったビートルズの有名曲が長年発売禁止だったのは初めて知った。また、『ミッドナイト・ランナー』(キム・ジュファン監督)の章に記された、日本による植民地支配などを理由に中国に脱出し、1980年代頃から再び朝鮮半島に戻った「朝鮮族」に対する根強い偏見や悪意が、近年の犯罪映画を通して更に韓国社会に刷り込まれているという指摘には、そうした知識がない状態でそれらの映画を娯しんだ立場としては暗然とせざるを得なかった。
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著者は自国の歴史の暗部や、長年の儒教思想の影響から脱しきれず男尊女卑や過剰な血統重視が色濃く残る国民性に対して極めて厳しい視線を向けているが、一方で、理不尽に解雇された非正規の女性労働者たちがストライキを行うという内容の『明日へ』(プ・ジヨン監督)を紹介した章では、権力の不正や理不尽な仕打ちに対する怒りをデモなどの行動で表明しない日本人の国民性に納得できないものを感じると記している。仮に、日本で昨年の非常戒厳のような事態が発生したとして、日本の国会議員は、そして市民はどのように反応するのか。
また、『グエムル—漢江の怪物—』(ポン・ジュノ監督)の章では、この映画の背後にある「嫌でも米軍に頼らざるを得ない韓国の状況、それを利用して韓国を牛耳ろうとするアメリカの横暴さ、その犠牲となる弱者を守ることができない韓国の無力さという悪循環の構造」を指摘しているが、この文章の「韓国」はそのまま「日本」に置き換え可能でもある。日本の読者に対する著者からの問いかけは重い。
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