篠塚和典から見た引退後の吉村禎章は「ひと回りもふた回りも大きくなった」 巨人のリーグ優勝に貢献した手腕も称賛

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2025年02月12日 10:31  webスポルティーバ

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篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(7)

吉村禎章 後編

(中編:吉村禎章の印象的な2本のホームラン 最速リーグ優勝を決めた劇的弾と、審判の勘違いが生んだ一発>>)

 篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」で選んだ吉村禎章氏のエピソード、後編。篠塚氏にとって吉村氏はどういう存在だったのか、現在フロントして手腕を発揮している吉村氏に対する期待などを語ってもらった。

【現在は有望な外国人選手の獲得でチームに貢献】

――吉村さんは現在、巨人の「執行役員編成本部長国際担当兼国際部長」として活躍しています。特に、昨季の外国人補強の成功はチームにとって大きかったですね。

篠塚和典(以下:篠塚) ルーグネッド・オドーアがああいう形で帰っちゃったんでどうなるかと思いましたが(※)、昨年の5月に入団したエリエ・ヘルナンデスが活躍しましたし、(同7月に入団した)ココ・モンテスもすぐに日本の野球にある程度対応できていて、悪くなかったですからね。

 特にヘルナンデスは、打線全体が不振だった頃に打線を機能させてくれましたし、あのタイミングで彼がいてくれたのは本当に大きかった。試合中に左手首を骨折して離脱してしまいましたが、チームを救ってくれました。目をつけたヨシの功績も大きいと思います。

(※)2024年1月に巨人と1年契約を締結。オープン戦で打率.176と振るわず開幕二軍となるも、これを拒否して開幕前に退団。

――今はバリバリのメジャーリーガーが来る時代ではないですし、優良な外国人選手を連れてくるのが難しくなっている印象です。

篠塚 外国人選手は、本当にやってみないとわかりませんからね。それを見抜き、チームにとってプラスになる選手を連れてくるのは大変な仕事だと思います。打球の角度や球種別の対応力、性格なども含めていろいろなデータを分析しているんでしょうし、それを経て、メジャーでは実績のないヘルナンデスやモンテスの獲得を決断したのは素晴らしいです。

――シーズン途中に2名の外国人選手を獲得し、両方が活躍するケースは珍しいように思います。

篠塚 そうですよね。昨年は阿部慎之助監督の1年目でもありましたし、前年がBクラス(4位)だったので、土台を作りながらAクラスに入れればいいかな、と思って見ていました。3年後くらいに優勝を狙えるチームになれば、という感じだったんですが、まさかリーグ優勝できるとは予想していませんでしたね。それを手繰り寄せた要因として、エルナンデスとモンテスの働きは大きかったと思います。

――今後も吉村さんの働きには期待したいですね。

篠塚 今の時代はなかなか難しいかもしれませんが、メジャーでガンガンやっていた選手も獲ってきてほしいですね。最近はそういう選手がいないじゃないですか。巨人に限った話ではないですが、せっかく来たと思ったらすぐに帰ってしまう外国人選手はすごく多い。一方で、ソフトバンクはジュリスベル・グラシアル、アルフレド・デスパイネ、デニス・サファテらがハマっていた時は本当に強かったですから。

 昔は、レジー・スミスやロイ・ホワイトみたいなメジャーで実績のある選手が来ていましたね。近年の外国人選手は、即戦力で中軸を任せられる助っ人というよりも、日本人選手と横一線で育成されていたり、育成を前提で獲ってきたりと、状況が変わってきています。時代と言えば、そうなのかもしれませんが。

【吉村は今も「気になる存在」】

――ここ数年で、吉村さんと会う機会はありましたか?

篠塚 解説の仕事で球場へ行った時などに、グラウンドで顔を合わせるくらいですね。ヨシは年が6つ下なのですが、それくらい年が離れていると現役の時もそれほど話はしないものなんです。ただ、話をする時はいつも、彼の人柄のよさをすごく感じます。

――現役時代と今とで変わった部分はありますか?

篠塚 ユニフォームを脱いでからコーチを経験したり、今のようなフロント職も経験していろいろな人に会う機会も多いでしょうから、コミュニケーションの仕方も含めてひと回りもふた回りも大きくなっている印象です。冗談を言ったりもしますし、物腰が柔らかくて、若い選手でも話しかけやすい雰囲気を持っていますね。

 それと、自分もそうなのですが、やはりユニフォームを着てようが着ていまいが、「巨人」という看板を背負っているので。そのあたりは彼もしっかりとわかっているんじゃないですか。

――篠塚さんと吉村さんは、春と夏の違いはありますが甲子園で優勝を経験し(※)、高卒で巨人へ入団。現役から引退後の指導者時代も含めて巨人ひと筋、侍ジャパンではそれぞれ打撃コーチを務めるなど共通点が多いですね。篠塚さんにとって吉村さんはどんな存在ですか?

(※)篠塚氏は1974年夏の大会で、銚子商の4番として優勝に貢献。吉村氏は1981年春の大会で、PL学園の主力として優勝に貢献した。

篠塚 それはもう、気になる存在ですよ。長年一緒に戦ってきた仲間でもありますしね。先ほど(前編で)もお話したように、ヨシが入団してきた時にバッティングを見て、「一緒に戦えそうな選手が来てくれたな」と思いました。タイプとしては後輩の高橋由伸にも近いというか、硬・軟が使い分けられるバッターでしたね。

 だからこそ、ああいう大ケガ(※)をしてしまったことは自分の頭のなかにずっと残っています。「ケガをしなければどのくらいの選手になっていたのかな」と考える時もありますね。

(※)1988年7月6日、札幌円山球場での中日戦の守備中に起きたケガ。吉村氏がレフトフライを捕球した際、センターの栄村忠広氏と激突し、左膝の4本の靭帯のうち3本を断裂。

 だけど、そういうケガを乗り越え、復帰後は以前のようなバッティングはできなかったかもしれませんが、引退までしっかりとプレーしていましたし、周囲からも信頼されていたんじゃないですか。若い頃の岡本和真を指導したり、中日からライデル・マルティネスを、内外野を守れるアストロズのトレイ・キャべッジを獲得したり、フロントで非常に重要な役割を担っています。今後も彼の活躍に注目していきたいと思います。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年〜2003年、2006年〜2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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