
米国で戦い抜く意思を強く感じた60分だった。1月15日(日本時間16日)にアスレチックスとマイナー契約を結んだ森井翔太郎(桐朋高3年)が、2月11日、東京都国立市の同校で記者会見に臨んだ。
契約後も米アリゾナ州の球団施設で練習を継続し、前日10日に帰国。「選手たちの体の大きさに衝撃を受けた」というが、184センチ、89キロの堂々たる体格は、わずか1カ月の短い期間でさらにブラッシュアップされたように思える。
【メジャー挑戦のきっかけは青木宣親】
田中隆文監督とともにスーツ姿で会見上に現れると、約50人の報道陣を前に物おじすることなく、NPBを経由せずに米球界へ挑戦する決意を力強く語った。
「小さい頃からの夢でしたし、メジャーリーグの球団と契約できるということは自分にとってすごくうれしいことでした。早いうちからアメリカに行って慣れたほうが、メジャーに上がった時にすぐ活躍できるのではないかと考えました。4、5年でメジャーに上がれたら最高かなと思います」
桐朋高は偏差値71を誇る都内でも有数の進学校。これまで甲子園出場はなく、プロ野球選手も、早大を経て1963年にロッテの前身となる大毎オリオンズに入団した斎藤幸夫さん以来、森井が2人目となる。会見では原口大助校長が直々に司会を行なったことからも、異例の注目度がうかがい知れる。
|
|
高校通算45本塁打、投げては最速153キロを誇る二刀流は、9球団争奪戦の末、アスレチックスと151万500ドル(契約合意時のレートで約2億3600万円)で契約。さらに契約金とは別に、球団側からの提案により、引退後に使用する学業補助金25万ドル(約3800万円)も支払われる。日本のアマチュア選手としては、史上最高額となった。
森井自身も「(学業補助金は)全然聞きなじみがなく、単純にびっくりしました」と、想定外のオプションに目を丸くする。米国の会見で披露した流暢な英語スピーチに関しても、「本当はカンペを見ずに言いたかった」と苦笑い。米国の「CNN」の制作で、学生向けにつくられた報道教養番組『CNN10』を字幕なしで見るなど、得意の英語力は日に日に上達している。
武蔵府中リトルに在籍していた桐朋小時代。全国優勝のご褒美に、当時アストロズに在籍していた青木宣親さん(現・ヤクルトGM特別補佐)がチームを訪問し、野球教室を開催した。スイングを間近で見る機会に恵まれ、「やっぱり違うなと。自分もこういうところを目指したいなと思いました」と、メジャーに憧れを抱いたきっかけを明かした。
【危機的状況を救ってくれた『鬼滅の刃』】
ただ、順風満帆な野球人生ではなかった。中学では練馬北シニアに入部するも、小6時に発症した腰椎分離症の影響もあり、硬式をプレーすることでかかる体の負担も考慮して、中1の夏休みから桐朋中の軟式野球部に入り直した。
しかし、同年終わりから2年にかけてコロナ禍で大会が軒並み中止となったうえに、練習することもままならない日々が続き、腐りかけたことがある。
|
|
「何もやる気が起きず、YouTubeを見て過ごしたりしていました」
そんな状況を救ってくれたのは、アニメや漫画で大人気の『鬼滅の刃』だった。主人公の竈門炭治郎が、鬼にされた妹の禰豆子を人間に戻すため、さまざまな困難に立ち向かう姿に勇気をもらった。
「主人公が頑張ってトレーニングをしている姿が自分自身に重なりました。このままではダメだと思って、素振りやシャドーピッチングを積極的にやるようになりました。今まで影響を受けたのは鬼滅の刃くらいです」
憧れの作中最強キャラ・継国縁壱(つぎくに・よりいち)のように「どうせやるならトップを目指したい」という考えに至り、まずはケガをしない体づくりに専念。ヨガインストラクターの母・純子さんから勧められたヨガを取り入れたことで骨格の歪みが改善。強くてしなやかな肉体へと変化するとともに、中学入学時には154センチほどしかなかった身長も3年間で178センチまで伸びた。
この頃から純子さんと野球ノートを兼ねた交換日記を交わすなかで、メジャーリーガーの夢が具現化してきた。当時の心境が事細かに綴られた9冊は、森井の宝物だ。
|
|
「ヨガでしなやかさだったり、関節の柔らかさだったりもそうなんですけど、呼吸と動きを連動させて、どこで吸って、どこでは吐いたらいいのかというのを常に意識してやっていました。両親の存在がなかったら、今の自分はここにはいないと思っているので、本当に感謝しています」
桐朋高では1年夏から三塁のレギュラーを獲得。進学校ゆえに18時完全下校の環境下でも自らを律してトレーニングに励み、2年秋から投手兼遊撃手として本格的に二刀流に挑戦するなど、夢に向かって邁進してきた。田中監督が森井の素顔を明かす。
「1年夏の初戦で2打席目に本塁打を打ちまして、今後どうなっていくのかなとすごく期待しました。地道にコツコツと、自分でやれないことがあった時には、そこにしっかりと向き合ってクリアしていく、そういう選手です」
【対戦したい相手は?】
そして3年夏。日米が注目する選手へと成長を遂げ、西東京大会初戦の都富士森戦には、14球団42人のスカウト・編成関係者が大挙した。ただ、リリーフで最速147キロをマークも、3打数無安打とバットでは貢献することができず、試合も2対9で7回コールド敗退。悔いがないと言えば嘘になる。それでも高校3年間、そして桐朋で過ごした12年間がなければ、野球選手としてはもちろん、人間的な成長はなかったと断言できる。
「みんなでやらせてくれる環境だったり、自分で考えさせてくれる環境だったり、それでも厳しいところは厳しくちゃんと言ってくださるので、そういう意味では、礼儀だったり、野球の技術以外のところもたくさん教わることができました」
メジャーでは、投手で2ケタ勝利、打者で3割、30本塁打が目標。投手としてはエリー・デラクルーズ(レッズ)、打者としてはジェイコブ・デグロム(レンジャーズ)をそれぞれ対戦したい相手に挙げる。
二刀流の大先輩である大谷翔平(ドジャース)には「自分が練習していくにつれて、どれだけすごいことをやっているのかと実感していきました」と憧憬の念を抱くが、どちらで対戦したいかとの問いには「したくないわけではないけど......。投打どっちも嫌です」と苦笑いした。
今後は3月上旬に再渡米し、5月頃のルーキーリーグ開幕に向けて調整を進めていく予定だ。その前に「親知らずを抜かなきゃいけなくて......」と打ち明け、場の空気を和ませた。NPBを経ずにメジャーデビューした選手は、マック鈴木、多田野数人、田沢純一の3人のみ。野手では過去にひとりもいない。険しい道程であることは、本人が一番自覚している。
「自分はあまり前例とかを考えないタイプ。自分がやって幸せなこと、自分で選んでこういう道に進もうという風にやってきました。異例といわれることに関して、そんなに特別感はありません。一歩一歩、自分のやるべきことをやっていきたいと思います」
森井の前に道はない。森井の後ろに道はできる。18歳の若武者は、必ずや世界最高峰の舞台で成り上がり、後に続く日本選手のパイオニアとなる。