画像はイメージです仕事をするなかで実力をつけ、フリーランスとして活動する人は珍しくない。荒川敏行さん(仮名・50代)もその1人だ。ただ、一寸先は闇。思いもよらぬ理由で独立を後悔する羽目になったのだという。
◆順調に出世するも管理職は肌に合わず…
学生時代からパソコンが好きで、システムエンジニアになる夢を抱いていた荒川さん。新卒時の就活はまさに氷河期を迎えていた世代だが、無事第一志望のIT会社から内定をもらえたそうだ。
「入社後はプログラミングに熱中し、トントン拍子に出世することができたんです。新しい技術を得ることが楽しく、長時間の作業も全く苦にならなかった。気がつくと会社では1番の技術者と言われるようになり、45歳で部長に。昇進後は、マネージメント業が中心となったんですが、これが肌に合わなくて……。言うことを聞かない、技術力が低い、仕事のメンバーをまとめられないといった、部下の指導法に頭を悩ませる日々でした。これ以上の出世も望めず、『もう一度好きなプログラミングがやりたい』と思うようになったんです。そこで会社の設立を念頭に入れ、フリーで活動することを決意。妻も理解してくれたため、早期退職することにしました」
◆激務をこなすうちに脳梗塞で入院
53歳で晴れて独立を果たした荒川さん。当初のうちはいたく順調にことが進んだという。
「得意先に退職の挨拶をしたところ、前の会社でお世話になった人々から仕事の依頼が複数入りまして。『全て自分でやらなければいけない』というプレッシャーはあったものの、滞りなく納品がし続けられました。ありがたいことに良い条件で『うちに来ないか?』と言ってくれる会社もあって。前職と変わらないくらい稼げていたので、早期退職して良かったなと心から思っていました」
フリーの技術者として充実した日々をおくっていた荒川さんに、突然不幸が襲いかかった。
「ある日意識がプツっと切れ、気がついたら病院のベッドで……。私は仕事のことが気がかりで、妻に聞くと『そんなことは気にしないで。脳梗塞で死ぬ寸前だったのよ』と告げられました。納期が迫っていた仕事もあったので、こうしてはいられないと思い、『すぐに仕事をしなきゃ』と起き上がろうとしたのですが、どうにもこうにも動けないんです。後遺症が残ると、SEの仕事ができなくなるかもしれないし、会社員ではないので働いていない間は収入も入ってこないし……。命は助かったけれど、仕事という生きがいを取られたような気がして、絶望的な気分になりました」
◆体力の衰えや病気までは予想できなかった
その後、残念ながら仕事に戻ることはできなかったという。その時の後悔をこう語る。
「私は這ってでも働きたいという気持ちだったのですが、身体が言うことを聞いてくれない。医師からはリハビリで最低3週間程度は入院が必要と言われて、頭が真っ白になりました。思えば部長としてのマネージメント生活から一変、現役SEとして、納期厳守で深夜まで作業することも多く、老体にムチを打って仕事をしていた。いろいろと無理がたたって、病に倒れてしまったんだろうと思いました。
病院で過ごすうちに、自分の命を心配してくれる妻の存在がありがたいと感じるようになりました。思えばフリーになってからは私が仕事最優先で、妻と旅行に出かけることはもちろん、顔を合わせて会話をすることもなかった。本来なら離婚されてもおかしくないのに世話をしてくれるわけで……。一度は死んだ身ですし、家族を大事にすることにして、会社の設立も諦めることにしました。
早期退職をしていなければ、脳梗塞にならなかったかもしれないという後悔はあります。自分の技術力や人脈には自信があったし、実際上手く行っていたけれど、体力の衰えや病気までは予想できなかった。会社員のままなら、休職という手段もあって、収入ゼロにはならなかっただろうし……。後の祭りですね。とりあえずしばらくゆっくりして、この状態でもできる仕事を探してみるつもりです」
早期退職にはさまざまなリスクがつきまとう。とくに高齢でフリーに転身する場合は、体調や身体の衰えも考慮する必要がありそうだ。
<TEXT/佐藤俊治>
【佐藤俊治】
複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など