
シェフィールド・ウェンズデイ
初瀬亮インタビュー(後編)
ヴィッセル神戸で、継続してレギュラーに定着できない状況を受け、2022年のシーズンが終わったあとには、あらためて自身の体を見つめ直し、死に物狂いで自主トレと向き合ったという初瀬亮。その効果が明確にプレーで表現されたのが、2023、2024年だ。
左サイドバックに定着するなかで、2023年に8アシスト1ゴールの数字を残すと、2024年にも7アシストという記録をマークしてJ1リーグ連覇に貢献を見せる。その過程では、百戦錬磨の先輩選手に大いに刺激を受けた。
「試合に出続けていると、シーズン中はどうしてもコンディション調整を第一に考えがちですけど、僕より上の、(酒井)高徳くんやサコくん(大迫勇也)、ヨッチくん(武藤嘉紀)たちって、もうめちゃめちゃトレーニングをするんです。何ならハードな連戦中でも練習して、ジョギングして、ストレッチして終わり、ではなく、筋トレなどで少し刺激を入れてからクラブハウスをあとにしていました。
その姿を見て、あるいは話を聞かせてもらって、自分なりの調整方法を見つけられるようになったのも、継続してピッチに立てるようになった理由やと思います。たとえ連戦でも『このタイミングでウエイトのトレーニングを入れれば、疲労が残らんな』とか、理想的に体を動かすために、刺激を入れておくべき体の部位も明確になってきて、それがパフォーマンスにも変わっていった。
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そんなふうに偉大な先輩たちの、まさに"量を質に変える"姿を間近で学べたことは、自分のキャリアにも大きく影響した気がします」
話を戻そう。
そうやって自信を膨らませながら、プロキャリアも10年目を数える節目のシーズンに海を渡る決断をした初瀬だったが、契約は難航した。
練習参加から3日目の時点では、シェフィールド・ウェンズデイのクラブGMとダニー・レール監督には高評価を得て「獲得したい」と伝えられたものの、前編にも記したとおり、他国の選手獲得にも同時に動いていたことも影響してか、予定していた練習参加期間を過ぎてもなかなか契約書は提示されなかった。
「1月31日に移籍ウインドウが閉まっても、僕は無所属の選手なので『移籍はできる』というのもあったし、最後の最後まで『自分はこの契約を勝ち取れる』と信じていたので、不安はなかったです。大好きなサッカーで、人生をかけたギャンブルをしているような感覚もあって、『生きてるなー!』ってヒリヒリ感もありました。もし話がなくなっても『胸を張って帰国すればいいだけや』とも思っていましたしね。実際、ヴィッセルのチームメイトが心配して連絡をくれるたびに、そう伝えていました」
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そうしたなかで一気に話が動いたのは、2月に入ってからだ。あまりにも話が長引いている状況もあって、いったんは日本に帰国することも考え始めた矢先の、ヨーロッパの移籍ウインドウが閉まる当日の2月3日に、ウェンズデイから正式なオファーが届く。
「絶対に、この契約を勝ち取ってやるという覚悟で乗り込んだので、日本を発つ時もスパイクひとつとかではなく、私服とか、生活に必要な身の回りのものは全部、こっちに持ってきていたんです。だから、すぐにここでの生活を始められます(笑)」
最後まで心の支えになったのは、家族だったと明かした。
「小さい頃から、僕は家族にいろんな我慢をしてもらってサッカーをしてきました。兄貴には行きたい私立の高校があったのに、僕のサッカーにお金がかかるからと公立高校に行ってもらったし、高校3年の時にも親父には『プロになれなかったら、大学に行かせる金はもうないぞ』とはっきり言われていました。
つまり、本当に家族が少しずついろんなことを犠牲にして僕のサッカーを支えてくれたおかげで今の自分があるからこそ、プロになってからはずっとお金にもハングリーでした。いつも『お金を稼いで、家族を幸せにしたい』ってことが自分の活力になっていたし、それは今回も同じでした。
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しかも、今回はプラス、自分の夢を叶えることも目指していたので。家族のため、自分の夢のためにチャレンジできるなんて、こんな幸せなことはないって思えていたことも、自分を信じて頑張れた理由だと思います。あと、マネジメント事務所の田崎(洋平)さん。この1カ月近くずっとそばでサポートしてもらって、ほんまに心強かった」
すでに登録は終わっていて、いつでも公式戦に出場できる状況だが、公式戦から2カ月ほど離れていたため、監督には「まずは試合を戦うコンディションをしっかり高めてほしい」と伝えられているという。
「あらためてここに身を置いてサッカーをするようになって、海外で戦う厳しさを実感しています。いろんな人に話は聞いていたけど、聞くのと体感するのとでは全然違う。
ロッカーだってJリーグのほうがきれいやし、ピッチコンディションも日本のほうが断然いい。雪が積もってグチャグチャな日はポイントが芝に埋まって足を取られる、みたいなこともしょっちゅうです。そりゃあ、ここでサッカーをしてたら、強くなるわ、と。みんなフィジカルも強いし、技術も高いですしね。その環境で自分は何を示せるのか、毎朝、ワクワクしながら練習場に向かっています」
意識しているのは、ダニー・レール監督にも評価を受けた左右両足のキックといった"自分らしさ"で勝負すること。"自己主張"も不可欠だと考えている。
「正直、今の時点で走力やフィジカルは他の選手より足りていないと思ってます。ただ、技術のところ、キックの精度では誰にも負けていないと自負しているので。監督にも、クロスボールの質や、ビルドアップ時に相手の守備をかいくぐるプレーは求められているからこそ、自分の強みで勝負していこうと思っています」
通訳はあえて、つけていない。日々、自分にはどんなプレーができて、どんなプレーをしたいのかを、自分でチームメイトに伝えていくことに気持ちを注いでいる。
「こっち来てすぐの練習ではボールが出てこなかったりもしたけど、そこで『出せや!』ってキレてからは(笑)、普通にパスをもらえるようになりました。僕は、そこまで流暢に英語を話せるわけではないので、感情を露わにする場面では日本語でまくし立てているんですけど、意外とそれが効果的です(笑)」
あとは、わからないことをわからないままで放置しないことも、自分に課しているという。
「練習参加の時から、戦術ミーティングなどでわからないこと、理解できないことがあったら、そのつど、監督に直接、聞きに行っています。それですべてが解決するとは思っていないし、僕の語学力を伸ばさなアカンのは間違いないけど、そうやって気持ちの面で縮こまらないのは、すごく大事やと思うから。
それはチームメイトに対しても同じで、言葉がわからないからしゃべらない、理解できないのにやりすごす、ではなく、わからなくてもガシガシ相手に入っていくし、反応がなくても自分からみんなに声をかけています。小さいことやけど、朝の挨拶もまずは自分から。『おはよう』なら絶対に通じるんで(笑)。
そんなふうにこの1カ月を過ごしてきたからか、加入が決まった時にチームメイトが『ようやくか!』みたいに喜んでくれたのはうれしかった」
そして、気持ち。ヴィッセル時代のチームメイトにも、海外で戦い続けている同世代にも、口を揃えて一番大事だと言われたそれは、今後も長く海外で勝負することを目指せばこそ、不可欠だと言葉を続ける。
「移籍が決まってからも相談に乗ってもらっていた高徳くんやサコくん、ヨッチくんら先輩方にも報告の連絡をしたんですけど、みんな、最後は気持ちだと。『思っている以上に厳しい環境に直面するやろうし、理不尽なこともめちゃめちゃあるやろうけど、ほかにベクトルを向けるのではなく、すべては自分次第やと思って頑張れ』と。
アカデミー時代から仲がいい律(堂安/SCフライブルク)にも、『最後は結局、気持ち。技術はみんなほぼ変わらないだけに、あとはどんだけ闘って、どんだけやれるか』だと言われました。ほんま、僕もそこだけやと思っています」
背番号は28に決まった。実は、移籍に際して繰り返し相談に乗ってもらっていたヴィッセルの酒井高徳と同じ24をつけたかったらしいが、すでに他の選手がつけていたため、今シーズンは28を背に戦うことになる。
「家族やいろんな人に支えられて、実現できた海外移籍を、いつか人生を振り返った時に『行ってよかった』と思えるターニングポイントにするために、とにかく全力で、やり抜きます」
自身のなかに息づく父の教えや、何度も自分を救ってくれた恩師の言葉を今一度、強くリマインドして、初瀬亮のイングランドでの新たなキャリアが始まった。「死に物狂いで頑張った」先にある未来に、どんな自分を見出せるのか。その挑戦に胸躍らせながら。
(おわり)
初瀬亮(はつせ・りょう)
1997年7月10日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪のアカデミーで育ち、2016年にトップチームに昇格。2019年にヴィッセル神戸に移籍。同年9月にアビスパ福岡へ育成型期限付き移籍をするも、2020年にはヴィッセルに復帰。2023シーズンにはレギュラーに定着し、同シーズンと2024シーズンのJ1連覇にも貢献した。2025年2月、イングランド2部のシェフィールド・ウェンズデイに完全移籍。念願の海外でさらなる飛躍が期待される。