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24年9月から週プレNEWS(集英社)で、小田原ドラゴン先生が、新連載漫画『堀田エボリューション』をスタート! というわけで、小田原先生がどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのかをジックリ語っていきます。
連載第7回は、初めて自身の描いた作品が漫画誌に載ったときのこと。
* * *
1997年、春。僕は漫画家への道を駆け出します。
その日の夜も、僕はいつものように愛車ギャランを走らせ、近隣を徘徊していました。自宅に戻ったのは午前0時前ぐらい。母親から「留守電が入っているよ」と言われたのを覚えています。
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留守電を再生すると、『僕はスノーボードに行きたいのか?』が週刊ヤングマガシン(講談社)の月間新人漫画賞・奨励賞を受賞した、と伝える男性の声が流れてきました。声の主は、のちに初代担当編集者となるMさん。
その声を聞きながら僕は、《やっとここから抜け出せる》と安堵しました。高卒、無職の自宅暮らし。友達も恋人もおらず、自分が何をやりたいのかさえもわからなかった。そんな苦しい日々に終止符が打たれたからです。
自分と向き合い、好きなこと、やりたいことを見つけ、作品作りに打ち込んだ。そして、漫画家の切符をつかみ取れたんです......。
翌日、僕は迷いなくMさんに連絡を入れました。
同年5月。僕の人生2作目の作品『僕はスノーボードに行きたいのか?』がヤングマガジン増刊号赤BUTA(講談社)に掲載されました。誌面を見て驚いたのは、自分の作品だけ絵が恐ろしく下手だったこと。描き始めて2ヵ月ですし、完全な独学なのでアレですが、それにしてもひどかった(苦笑)。
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同年、夏。僕は兵庫県神戸市の繁華街・三宮で、講談社の人たちに会います。週刊ヤングマガシンの編集長とMさんらです。実は週刊ヤングマガジンで連載していた『攻殻機動隊』の士郎正宗さんが神戸の方だったので、その打ち合わせの後で、僕と顔合わせという感じになったようです。
前にも書きましたが、僕は人見知りで人付き合いも苦手。しかも、当時はまだしがないフリーターだったのでお金もない。講談社の編集者と会えた喜びよりも、会食のお会計が割り勘になったらどうしようかとヒヤヒヤしていて......話の内容は全然覚えていません(笑)。
いずれにせよ、ここを起点に僕の人生は嘘みたいに激変していくのです。
《つづく》
撮影/山本佳吾
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