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横浜国立大学在学中からマスコミに登場して、マルチタレントとして幅広く活躍している眞鍋かをり。ブログが人気となって「ブログの女王」と呼ばれたこともある。当時はまだ珍しかった高学歴タレントの一人でもあった。
【写真】大河ドラマ「べらぼう」にも出演、風間俊介の名字の由来
この「眞鍋(真鍋)」という名字はルーツがはっきりしている。その場所は瀬戸内海に浮かぶ真鍋島である。岡山県と香川県のちょうど真ん中あたりに位置している島で、現在は岡山県笠岡市に属している。
港には石積みの堤防があり、のどかな漁村の佇まいを残している他、風情のある本浦の街並みなどは岡山県が「ふるさと村」に指定しており、「瀬戸内少年野球団」など映画のロケ地にもなっている。
さて、真鍋島という名前の由来は「真南辺の島」だという。
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これは備中国小田郡の南端にある島という意味で、後に「真鍋」という漢字をあてたと考えられている。そして、平安時代にこの島に移り住んだ一族が、島名をとって真鍋氏を名乗ったのが祖である。
真鍋氏は島内の真鍋島城に拠って水軍を率い、近くの北木島・飛島・六島も支配していたと伝える。源平合戦の際には平家方に属し、『平家物語』に弓の名人として登場する「備中国の住人真名辺(まなべ)四郎・真名辺五郎」は真鍋一族の武者であろう。
真鍋氏は、この島を拠点として周囲に広がった。
四国では讃岐国山田郡の国衆として知られる真鍋氏がこの一族。戦国時代、向城(高松市木太町)に拠って香川氏に属した。この真鍋氏は「真部」とも書く。
現在の大阪府南部にあたる、和泉国日根郡の国衆の真鍋氏も備中真鍋島の出と伝える。戦国時代は豊臣秀吉に仕え、江戸時代は紀伊藩士となった。
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また、秀吉の根来攻めの際に秀吉方についた紀伊国国衆の真鍋氏も同族らしい。こちらは江戸時代は徳島藩士となっている。
こうして真鍋氏は瀬戸内海沿岸各地に広がっていき、現在でも「真鍋」は瀬戸内海沿岸に多い。特に眞鍋かをりの出身地である愛媛県東部から、香川県西部にかけて激しく集中している。
◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら、実証的な研究を続ける。NHK「日本人のおなまえっ!」にコメンテーターとして出演中。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。
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