
西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第37回 マテウス・クーニャ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今回は、プレミアリーグのウォルバーハンプトンで活躍するブラジル人FWマテウス・クーニャです。2月1日のアストン・ビラ戦で、独特のフェイントから決めたゴールが話題になっています。
【マランドラージェン】
プレミアリーグ第24節ウォルバーハンプトン対アストン・ビラ(2−0)、アディショナルタイム97分のゴールが圧巻だった。カウンターアタックで抜け出したマテウス・クーニャがDFをどうやって抜いたのか。リプレーで何回見てもよくわからない。
ウルブス(ウォルバーハンプトンの愛称)のエース、クーニャは13ゴールでプレミアリーグ得点ランク7位(第26節終了時)。チームは17位と降格圏すれすれだが、クーニャの活躍は光っている。第25節のリバプール戦でも67分に見事なミドルを叩き込んだ。
|
|
アストン・ビラ戦の不思議なゴールは縦パス1本でクーニャが抜け出すところから始まった。フィールドの半分を駆け抜け、追いかけてきたDFをいったん止まってターンでいなす。そして向き合って1対1。よくわからないのはここからだ。
ペナルティーエリア内右寄りでDFと対峙したクーニャは内側の左方向へ進むと見せて右足アウトで右側にボールを動かした。しかし、クーニャの体は左方向へ流れていて、右足も大きく左側へ踏み出している。ボールと体の動きが逆方向なのだ。
対峙していたDF、さらにカバーに入っていたDFのふたりとも、クーニャの体のほうに釣られる。その瞬間、クーニャは逆の右方向へターン、ワンステップでシュートを叩き込んだ。
ボールと体の動きがバラバラ。これができるのはたぶんブラジル人だけだ。ブラジル人しか見た記憶がない。
ペレはこれの名手だった。ロナウジーニョもうまかった。直近だと、バルセロナのラフィーニャがラージョ戦(第24節)の前半にやっている。左サイドでDFと対峙すると、左足の裏で右へボールを引きながら、体は左へ倒す。すぐに左足で反発ステップを入れて、右側へ動いて外した。
|
|
ブラジルではマランドラージェンと言うらしい。
【状況を一変させるインスピレーション】
マランドラージェンはエラシコのようなサッカーの技の名前ではない。意味はマリーシア(ずる賢さ)とほぼ同じ。
マランドラージェンはマランドロから来ているようで、マランドロ(malandro)はmal=悪、andro=男だから、悪人とか悪漢ということになるわけだが、そこまで悪い意味で使われていない。マランドロのステレオタイプは、カーニバルによく登場する白スーツ、白帽子で踊る伊達男である。
マランドロには金がなく、粋なヤサ男だがダメ男のイメージらしい。大それた悪事を働く雰囲気は皆無で、せいぜい結婚詐欺くらいだろうか。その立ち姿はステージ上のマイケル・ジャクソンを思い浮かべてもらえばいいかもしれない。
ブラジルでは「腰技がある人」という言い方もあるそうで、不利な状況を有利に変化させられる人を指す。そのへんがいろいろ重なって、ある種のフェイトモーションをマランドラージェンと呼ぶのかもしれない。
|
|
どういうのがマランドラージェンで、ジンガで、マリーシアなのかは正直よくわからないのだが、これらがブラジルサッカーの重要な要素なのは間違いない。
よくわからないフェイントモーションから得点したクーニャは、もちろんブラジル人。
ただ、ユース年代はコリチーバでプレーしていたが、プロデビューはスイスのシオンだった。その後もライプツィヒ、ヘルタ・ベルリン(以上ドイツ)、アトレティコ・マドリー(スペイン)、現在のウルブス(イングランド)とずっと欧州。アンダー世代のブラジル代表ではあったが、欧州でキャリアを積んできた。典型的なブラジル選手というより、1990年代以降に急速に増加した欧州移籍に適したタイプのアタッカーと言える。
ブラジルのプレーヤーは欧州人と比べると小柄なタイプがほとんどだったが、大型化したのがロナウド、リバウドの世代から。その後カカー、ロナウジーニョ、アドリアーノなど大型FWが欧州で活躍した。欧州のフィジカルに対抗できる選手が意識的に育てられてきたわけだが、クーニャもその流れにあり、コンタクトを恐れずよく走り、守備も献身的に行なう。それでも咄嗟に繰り出す意外性のあるプレーは、やはりブラジリアンだった。
【独特のずれで抜き去る】
クーニャがアストン・ビラ戦でみせたドリブルは、ボールと体の動きが逆になっているところがポイントだ。
通常、フェイントはボールと体が一緒に動く。イングランドの伝説的ウイングで、フェイントにその名がついているスタンレー・マシューズの有名なモーションも、ボールを左へ動かしながら体も左へ、その後にボールとともに体も右へ動く。シザーズはボールを動かさないで足でボールをまたぐが、抜く時はボールと体は一緒である。
ところが、クーニャの場合はボールと体が別の方向へ動いてから、体がボールに追いついていく形で抜いている。そこにボールがないのに、ボールをまたぐような動き方をしていて、この不協和音的なずれが面白く、ブラジル人独特でもあるわけだ。
右足裏でボールを左方向へ引きながら、左足で外から内へまたいでボールを左方向へ流していく「オコチャ・ダンス」で有名なジェイジェイ・オコチャはナイジェリア人だが、ブラジル風だったかもしれない。ボールと体は逆方向だ。ただ、ブラジル人のそれと比べると若干、力業(ちからわざ)感はある。ブラジリアンはもう少しさりげないイメージだ。
ブラジルの選手も、かつてのようにひと目でブラジリアンとはわからなくなってきた。ヨーロッパナイズされていて、体格も大きく、プレーぶりも欧州人と変わらないタイプが多くなった。それでも時折、ブラジルらしさを見せてくれる。
もとは英国のフットボールがブラジルに伝えられたのだが、ブラジルでいつのまにか別の球技に変わった。ブラジルのフチボウは英国のフットボールとは似て非なるものと言っていいくらい、技術も考え方も何もかも違う。現在は互いに近くなってきたけれども同じにはならないだろうし、なってほしくないとも思う。
連載一覧>>