「介護疲れが背景にある“介護殺人”や“介護心中”の事件は、平均して年間40件にのぼるという調査もあります。ほとんどが老老介護におけるもので、60歳以上の親族が加害者となっています。今後、介護サービスを受けられない人が増えた場合、家族の負担が増し、同様の事件が増える可能性は否定できません」
そう警鐘を鳴らすのは、鹿児島大学教授で、社会保障問題に詳しい伊藤周平さんだ。“年間40件”ということは、およそ9日に1度の頻度で介護殺人や心中事件が起きていることになる。
先月9日には、2022年に介護中の母親(当時92)の首を絞めて殺害したとして殺人罪に問われていた東京都在住の男性(61)に、懲役4年の実刑判決が下った。
「この男性は、認知症の母親と2人暮らしでした。彼は、フレンチシェフだったそうですが、母親が要介護5に認定されたことがきっかけで離職。母親の年金で生活しながら介護に専念する中で貯金が底をつき、経済的にも追い込まれたことが犯行動機の一因になったとみられています」(全国紙記者)
ほかにも、2024年11月には、神奈川県に住む男性(84)が、要介護者の妻(81)を絞殺。歩くのもおぼつかなくなった妻の介護を続けるなかで、「先を悲観して」の犯行だったという。
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同様の悲惨な事件は後を絶たない。介護をする人が、なぜそこまで追い込まれてしまうのだろうか。
■政府の目標は“介護離職ゼロ”だが…
介護殺人に関する裁判を傍聴してきた介護ジャーナリストでオールアバウトガイドの小山朝子さんは、事件の背景をこう推察する。
「介護殺人や心中に及ぶ動機は、複合的です。特に男性の場合は、人に相談できず1人で抱え込みがちに。さらに、介護離職や近年の物価高による『経済的な困窮』も要因のひとつとなっています」(小山さん)
親の介護によって仕事の両立が困難になり、やむをえず離職をする“介護離職”は深刻な問題だ。
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「政府はかつて“介護離職ゼロ”の目標を掲げていました。しかし減少は見られず、むしろ微増しています。現在でも、年間約10万人が親族の介護を理由に離職しているのです」(前出・伊藤さん)
加えて、介護サービスの自己負担率上昇も追い打ちをかけている。
「介護保険制度が始まった当初は、すべてのサービスは基本的に1割負担でした。しかしここ20年の間に、所得に応じて2〜3割負担に引き上げられているのです。介護離職等で定期収入が途絶えた場合などは、たとえ1割負担でもきつく、サービスの利用を控える方も増えています」(前出・小山さん)
たとえば週に2回デイサービスを利用すれば、その間だけでも家族は休息が取れる。しかし金銭的理由でサービスの利用をやめると、家族の精神的・肉体的負担は蓄積するいっぽうになってしまうのだ。
さらに恐ろしいのは、介護サービスを受ける側の経済的理由のみならず、サービスを提供する側にも大きなひずみが生じているという実態だ。
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東京商工リサーチのデータによれば、2024年の「老人福祉・介護事業」の倒産件数は172件と過去最多になった。いままでの倒産件数と比べても、急激に増加していることがわかる。このうち約半数が、在宅での介護を支える訪問介護事業者(81件)だ。
「NPOわかば」(東京都世田谷区)の代表でケアマネージャーの辻本きく夫さん(74)も、「3月をめどに訪問介護サービスを休止する予定だ」と肩を落とす。
「私自身も高齢ですし、とにかくヘルパー不足で求人を出してもまったく応募がないためです」
「NPOわかば」では、介護保険が始まった2000年から訪問介護サービスを提供してきた。
「多いときは80人ほどの利用者がいましたが、現在は10人。サービスを受けたい人が減ったのではなく、人手不足のため定員を減らさざるをえないんです」(辻本さん)
介護職員の人手不足は深刻だ。厚生労働省の試算によれば、介護を必要とする人が十分なサービスを受けられるようになるには2040年度までに介護職員を約57万人増やす必要があるという。
しかし、実際には真逆の減少が進んでいる。同じく厚生労働省の調査によれば、’23年度の介護職員数は、前年度比2万9千人減少で212万6千人に。介護需要とともに増え続けてきた職員数が、はじめて減少に転じたのだ。
なかでも、在宅介護を担う“ヘルパー不足”は深刻で、有効求人倍率は14.14倍と高止まり。ヘルパーの平均年齢も50〜60代と高齢化しているーー。
「こんなに人手不足が深刻化しているにもかかわらず、国は手を打つどころか、昨年訪問介護の基本報酬を2%以上引き下げたのです。待遇が下がったのですから、現場の人手不足が解消されるには程遠い状況です」(前出・伊藤さん)
これらの理由から、昨年、訪問介護を中心に事業者の倒産が加速したと考えられる。前出の小山さんによれば、実際に、ヘルパーが突然来なくなるという事態も多く起こりうるという。
「いつも来ていたヘルパーが突然来なくなると、認知症の利用者は不安を感じ、穏やかに過ごせなくなることもあります。次のヘルパーがすぐに見つかるとは限りませんし、仮に見つかっても、信頼を築くまでには時間がかかります。その間、家族には大きな負担がのしかかるのです」(前出・小山さん)
ギリギリのところで耐えている介護者にとっては、こうした負担も、介護殺人などの引き金になりかねない。
出の辻本さんは、もともとは昨年6月に訪問介護サービスを休止する予定だったが「利用者を路頭に迷わせるわけにはいかない」と、すぐに打ち切らずに、今いる利用者を別の事業者に引き継ぐまで、何とかサービスを延長してきたという。人の命がかかっている以上「たとえ赤字でも続けるしかない」と現場の努力にゆだねられている部分もあるのだ。
■90歳一人暮らしでも「訪問介護」足切りの現実
さらに驚くべきは、身のまわりのことが1人でできない独居の高齢者でも、訪問介護が受けられないケースがあるということだ。
NPO法人「暮らしネット・えん」(埼玉県新座市)の代表理事で、訪問介護やグループホームなどを運営する小島美里さんは、こう苦悩を明かす。
「当事業所でも、90歳の独居女性の訪問介護を受け付けられなかったことがあります。その方は、骨折したあと病院でリハビリを受け、自宅に戻ったばかりでした。買い物や掃除が困難なため当事業所にヘルパーを依頼されたのですが、女性の介護度は『要支援2』。人手不足でお断りせざるをえませんでした。ケアマネージャーは、よそもあたったそうですが、『その介護度に充当できるヘルパーはいない』と言われたと……」
ヘルパーが不足していると、家事援助よりも身体介護が必要な利用者が優先されてしまう。その結果、90歳の独居女性であろうとサービスが受けられないという、残酷な事態も生まれてしまうのだ。
一方で人口の少ない地方では、都市部とは違った問題が生じている。全国老人福祉施設協議会の副会長、小泉立志さんは「地方は、利用者の減少によって、訪問介護事業が成り立たなくなっている」と続ける。
「当法人では、岡山県下で高齢者福祉施設や障害者施設等を運営していますが、以前は山間地域で訪問介護事業も行っていました。しかし岡山の山間部では、数年前から高齢者人口が減少に転じ、常勤ヘルパーを雇うと採算が合いません。赤字が膨らんでいき、’18年に訪問介護事業は閉鎖しました」
閉鎖直前にいた利用者はたった5人。皆、同地域の別の事業者に引き継いでもらったという。ニーズがある限り、高齢者を見捨てるわけにはいかないだろう。
奈良県にある人口約2800人の十津川村で、細々と訪問介護事業を続ける社会福祉協議会の職員Aさんも、こう吐露する。
「十津川村は日本でいちばん面積の広い村なので、訪問先に行くまでに車で少なくとも1時間はかかります。1人のヘルパーが1日に何軒も回れませんから、複数の職員を雇う必要があるのですが……。そのためにはある程度の利用者がいないと採算がとれません」
昨年の十津川村の訪問介護利用者は、2年前から2割減って、約60人。昨年の基本報酬2%減も響いているなか、これ以上利用者が減少すると「今以上に赤字が膨らんで、事業の存続が危うくなる可能性もある」という。
「厚生労働省は、事業者が職員に研修を行うなどすると加算する“処遇改善加算”はアップしてくれましたが、それらの加算はすべて職員の賃金にしか充てられません。ガソリン代などの経費には充当できないので、物価高騰が続く限り経営は厳しいままなんです……」(前出・Aさん)
ここまで、介護サービスの中でも特に“介護崩壊”が進みつつある訪問介護サービスの実態を見てきた。「訪問介護サービスが受けられないなら施設に入ればよい」と思った人もいるかもしれないが、それも簡単なことではない。
「立地がよく、比較的低料金の『特別養護老人ホーム』は入居待ちの場合が少なくありません。また、低料金が売りの『有料老人ホーム』は増加しているものの、昨年は倒産も18件にのぼりました。突然、閉鎖されて入居者が取り残されるという事態も生じています」(前出・全国紙記者)
昨年10月、ドクターハウスジャルダン(東京都足立区)という住宅型有料老人ホームが突然閉鎖を発表したニュースは記憶に新しい。現場には、置き去りにされた入居者とともに、使用済みのおむつや、汚れたままの食器などが散乱していたという。
「賃金の未払いを理由に、多くのスタッフが一斉に辞めたことが倒産の原因です。じつに94人の入居者が取り残され、東京都や足立区が急ぎ受け入れ先探しに奔走しました。最終的に次の入居先が決まりましたが、渦中で体調を崩す方もいました」(足立区職員)
このケースは、短期間で手広く事業展開した民間企業の経営の甘さが原因だったと見られている。だが、昨今の物価高と人材不足による経営悪化から、同様の倒産が今後増えることが懸念されている。
このように訪問介護サービスは停止、施設も倒産となれば“介護保険あってサービスなし”の状態になるのも時間の問題だ。サービスを受けたくても生活が困窮していて受けられない。お金はあるが、サービスのキャパシティが少なく受け入れてもらえない……。これらの余波として、介護殺人や心中以上に増えることが予測されるのが、うつなどによる自死だ。
「警視庁の発表によると、年間約2万人の自殺者のうち、介護や看護疲れが原因とみられる自死が令和5年度で348件もあります。介護サービスから漏れる人が増えれば、介護うつによる自死も増加する可能性が指摘されています」(前出・全国紙記者)
こうした悲劇を生まないために、日本はどうすればよいのだろう。
「まずは、介護職員の給与を増やしていくような待遇改善が必須です。そのほか、今の日本にほとんどない家族介護者のケアも不可欠だと考えます。たとえばドイツでは、家族介護者と要介護者の間に就労関係を認め、現金給付を行うことで人材不足と離職による収入減を緩和しています。こうしたことを実現するためには、低所得者ほど負担が大きい介護保険制度ではなく、税金で財源を確保すべきでしょう」(前出・伊藤さん、以下同)
今年は、団塊の世代が全員75歳以上となる“2025年問題”にも直面している。
「国民の約5人に1人が後期高齢者になったわけですから、希望してもサービスが受けられない事態になってきています。今のままでは、すべて実費で支払える富裕層しか介護を受けられない時代になるのも時間の問題です」
介護崩壊は確実に始まっている。今のままでは介護殺人や心中、自死といった悲劇がさらに生まれるだろう。どんな人でも尊厳ある最期を迎えられるよう、国にはしっかりと対応してほしいものだ。
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