映画『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』場面写真(C)ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- Movieアニメやマンガ作品において、キャラクター人気や話題は、主人公サイドやヒーローに偏りがち。でも、「光」が明るく輝いて見えるのは「影」の存在があってこそ。
敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 〜彼らの美学はどこにある?」第55弾は、『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』の中王区・言の葉党の魅力に迫ります。
『ヒプノシスマイク』の世界観のユニークさは、兵器や武力の代わりに言葉で戦うという点にある。マイク片手にリリックを相手にぶつけて、男たちが領土をかけて戦っているわけだが、この世界を支配しているのが女性であるという点も、本作を個性的なものにしている重要な要素だ。
男たちの暴力性から社会を解放するとして立ち上がった女性たちの政党「言の葉党」、その頂点に君臨する3人、東方天乙統女(とうほうてん おとめ)、勘解由小路無花果(かでのこうじ いちじく)、碧棺合歓(あおひつぎ ねむ)が本作における敵役であり、男たちにとっての打倒すべき相手となっている。
女性が支配する世界で男たちに競わせているというのは、現実社会を裏返したような世界観だが、これが本作の面白さを生む重要な要素の一つとなっている。
■女性による支配構造が照射するもの
現実の一般社会において、政治家や企業のトップなど支配的な地位の多くは男性によって占められている。そのため、女性はしばしば客体的な立場に置かれることになる。1985年に男女雇用機会均等法が制定されてから40年目になろうとしているが、男女の平等はなかなか達成されない。
『ヒプノシスマイク』の世界でも、かつては男性が世の中を支配をしていたが、そんな社会に反旗を翻してクーデターを成功させたのが言の葉党だ。彼女たちは女性に優位な社会を作るべきさまざまな制度を改革し、人の精神に干渉する特殊なマイク「ヒプノシスマイク」を配布し、男たちを競わせるディビジョン・ラップ・バトルを主催している。
これは男たちが領土をかけて争う仕組みだが、男たちを争わせることで言の葉党への敵意を逸らすという意味もある。支配層が隷属的な立場の人々を互いに争わせるというやり方は、支配を強化する上での常套手段だ。隷属的な立場の人々が団結して立ち向かってこられるのが支配者にとって一番怖い。分断しているほうが支配しやすいのだ。
昨今、世界のあちこちで分断が問題になり、強権的なリーダーが国のトップに就くような事例も増えてきているが、まさに分断の理論で民衆を割り、敵意を逸らすことでのし上がっている。言の葉党の策略はそうしたものに通じる面がある。
東方天乙統女と勘解由小路無花果にはそれぞれ、男性社会を打倒しようとする動機になった過去があり、信念の下で行動している。男性優位な社会における女性たちの苦しみを背負ったキャラクターとも言える彼女たちの存在が『ヒプノシスマイク』という作品に奥行きを与えていると言える。そして、単純に彼女たちが正義と描くわけでもなく、清濁併せ持った存在にしていることで、支配者に立ち向かう男性キャラクターたちのヒロイックな面を強調することにもつながっている。
■威厳に満ちた出で立ち
言の葉党は軍服を着用している点も注目に値する。軍服は当然、軍事の象徴で力強い印象を与える。威圧的なその風貌が男に支配されない女性像を体現していると言える。その力強さは彼女たちの歌う曲にも反映される。「音と言葉を侍らす その退け男ども」や「お行儀よく首を洗え」などパンチ力のあるフレーズが並ぶ。そのパフォーマンスも支配者としての格を感じさせる威厳に満ちている。
一方で、軍服という点で考えざるを得ないには、軍事における情報戦、プロパガンダだ。プロパガンダは戦争につきものでそれは言葉や音、映像などあらゆる表現を通して行われる。もしくは着ている服さえプロパガンダとして機能させることができる。
『ちいさな独裁者』という映画がある。実話に基づくこの映画で描かれるのは、とある脱走兵が道中、ナチス大尉の軍服を発見、暖を取ろうとそれを着たら、別の脱走兵に本物ナチス大尉と間違えられ、それに味を占めて、自分だけの親衛隊を結成して収容所でとんでもない殺戮に手を染めるという内容だ。
この映画は、軍服が人に与えるイメージについて重要な示唆を与える。脱走兵だった男は取るに足らない普通の青年だったが、軍服が彼を恐ろしいナチス高官に変えてしまったのだ。軍服だけで人は誰かに屈服することがあるのだ。
言の葉党の軍服も威厳に満ちていてカッコいい。そのカッコよさは支配者にとってのプロパガンダツールかもしれない。彼女たちはそうやって、さまざまな形で権力を演出し、人が従うように「洗脳」しているのかもしれない。そして、「ヒプノシスマイク」は精神に直接影響を及ぼすため、実際に洗脳装置として使い得る。
■劇場版の威風堂々としたカッコよさ
現在公開中の『映画 ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』は、6組のチームが競い合い、勝ち残ったチームが中王区を統べる言の葉党と戦うという筋書きになっている。本作は観客の投票制で勝敗結果が変わるため、彼女たちの勝利するパターンのストーリーも存在する。そして、これが最後のディビジョン・ラップ・バトルであることも宣言されており、正々堂々、この国を収めるチームをラップバトルで決めようというわけだ。
映画においても、言の葉党のラップはカッコいい。筆者は本作をメディア向けの試写会で鑑賞したのだが、思わず投票してしまった。正々堂々と支配者として、このラップバトルのときは小細工なしで男たちの挑戦を受ける姿が凛々しかった。負けた男たちも正々堂々と勝負して負けたなら仕方ない、次こそは勝ってみせるとさわやかな表情を見せているのが印象的だった。
言の葉党はもちろん、支配者としての矛盾も抱えた存在だ。テレビアニメ2期では、部下の起こした不祥事を隠ぺいするために男たちと取引するところが描かれたり、さまざまな歪みも抱えている。
支配者はきれいごとだけでは務まらないという、シビアな目線も持ち合わせているのが、言の葉党をユニークな敵役にしている。そして、それが現実の男性中心の社会への意趣返しにもなっている点が本作の面白いところだ。悪役にこそ、作品の哲学が宿るとマンガ家・荒木飛呂彦は言っていたが、言の葉党も『ヒプノシスマイク』の哲学を体現していると言えるだろう。
(C)ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- Movie