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高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第10回
オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第10回は「インコースの重要性」をテーマに語ってもらった。2014年にソフトバンクからオリックスに移籍した際に行なった、「内角革命」の実態。そして内角を投げることを苦手にしていた、意外な「例外」とは。
【ソフトバンクからオリックスへ】
── 高山さんは2013年にソフトバンクを退団後、翌年からオリックスに移籍しています。現役時代には在籍していない、本来なら縁がなかったはずの球団ですね。
高山 ソフトバンクを退団する記事が出たその日に、当時の森脇浩司監督から電話をいただいて「一緒にやろう」と誘ってもらいました。森脇さんはソフトバンクで一緒にコーチをさせてもらったこともあり、丁寧に熱心に指導される指導者と知っていました。プレーヤーとしても指導者としても「守備の達人」でしたね。
── 監督としても守備を重視していたのでしょうね。
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高山 投手陣にも「投げるだけじゃダメだよ」と、守備の重要性を説いていました。
── 2013年のオリックスはリーグ5位。エースの金子千尋投手(現・日本ハムファームコーチ)がいて、西勇輝投手(現・阪神)、ブランドン・ディクソン投手らの先発陣、守護神は平野佳寿投手でした。対戦相手として見て、感じるものはありましたか?
高山 タレントはすごくいると感じていました。その反面、「インコースをあまり使わないな」とも感じていました。
── アウトコース中心の配球に偏っていたと。
高山 ホームベースの外側半分だけの攻めでは、プロの強打者を抑えるのは難しいです。だからオリックスに移った時に「もう少しインサイドを攻められるように練習していこうか」と選手たちに伝えました。もちろん、投手のタイプによって個人差はありますが、基本的にはストライクゾーンの枠のなかで勝負しようと。
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── 配球のこととなると、捕手にも要望を伝えなければいけませんね。
高山 捕手とのコミュニケーションは、バッテリーコーチのいる前で取っていました。もちろん越権行為にならないよう注意はしましたが、裏でコソコソと話すのではなくバッテリーコーチの前で自分の意見を共有することを大切にしていました。
【細川亨の加入でホークス投手陣は激変】
── ソフトバンクでは、細川亨捕手(現・二軍コーチ)がいました。やはりインコースを使っていたのでしょうか。
高山 彼が2011年に西武から移籍してきて、チームは大きく変わりました。彼のリードは、たとえば立ち上がりの3イニングは徹底的にインコースを攻めてエサをまき、残りの6イニングはアウトコース中心に切り替えるとか。時には緩いボールを何球も何球も続けるとか。相手からすれば「しつこいリードだ」と思ったはずです。私も「こんなリードがあるんだな」と勉強になりました。彼のリードには、自信と勇気がありました。
── キャッチャーひとりで、それほど変わるのですね。
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高山 彼の移籍前は、ソフトバンクは西武戦を苦手にしていたくらいです。移籍後は、逆に西武の打者が細川を意識するあまり、迷ったところもあったのでしょうね。時に配球が偏って痛い目にあうこともありましたが、投手陣全体に「インコースに投げられるのが当たり前」という雰囲気をつくった細川の功績は大きかったです。
── どうしてインコースを使えない捕手が多いのでしょうか?
高山 やはり、甘く入ったら長打の危険性があるからでしょう。たとえば東京ドームのように狭い球場だと、長打を警戒して配球がアウトコースに偏る傾向があります。
── 配球がアウトコースに偏ると、なぜまずいのでしょうか。
高山 バッターに「どうせインコースにはこないだろう」と思われて、アウトコースに思いきり踏み込まれてしまいますから。たとえ東京ドームでも、外一辺倒では手詰まりになります。投手のタイプや状況を見ながら、時にはインコースをしっかりと突いて、バッターに「インコースも攻めてくるんだな」と印象づけることが大事だと思います。
【西勇輝は真似できない投手】
── オリックスでインコースの重要性を伝えたあと、どんな変化が見られましたか?
高山 中心捕手のひとりだった山崎勝己は、だいぶ変わったなと感じました。以前まではやや慎重なリードをするタイプに見えたのですが、球場の広さや風向きを見て大胆にリードするようになりました。
── 実際にインコースに投げ込む投手陣には、どうアプローチしたのでしょうか。
高山 捕手からインコースのサインが出た時、「どうしよう」と感じるか、「待ってました」と感じるかでは、全然違います。選手とはキャンプから「インコースを練習しようや」と話をしてきました。ブルペンから実戦形式に入っていくなかで、徐々にインコースの重要性が浸透していったように感じました。
── インコースの使い方がうまかった投手は誰でしょうか。
高山 西やディクソンはインサイドを使えていましたね。特に西は指先感覚がすばらしくて、両サイドにコントロールできていました。
── 西投手は高山さんがオリックスに移籍した2014年以降、3年連続で2ケタ勝利と活躍しました。
高山 私がソフトバンクのコーチだった時、小久保裕紀(現・監督)の引退試合(2012年10月8日)でノーヒット・ノーランを達成された苦い記憶もあります(笑)。横から見るとさほど迫力を感じないのに、不思議とスコアボードにゼロを並べていく投手でした。
── 実際に近くで接してみると、西投手はどんな投手でしたか。
高山 真似できない投手だと感じました。彼はマウンドプレートの一塁側ギリギリに立って、左足を大きく開くセットポジション。そこからホームに向かって左足を踏み出すので、対戦相手の投手と絶対に足跡が重ならないんです。この投球スタイルは、やろうと思ってもなかなかできるものではありません。両サイドをきっちり使えるし、真っすぐもスライダーの質もすばらしかったですね。
【沢村賞投手の意外な弱点】
── 逆にインコースを苦手にする投手もいたのでしょうか?
高山 どうしてもインコースを突けない投手もいました。そこは自分の目で確かめ、捕手から話を聞きながら見極めるようにしていました。やみくもに、投手陣全員に「インコースを使おう」と言っても、その投手の長所が消えてしまったら意味がありません。
── インコースを苦手にしていたのは、誰だったのですか?
高山 金子千尋です。
── そうだったのですね。コントロールがいいイメージですが。
高山 左バッターのインコースには投げられるのですが、右バッターのインコースに投げるのを苦手にしていました。でも、彼ははっきり言って天才です。ホームベースの左半分しか使わなくても、質のいいストレートと多彩な変化球で奥行きまで使って勝負できたんです。私も長くプロ野球の大投手たちを見てきましたが、右バッターのインコースを使わないで大活躍した先発投手は金子以外に記憶にありません。
── 2014年の金子投手は16勝5敗、防御率1.98。同年のパ・リーグMVPと沢村賞を受賞する大活躍でした。
高山 彼は結果を残すだけでなく、チーム内での影響力も大きかったです。西がプレートの一塁側を踏むようになったのも、金子から学んだことですしね。1試合をひとりで投げきるタフさがあって、森脇監督は金子の先発時だけはリリーフの準備を遅らせていたほどです。
── 強力な投手陣の活躍もあって、オリックスは前年の5位(借金7)から2位(貯金18)と大きく順位を上げました。首位・ソフトバンクとは勝率2厘差、直接対決は11勝12敗1引き分けでしたが、古巣への対抗意識は強かったのでしょうか。
高山 そのような感情が入る余裕はなかったですね。2013年はBクラスに低迷したチームでしたから。それ以上に、私の退団報道が出たその日に声をかけていただいたことがうれしかったですし、「オリックスのために」という思いが強かったです。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した