藤澤五月が余裕を失っていた12年前の日本代表決定戦 今なお脳裏に浮かぶ光景とは...

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2025年02月28日 07:21  webスポルティーバ

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連載『藤澤五月のスキップライフ』
14投目:ソチ五輪への道を絶たれた代表決定戦

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』が再スタート。今回は、2013年のソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦での激闘を振り返る――。

【余裕を失っていた自分に、レジェンドふたりの歓喜で気づいた】

 2013年9月、ソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦が札幌市のどうぎんカーリングスタジアムで行なわれました。

 女子は、ちな(吉田知那美)や佳歩ちゃん(小野寺/現フォルティウス)が所属していた北海道銀行フォルティウス(当時)、紗也香ちゃん(吉村/現フォルティウス)がスキップの札幌国際大学、(本橋)麻里ちゃんや(鈴木)夕湖、(吉田)夕梨花がいたLS北見、そして私たち中部電力の4チームが出場していました。

 予選のダブルラウンドロビン(2回ずつ総当たりするリーグ戦)を終えて、私たちは3勝3敗の同率2位。同じ成績のLS北見とタイブレークを戦って勝利し、北海道銀行フォルティウスとの決勝に挑みました。

 とはいえ、各試合について鮮明な記憶があるわけではありません。変なことだけは覚えているもので、大会中にカーリングホールの屋根から水が漏れて試合が中断したことはなぜか記憶に残っています。

 時間が経ってから当時の記事を読んだのですが、中部電力は日本選手権3連覇中で、その年の2月には同じ会場で行なわれた日本選手権でも優勝していました。この代表決定戦も本命視されていたことを「そうだったなぁ......」と、ぼんやり思い出したくらい。

「勝つことだけを考えすぎて、目の前の一投に集中できない部分があった」という自らのコメントも目にしましたが、それを読んでもどこかピンとこない部分がありました。

 それでもやっぱり、負けた瞬間のシーンは、脳裏に浮かびます。

 ラウンドロビンの成績を含めて4戦先勝したほうが日本代表となる決勝の第4試合。確か最終エンドで3点くらい負けていて、ガードストーンも処理されてしまい、最後はサードの弓枝さん(船山/現フォルティウスコーチ)がダブルテイクアウトを決めてコンシード(握手を求めて相手の勝ちを認めること)となったはずです。

 握手を交わしたあと、それまでいいショットがあっても、ミスが出ても、淡々とプレーしていたスキップの歩さん(小笠原/現日本カーリング協会強化部副部長)と弓枝さんが、喜びを全身で表現していたのが印象的でした。

 私たちにプレッシャーがかかっていたのと同様に、あれだけのキャリアのある歩さんや弓枝さんにもプレッシャーは存在していて、それに気づかないくらい私は余裕を失っていたんだと思います。

 その後の記憶はさらに曖昧です。はと美さん(長岡コーチ)やチームメイトと抱き合って、長い時間泣いていました。

(つづく)◆15投目:藤澤五月が「悔しさを忘れないように...」初めてきちんと見た五輪>>

藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年〜2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。

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