家族写真を撮影する「星写真舘」の西村昌也さん。被写体とのコミュニケーションを大切に「最高の一枚」を切り取る=2024年12月14日、福島県相馬市 昨年12月中旬、白を基調とした真新しい内装のスタジオには常に笑い声があふれていた。「天使みたい!」「かわいい!」と声を掛けながらシャッターを切る西村昌也さん(40)は、福島県相馬市で創業100年を超える「星写真舘」の4代目。人生の節目を写真に収める仕事に対し、「成長を見られるのが醍醐味(だいごみ)」とほほえむ。
カメラマンを志したのは5歳ごろ。先代の父・年晴さんが撮影した写真を「ありがとう」と受け取る人の姿を見て、「すごく良い仕事だな」と憧れを抱いた。高校を卒業すると、写真を学ぶため東京都内の専門学校に進学。2年ほど首都圏の写真館で働いた後、2007年に実家の写真館に戻った。
「写真屋どこもやってねえんだ」「帰ってきてくんないか」。東日本大震災後、父の元には遺影の作成を求める声が相次いだ。昌也さんは東京電力福島第1原発事故で一時は避難していたが、震災発生から約1週間後には車で実家に向かっていた。
写真館には、過去に撮影した家族写真のネガが残っていないか訪ねる人や、水にぬれて顔が半分しか判別できない写真を持ち込む人もいた。「大切に作ろう」。パソコンで修正などし、震災後も辛うじて動いた印刷機で完成させた白黒の遺影を渡す日々が続いた。
その数は500枚にも及んだ。悲しみに暮れながら写真を持参した人から数年後、「あんとき作ってくれてありがとね」とお礼を言われたこともある。震災前は写真の技術を磨くことを優先し、「そんなに人の気持ちを考えるカメラマンじゃなかった」と振り返る。地域の人とコミュニケーションを取る中で、良い写真を撮ることだけが写真館の仕事ではないと気づいた。
カメラマンを志したときから抱いた「人を喜ばせたい」という思いは変わらない。現在は市内の小中学校などでの学校行事の撮影に加え、七五三などの節目の日にはスタジオ撮影に力を入れる日々だ。「写真館の役割は(地域の)記憶をつなぐこと」と昌也さん。これからも相馬の今を見守りながら、シャッターを切り続ける。
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家族写真を撮影する「星写真舘」の西村昌也さん。同家族ではマタニティーフォト、お宮参りと撮影し、この日は1歳の誕生日を写真に収めた=2024年12月14日、福島県相馬市
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家族写真を撮影する「星写真舘」の西村昌也さん。「お客さまにとって宝物になるような写真を残したい」と話す=2024年12月14日、福島県相馬市
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「星写真舘」本館の前に立つ西村昌也さん=2024年12月26日、福島県相馬市
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家族写真を撮影する「星写真舘」の西村昌也さん(左から2人目)=2024年12月14日、福島県相馬市