肝が冷えるエピローグ……下村敦史の新刊『口外禁止』AIの罠に嵌められた後に起こる圧巻のどんでん返しーー千街晶之が読む

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2025年03月04日 18:10  リアルサウンド

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下村敦士『口外禁止』(実業之日本社)
■誰しもが陥るかもしれないAIの罠

「あなたの人生、プロデュースします」


  誰とも知れない相手から、こんなメールが届いたらどうするだろうか。普通に判断力のある人間なら、本文も読まずに迷惑メールフォルダに放り込むか、直ちに削除するだろう。しかし、そのメールで自分が直接指名されていたら……。下村敦史の新刊『口外禁止』(実業之日本社)は、そのように始まる。



  主人公は、引っ込み思案な性格の冴えない大学生・金崎恵介。ある日、彼のもとに、冒頭に引用した一文から始まるメールが届いた。世の中のあらゆるデータを収集することで、過去の検索ばかりか未来予知まで可能になったスーパーAI「AI(アイ)ザム」を相棒にすれば、あなたの人生をプロデュースします……という文面はいかにも胡散臭いが、「金崎恵介様」と名指しされているのが薄気味悪い。メールの文面には、今夜のサッカーワールドカップではドイツが勝利するという未来予知が記されていた。果たしてその夜、試合の結果はその通りになった。それだけなら偶然で片づけられるが、その後もAIは試合の結果を予測し続け、それらはすべて的中する。


  これで恵介はAIの能力をころりと信じてしまうのだが、実はこの未来予知は、本書で提示される数多くの不可解な謎の中でも、難易度で言えば最も低い。似たトリックを使ったミステリの先例もあるので、ミステリファンはこの謎をわりと簡単に解いてしまうのではないだろうか。しかし、恵介がこんな初歩的トリックにあっさり引っかかってしまうような、カモにされやすい性格であることも説得力をもって描かれている。


  恵介のもとに送られてきたイヤホンと隠しカメラを装着すると、イヤホンから「ロペ」と名乗る声が聞こえてくる。「AIザム」と協力して人生をプロデュースするという「ロペ」の助言に従うようになった恵介は、男たちに絡まれていた綾音穂香という女性を指示通りに助ける。普段なら女性と口を利くのが苦手な恵介だが、ロペの指示通りに言葉を発することですぐに相手と親しくなった。また、穂香を盗撮しようとしていた男を捕まえるため現れた奈良岡翔とも知り合うことになる。奈良岡は、犯罪者を見つけてネットに顔を晒す「社会制裁系配信者」だった。彼らとの出会いで、恵介の人生は好転してゆくかに見えた。


 恵介・穂香・奈良岡は、穂香の周囲に出没する盗撮者に制裁を加えるべく手を組み、一緒に行動しはじめる。ただし、恵介は自分がロペの助言通りに喋ったり行動したりしているという秘密を、穂香や奈良岡に隠し通さなければならない。


  やがて3人は良識の一線を踏み越え、結果としてとんでもない事件に巻き込まれてゆくのだが、彼らの軽率さを笑うのはたやすい。しかし、AIの言うなりの恵介や、薄っぺらい正義感に突き動かされる奈良岡のような人間は、あなたの周りにいないだろうか。いや、あなた自身が彼らのようではないと、果たして断言できるだろうか。


  著者は長篇の『同姓同名』(幻冬舎文庫)や『アルテミスの涙』(小学館文庫)、短篇集の『逆転正義』(幻冬舎)などの作品で、表層的な情報だけを根拠にした正義感を満足させるために、SNSなどで個人や組織をバッシングする人間を批判的に描いてきた。本書の恵介たちは、被害者であると同時に加害者でもある。自分たちのやっていることを正義だと信じ込み、しかもSNSなどの誰にでも扱える武器を手にした時、人間はいともたやすく、全く自覚なしに加害者となる。


  罠にはめられ、追いつめられた3人は、ついに逆襲に転じるのだが、ここからの連続どんでん返しは圧巻だ。冒頭で、未来予知の謎についてはすぐ答えがわかると書いたけれども、それ自体は作中の謎のごく一部でしかない。従って、そこを容易に見抜けた読者であっても、著者が念入りに仕掛けたサプライズの波状攻撃に翻弄されることは間違いないのである。


  最後に浮上する犯罪の構図は、昨今、現実社会でも話題となっているものだ。しかし、本書ではそれが極めて入り組んだかたちで描かれており、たとえ世間によくある犯罪でも首謀者がこれほどの頭脳犯だと、こんなにも恐ろしいことになる可能性があるのかと痛感させられる。


 悪党の正体が暴かれ、恵介たち3人が現実と向き合ってハッピーエンドを迎えたかに見える結末だが、エピローグで明かされる事実には肝が冷える。ここに書かれたことはいずれ実現するのではないか……そんな不安を読者に刻みつけて閉幕する本書は、さまざまな角度から現代社会の陥穽を描いた著者らしい小説である。



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