
高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第11回
オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第11回のテーマは「外国人選手の生かし方」。2014年からオリックスの投手コーチとしてかかわったブランドン・ディクソンを例に、外国人選手との接し方を語ってもらった。
【本音を聞き出すための対話】
── これまでのシリーズでも、高山さんには外国人選手とのコミュニケーションを重視する理由(第6回)や、繊細な感覚の持ち主のブライアン・ファルケンボーグ投手との接し方(第7回)を語ってもらいました。今回は2014年〜2015年、2018年以降のオリックスコーチ時代にかかわったディクソン投手について、語っていただきます。NPBでの8年間で通算49勝34セーブを挙げた、欠かせない戦力でした。
高山 そうですね。インサイドも使える投手でしたし、先発にリリーフに活躍してくれました。
── ディクソンとの信頼関係は、どのように築いていったのですか?
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高山 まずは話を聞くようにしました。
── 話を聞く?
高山 ディクソンは物静かな男でしたが、彼が何を考えているのか、どんな本音を持っているのか聞き出そうと、あれこれ話しかけるようにしていました。
── どのようなことを聞いていたのですか?
高山 まずは単純に、ピッチングについてでした。彼は日本で成功したい思いを強く持っていて、日本野球へのリスペクトもありました。外国人選手のなかには、残念ながら日本のプロ野球を下に見ている選手もいますが、彼はそうではなかった。「日本でもっといい成績を残したい」という思いを感じましたね。
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── 日本で活躍するためにはどうすればいいか、というアプローチですね。
高山 彼の投げるメカニズムについて、配球について、基本的な考え方について、そのつど聞いていきました。頭のいい投手でしたから、スムーズにコミュニケーションが取れたと思います。
【コーチになって生きた留学経験】
── コミュニケーションは通訳の方を通してですか?
高山 基本的にはそうです。「ちゃんと訳してよ」と冗談を言いながら(笑)。
── 言語や国籍が違っても、話していくとだんだんほぐれていくものですか。
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高山 それは自分ではわからないですね。そもそも私は外国人選手に対する違和感を持っていなかったので。現役時代の1984年と1986年にアメリカ留学をさせてもらって、日米の文化の違いをはっきりと体感することができましたから。コーチになってからは、その経験が生きたと感じています。
── 日本式を強制するのではなく、まずその人物を理解することから始めるということですね。
高山 過ごしてきた文化も考え方も違うのですから、戸惑うのは当然です。以前にもお話ししたように、その選手の根本的な部分を理解しないことには始まりません。
── ディクソン投手は2016年の小サイトのインタビューで、高山さんについてこうコメントしています。一部引用します。
<日米を通して、僕が指導を受けたなかで、彼は最もすばらしいコーチのひとりです。彼は僕のすべてを変えようとしたわけではなく、まず僕がどんなピッチャーなのかということを理解しようとしてくれて、その上でいいところを伸ばそうとしてくれました。自分のピッチングスタイル自体は、日本に来てからそんなに変わっているわけではありません。でも、精神的にはすごく成長したと思います。以前よりも打者を理解できていると思うし、場面によって的確に判断できるようになってきました>
── まさにコミュニケーションを通して信頼関係を築いたことが伝わってきます。
高山 ディクソンがそのように考えてくれていたとは、うれしいですね。私も彼のようなクレバーな選手と出会えて幸せでした。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した