押井守『イノセンス』原作コミック『攻殻機動隊』とはどう違う? ポイントとなる「人形」への感情移入

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2025年03月07日 12:10  リアルサウンド

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『イノセンス』4Kリマスター版が、2月28日から2週間限定で劇場公開

 劇場公開から20周年になるのを記念して、『イノセンス』4Kリマスター版が、2月28日から2週間限定で劇場公開されている。この映画は原作コミック『攻殻機動隊』の1エピソードを下敷きとしているものの、並べて見るとかなり味わいが違う作品だ。


◾️押井作品の中でもエンタメ寄りで分かりやすい


 『イノセンス』がベースとしているのは、コミック版『攻殻機動隊』のエピソード「ROBOT RONDO」である。ストーリーの大筋は映画とほぼ同じ。愛玩用ロボット「トムリアンデ」が暴走し、人間を襲う事件が頻発。公安9課のバトーとトグサは事件を追うが、その裏にはロボットメーカーの非人道的な製造プロセスが隠されていた……というお話である。


 が、それ以外の味付けは大きく異なる。『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』で草薙素子に去られたバトーのウェットな孤独がより浮き彫りになり、(監督の趣味もあって)バトーの飼い犬ガブリエルにより「犬」の要素が加わった。さらに暴走した「人形」へのフェティシズムやハッカー・キムが仕掛けた迷宮のような擬似現実、陰鬱な2032年の世界や択捉経済特区のアジア的祝祭空間など、原作から変化したポイントも多い。


 さらに言えば『イノセンス』は(押井作品にしては珍しく)エンターテイメント方向に振った作品でもある。ストーリーに難解さはほとんどなく、引用が多用されたセリフには戸惑うかもしれないが、素直に見ていけば内容はちゃんと把握できる。紅塵会事務所の襲撃シーンやロクス・ソルスのガイノイド製造プラントへの突入シーンなど、直球のアクションシーンも満載。なにより、終盤で素子がバトーの前に出現し、共にガイノイドの群れと戦うシーンはエモーショナルだ。初めて見た時、押井映画としては意外なほど直球のエンターテイメントだったので、かなり驚いた記憶がある。


◾️コミック版「ROBOT RONDO」と比較


 そんなウェットでエモーショナルな『イノセンス』にくらべると、コミック版の「ROBOT RONDO」はずっとドライだ。そもそも原作『攻殻機動隊』は『マイアミ・バイス』のようなリアル寄り連続刑事ドラマのような味わいが濃く、「ROBOT RONDO」もその1エピソードといった趣がある。


 原作では、暴走した美少女型ロボット「トムリアンデ」に襲撃されるのは軍人の殿田大佐だ。さらに同じトムリアンデ型の暴走が頻発。高位の軍人が襲撃されたことからテロの疑いがあるため、公安9課が調査を開始するも、早々にトムリアンデの暴走は一般的な事故であったことが判明する。が、トムリアンデの内部にはSOSのサインがあった。誰がなんのために残したサインなのか突き止めるため、トグサとバトーの2人が製造元の阪華精機を調査するも、2人の目の前で阪華精機の出荷検査部長が狙撃されてしまう。狙撃犯を拷問したバトーは、阪華精機の犯罪行為の手がかりを得る。


 『イノセンス』と比べるとバトーとトグサのやりとりもグッと軽妙。先輩であるバトーと、反抗的な後輩のトグサがともに捜査にあたるという、バディもの的な面白さがあるエピソードでもある。話の中に素子は登場するものの最初と最後だけであり、途中の捜査はバトーとトグサが担当していることから、素子が姿を消した後を描く『イノセンス』のベースとなったことも納得だ。


 『イノセンス』とこの『ROBOT RONDO』には相違点が数多く存在するが、最も大きなポイントは「人形」に対する取り扱いだろう。『イノセンス』は孤独な生活を送るバトーが人間性の拠り所としている存在として「犬」を設定しており、その犬と同列の存在として登場するのが「人形」である。どちらも、そもそも人間が人間であるとはどういうことかが再定義された時代に人が拠り所とする存在。作中でその重みは等価だ。「人間は本質的に孤独であり、犬か人形に依存しなくては生きていけるはずがない」という半ば開き直りのようなメッセージが込められた作品であり、それに『イノセンス』というタイトルを付けるとは、言いも言ったりという感じである。


 その重みが込められているのが、ラスト付近のバトーのセリフだ。ゴーストダビング装置から被害者の子供を助け出したバトーは、子供達が助けを呼ぶためにゴーストをダビングされた人形を暴走させていたことに対して、感情を込めたセリフを吐く。曰く「犠牲者が出ることは考えなかったのか。人間のことじゃねえ。魂を吹き込まれた人形がどうなるか考えなかったのか」である。バトー、完全に人形に感情移入しちゃってるじゃん……。助け出された少女にしても身勝手ではあるのだが、他に方法もなかったはず。「だって、私は人形になりたくなかったんだもの!」と泣き崩れてしまう少女の姿が、なんだか不憫である。


 一方、「ROBOT RONDO」の同じ部分では、バトーのセリフはずっと常識的である。引用すると「被害者が出るとは考えなかったのか?」「8体のトムリが要人襲撃1件 殺人2件 障害12件 その他 山ほど軽犯罪を犯した」「お前達がやらせたんだ わかってるのか!?」というものだ。少女の返答も「そんな! 先に 私達に悪いことしたの 外の人達だもの……」というものになっており、「そりゃそうだけどさあ……」「どうすればよかったんだろうね……」とやるせない気持ちになるやりとりだ。


 「ROBOT RONDO」のバトーは『イノセンス』に比べるとグッと常識的で、「ロボットに感情移入しまくっているヤバいサイボーグ」という言動は皆無。犯罪を防止するという自らの仕事に忠実なセリフを口にしている。これはおそらく、原作と映画版での「常識」の書き換わり方に違いがあることが原因だ。


◾️原作版とは大きく異なる物語の雰囲気


 漫画版『攻殻機動隊』では、テクノロジーによる現実の変化自体にはなんの疑いも存在しない。人々はほとんど享楽的といっていいほどあっけらかんと身体改造や電脳空間を受け入れており、どこまでが人間か、どこまでが自分かといった悩みを持つ段階はとうに過ぎている。一方で電脳化を拒むキャラクターもちゃんと配置されており、「どこまで自分の体を機械化するかは自分の勝手」「技術による変化を社会の前提にして、楽しむべきところは楽しみ、取り締まるべきところは取り締まる」という考えが作中の常識となっている。そういうルールの中で犯罪と戦うプロフェッショナルの姿を描いたのが、原作版だ。登場人物がウジウジ悩まず全体的にノリが明るくてドライだから、時折挟まれるコメディタッチな描写も違和感なく馴染むし、素子が人形使いと一体化する終盤の展開にも悲壮感はない。


 一方で映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』や『イノセンス』作中での常識のありようは、まだまだ我々の社会に近い。義体化され電脳化された人間は、いったいどこまで人間なのか……という問いに対して、ず〜っと考えあぐねている状態である。おまけに『イノセンス』のバトーは素子に去られ、よりウジウジした状態になっている。漫画版ではそんな問いはすでにほぼ人類全員が通り抜けているし、バトーの素子に対する感情も「頼れる同僚」くらいの温度感だ。原作とはドライさが全然違うし、映画版は「常識」の温度感が現在の人間社会に近い。


 原作漫画では「常識」が書き変わってしまっているからこそ、バトーはトムリアンデを暴走させた少女に極めて常識的なセリフを言う。ロボットや義体化に妙な感情移入をする人間はこの世界にはおらず、ロボットはロボット、あくまで工業製品であるというドライな常識が隅々まで浸透している。だからこそバトーは「犯罪を防止する」という自らの職業的視点から、暴走したロボットが犯した犯罪と人的被害にフォーカスしたセリフを少女に叩きつけた。ロボットや人体に対する常識が根本的に我々と異なる原作漫画の作中において、「ロボットを暴走させる」という行為には「犯罪」以上の意味がないのである。


 しかしウェットに悩み続けるバトーが主人公の『イノセンス』では、ロボットや犬に対して過剰な意味づけがなされ、最終的に「人間なんかより、望まないのにゴーストを吹き込まれた人形の方がかわいそう」という結論に達してしまっている。作中の常識や登場人物の感覚がより我々に近いぶん、逆に「どこまでが人間でどこからがロボットか」という線引きが曖昧になり、ロボットの暴走という犯罪に対して過剰な反応が引き起こされ、かなり過激な結論が導き出されたのだ。


 そうなると、『イノセンス』冒頭に引用された『未来のイブ』の「われわれの神もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」という一節は、実によくこの映画のメッセージを捉えている。この「愛が科学的でもいいだろうが! 人間より人形に感情移入してもいいだろうが!」という開き直りが、この映画のストレンジな味わいになっていると思う。


 あらためて両者を鑑賞すると、「同じストーリーをベースにしてるのに、よくもまあここまで違う結論になるものだ……」という気持ちになる。個人的には享楽的でハイテンションな原作版のテイストが好きだが、ジメジメした悩みから強烈な開き直りをかます『イノセンス』の結論にもグッとくる。4K版上映によって初めて『イノセンス』を見たという人も、原作版を是非とも読んでほしい。両者の間に横たわる「作中の常識の差」に、きっと驚くはずだ。


(文=しげる)



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