羽生結弦が『notte stellata』に込めた鎮魂の祈り 野村萬斎と創造した新世界にどよめき

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2025年03月09日 07:40  webスポルティーバ

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『羽生結弦 notte stellata』レポート

【念願だった野村萬斎との共演】

「とにかく......なんだろう、今日が千秋楽なのかなっていうぐらい、全体力と気力を使い果たしました」

 羽生結弦は、静かに、ゆっくりと話し始める。

「それくらい一瞬も気持ちを切らさずに、この会場で滑っているメンバーと全員で『3.11』やいろんな災害に対してできることを、"何かのきっかけになるように"と願いながら、祈りながら滑らせていただきました」

 3月7日夜、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ。自身が座長を務めるアイスショー『notte stellata(ノッテ・ステラータ)』の初日を終えたばかりの羽生は、言葉を丁寧に選ぶように語った。

 東日本大震災の発生からまもなく14年となる。地元・仙台で自らも被災した羽生が、人びとが笑顔になれるような希望を届けたいとの思いで『notte stellata』を2023年に初開催。イタリア語で「満天の星」を意味するタイトルは、震災後、停電で真っ暗の街から見上げた美しい星空に希望を感じたことから名づけられている。

 3年目となる今回は、スペシャルゲストとして狂言師の野村萬斎を迎えた。萬斎が安倍晴明役で主演を務めた映画『陰陽師』の楽曲を使用した『SEIMEI』は、羽生の代名詞ともいえるプログラムで、10年前にふたりは対談もしている。萬斎との共演は、このショーの立ち上げ当初から羽生の強い念願だったという。

【狂言とフィギュアスケートのコラボで新境地】

 フィギュアスケートと狂言のコラボレーションは、観客を新境地へと誘(いざな)ったーー。

 2部構成のショーは、羽生が金メダルを獲った2018年平昌五輪のエキシビションでも演じた『notte stellata』からスタート。オープニング後にマイクをにぎった羽生は、「僕たちここにいるスケーターが、一人ひとり輝きながら、皆さんにとっての星になれるように演技していきたいと思います」とあいさつした。

 その後、国内外の豪華スケーター陣がそれぞれに熱演すると、1部ラストでひとつ目の佳境を迎えた。萬斎が鎮魂と再生への思いを込めて2011年に初演した、狂言と舞踏音楽を組み合わせた演目『MANSAIボレロ』が、氷上で披露されたのだ。

 スケートリンクの特設舞台で狩衣(かりぎぬ)をまとった萬斎が舞い、その舞台を取り囲むかたちで羽生をはじめ、シェイ=リーン・ボーン、宮原知子、鈴木明子、無良崇人、田中刑事の6人のスケーターが演じた。

 萬斎の力強い足拍子に呼応していくように、次第に曲はテンポアップし、踊りも激しくなっていく。そして、最後には萬斎と羽生が同時に高く跳んだ。すると会場にはどよめきが響きわたり、観客は総立ち。大きな拍手が、しばらく鳴り止まない。

 会場のアリーナは震災当時、遺体安置所となった場所だ。萬斎は演技後、「感極まりそうになりました。始まる時に一瞬、霊感ではないですけど、皆さんのなにか魂を感じるというか、思いが私に乗りかかってくるというか。そういうものを背負うのも、狂言に携わる者の使命のような気もして、自分の使命みたいなものを再認識させていただきました」と振り返った。

 萬斎によれば、最後の跳ぶ演出は「死からもう一回、次の生へ飛翔する」という思いが込められている。生きるうえでのさまざまなものごとを抽象的な概念としていき、「人間の一生が垣間見える」ような演目に仕上げたという。

 震災をきっかけに生まれた『MANSAIボレロ』は、羽生が萬斎とのコラボを望んだ大きな理由のひとつだ。羽生は、萬斎とともに積み重ねてきた練習を振り返り、「この共演でしかできない『ボレロ』になったのではないかなという手ごたえはありました」と話した。

「現実になってみると、まだ夢のようにふわふわした感覚では正直あるのですが、萬斎さん、野村萬斎という存在を受け入れるに値するスケートやショーの構成に近づけたのかなと思えてはいます」と、羽生は共演の喜びを語った。

【オリンピック並みの緊張感】

 そして、2部の冒頭では、『SEIMEI』でコラボを果たした。萬斎が『陰陽師』の安倍晴明に扮して登場し、「天・地・人」「出現、羽生結弦」などのかけ声によって"式神"の羽生を召喚する。そんな演出に、再び会場は大きく盛り上がる。

"晴明"萬斎がリンクの周囲を演舞しながら疾走し、"式神"羽生は氷上で研ぎ澄まされた滑りを見せて華麗な高難度ジャンプを連発。そうして、リンクに灯っていく呪符の五芒星をすべて完成させ、鎮魂を祈った。

「とにかく緊張がすごかったです。『SEIMEI』に関してはとくに、(萬斎の)威厳のようなものを常に背後から感じながら、決してミスをすることができないというプレッシャーとともに、本当にオリンピックかなと思うぐらい緊張しながら滑りました」

 そう語った羽生は、晴明から"役割を与えられた式神"を演じるなかで、いつもとは違う特別な思いを抱いていたという。

「なにかひとつ役割を与えられて、そのひとつの役割をこなして......というような物語を2人のなかで想像しながら、構成を練ってきました。今までの『SEIMEI』の感覚とは違って、ちょっとこじつけかもしれないですけど、自分が今、『notte stellata』というアイスショーに出演させていただいていることとか、自分が生きていることの役割とはなんぞやと、あらためて問われているような気もしました」

 一方の萬斎は、「羽生さんが『陰陽師』を本当に好きなんだなって思いましたね。ちょっとオタクなのかもしれないですけど、僕より詳しくて」と冗談まじりに話す。『SEIMEI』を通じて、10年前の邂逅から羽生の成長を感じたとも言う。

「あの頃は僕としゃべっている時に、彼のなかに内包されているものなんだけど、まだ言語化されていなかった。それが多少、私の言葉も含めて、今までの経験などでだんだんに殻が破れて芽が出て、まさしく今、花開いているな、と」

 報道陣からそんな萬斎の言葉の一部を聞いた羽生は、「ほど遠いので、精進いたします」と謙虚に返したが、一方でこれまでの経験を糧に「しっかり気を張って、プロのスケーターとして、ぶつかっていけるように心がけました」と、充実した表情も随所にのぞかせた。

【"職業、羽生結弦"が背負うもの】

 初日にもかかわらず、「全体力と気力を使い果たした」との冒頭の言葉どおり、今回の『notte stellata』へかける並々ならぬ思いが、羽生から出演スケーター、そして萬斎へと伝播している。

「"こんなにやりきってくれるんだ"っていうぐらい、他のスケーターたちも出しきってくださって。あの野村萬斎を、息が切れるほど走らせる人はたぶんいないと思うので。本当に恐れ多いのですが、萬斎さんも全力で『SEIMEI』を演じきってくださっていて......。応えてくださる萬斎さんの力量、器みたいなものに、またあらためて尊敬しています」

 全身全霊を注ぎ込むショーに羽生は、こんな思いを込めている。

「(観客が)立って拍手や声援を送ってくださる姿を見て、"この場で生きてらっしゃるんだな"ということを『notte stellata』だからこそ感じられて。僕らが震災の時に立ち上がっていけたように、その絆みたいなものがどんどん広がっていってくれたらうれしいなという気持ちでいます」

「職業、羽生結弦」。自身を「職業、野村萬斎」と名乗る萬斎は、羽生についてもそう呼んだ。「彼なりのなにか非常に大きなものを背負っている」「ますますなにか彼のできることを成し遂げていくのだろう」とも、共演のなかで萬斎は感じたという。

 それぞれの道を極めるふたりだからこそお互いに感じ取る"なにか"がある。夢のコラボレーションは3月9日、いよいよ真の千秋楽を迎える。

(文中敬称略)

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