チャンピオンズリーグで神セーブ連発のアリソンを見たか リバプールのパーフェクトGKはバロンドール候補

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2025年03月10日 07:20  webスポルティーバ

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西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第39回 アリソン・ベッカー

 日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。

 今回は、リバプールとブラジル代表の守護神、GKのアリソンを紹介。チャンピオンズリーグのパリ・サンジェルマン戦での神セーブ連発が話題になりました。

【人生で一番のゲームかもしれない】

 GKがバロンドールを受賞したのは1回しかない。1963年のレフ・ヤシンだけ。当時、ディナモ・モスクワに所属。「黒蜘蛛」というニックネームが有名なのは黒いシャツを身に着けていたからだが、ゴールネットを背にして獲物(ボール)を待つ姿が蜘蛛に見えたのかもしれない。シュートストップの反射神経は驚異的で、ディフェンスラインをカバーしてペナルティエリアを飛び出すプレーも見せていたという。

 1973年にはディノ・ゾフ(ユベントス)が2位だった。こちらは「ゴールに鍵をかけた男」。イタリアのカテナチオを象徴するGKだった。2001年はオリバー・カーンが3位。2006年はジャンルイジ・ブッフォンが2位。2014年はマヌエル・ノイアーが3位だった。2006年のブッフォンは惜しかったと思う。イタリアのドイツW杯優勝の立役者のひとりだが、受賞したのはチームメートのファビオ・カンナバーロだった。

 史上ふたり目のバロンドールを受賞するGKは現れるのだろうか。もし、実現するならば候補の筆頭はおそらくアリソン・ベッカーだろう。

 チャンピオンズリーグ・ラウンド16の第1戦、パリ・サンジェルマンのホームに乗り込んだリバプールは1−0で先勝した。しかし、このスコアからは信じられないくらいリバプールはピンチの連続。アリソンは8本のシュートを防いでいるが、ほとんどは決定機だった。

 ホームのパリSGは立ち上がりからボールを支配。リバプールはプレスをことごとく外され、後退を余儀なくされている。リバプールは得意のカウンターアタックも封じられ、前半のシュートは10対0。パリSGのウスマン・デンベレ、フビチャ・クバラツヘリア、ブラッドリー・バルコラの3トップは、ポジションを入れ替えながら個人技でリバプール守備陣を圧倒。20分にはクバラツヘリアが見事なシュートを決めるが数センチのオフサイドでノーゴールとなる。

 30分、至近距離からのデンベレ、バルコラの連続シュートをGKアリソンが防ぐ。確かにこの時点でアリソンは神がかっていたが、パリSGのワンサイドゲームを無失点で終えられるとはとても思えなかったものだ。

「おそらく人生で一番のゲームかもしれない」(アリソン)

 後半もアリソンはパリSGのシュートを止めまくり、リバプールは87分にハーベイ・エリオットがワンチャンスをゲットして勝利。決勝点は交代出場のエリオットだが、この試合の武功第一は紛れもなくアリソンである。

【非の打ちどころのないパーフェクトGK】

 GKはポジションがひとつしかない。どのポジションより競争は熾烈だ。

 アリソンの最初のライバルは兄のムリエウだった。インテルナシオナルでは兄のバックアッパーとしてスタート、やがて正GKの座をつかんだ。するとブラジルのレジェンドであるジーダが移籍してきた。ここでも控えからポジションを獲得した。移籍したローマでもヴォイチェフ・シュチェスニーとポジションを争った。ちなみにシュチェスニーはいったん引退していたが、先ごろバルセロナで復帰して活躍中だ。

 リバプールでは最初からレギュラーとして迎えられている。すでに世界有数のGKとして実力を認められていた。

 アリソンにできないことはない。シュートストップは超人的。ハイクロスに強く、足下の技術にも優れている。ロングフィードの飛距離と精度はすばらしく、モハメド・サラーに何度かアシストのパスを送っている。終了間際に値千金のヘディングシュートを決めたこともある。

 非の打ちどころのないパーフェクトGK。これほどの正統派は南米のGKとしてはむしろ珍しいかもしれない。

 ブラジル代表では1994年アメリカW杯優勝のGKクラウディオ・タファレルに似ていると言われるそうだ。ブラジル代表GKとして最多出場記録を持ち、PKストッパーとしても有名だったが、派手さよりも堅実さが際立っていた。2021年からリバプールのGKコーチを務めている。

【クセが強い南米の歴代GKのなかで...】

 タファレルのように安定感のあるタイプは歴代のブラジル代表にはあまりいなかった。1958年スウェーデンW杯での初優勝時のGKジウマールは名GKとして知られているが、1970年メキシコW杯でのフェリックスは唯一の弱点とも言われていた。ペレ、トスタン、リベリーノ、カルロス・アルベルトなどフィールドプレーヤーが強力すぎたこともあるが、傑出したGKという印象はない。

 1982年スペインW杯でのバウジール・ペレスは敗退の要因のひとつと批判されている。「黄金の4人」を中心に圧倒的な実力を持ちながらの2次リーグ敗退で、スケープゴートにされた感はあるが、やはりワールドクラスという感じはなかった。ただ、タファレル以後は世界トップクラスのGKを輩出するようになっている。

 セレソンの第一GKではなかったが、ロジェリオ・セニは100ゴール以上を決めた変わり種だ。サンパウロではリベルタドーレス杯を3度獲得するなどの伝説的GK。得点はPK、FKからで、キックの精度が抜群だった。

 他国ではパラグアイ代表で活躍したホセ・ルイス・チラベルトがセニ同様にPK、FKを得意としていて、パラグアイ代表として8ゴールを決めている。中米になるが、メキシコ代表GKホルヘ・カンポスはUNAMでチーム最多得点者だった。ただ、カンポスはGKだけでなくFWとしてプレーしていて、フィールドプレーヤーとしての得点である。

 桁外れに変わっていたのがコロンビア代表のレネ・イギータだ。浅いディフェンスラインの裏をカバーするスイーパーGKの先駆だが、ボールを持つと相手FWをドリブルで抜くプレーも再三。自由奔放。あえてリスクを拡大するようなプレーぶりは批判もつきまとっていたが、ある意味現代のGKの先駆者であり、当時の麻薬組織に牛耳られていたコロンビア国民にとっては、危険を逆手にとるような大胆さが熱狂的に支持されていた。

 クセの強いラテンの歴代GKのなかで、アリソンはむしろ地味に思える。地味というより完璧すぎてかえって特徴がないように見えるのだが、史上最高クラスのGKだと思う。パリSG戦のような大活躍があと数試合あれば、史上ふたり目のバロンドールは現実味を帯びてくるが、そんな危うい試合はたぶん本人が望んでいないだろう。

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