
連載第40回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回は、「サッカーが見やすいスタジアム」について。後藤氏が感じる日本で最も見やすいスタジアムはどこか? そしてこれまで世界で体験した「究極の観戦環境」を紹介します。
【ピッチ全体を見られない席は困る】
「悪夢」というものがある。
電車やバスが遅れたり、乗り継げなかったりして約束の時間にどうしても間に合わないとか、道に迷って同じところをグルグル回って目的地にたどり着けないといった、いや〜な夢のことだ。スマホの画面をタッチしてもちゃんと反応してくれないとかいうのは、最近出現した新しいバージョンだろう。
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僕がよく見る「悪夢」には、こんなのもある。
スタジアムで席に座ったのだが、壁とか床とか照明装置などが邪魔でピッチがよく見えないのだ。スタジアム内をあちこち移動して席を探すのだが、ちゃんと試合が見える席がどこにもない。そうこうしているうちに試合が始まってしまった。でも、まだまだ僕はウロウロしている......。
本当にしょっちゅうこういう夢を見る。
実際に、そういう目に遭ったこともある。
なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)の強豪「伊賀FCくノ一三重」の試合を見に、三重県伊賀市の上野運動公園競技場に行った時のことだ。
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メインスタンド中央に本部用の大きな建物があるので、スタンドの北側に座ると南側のコーナー付近が死角になってしまう。逆に、南側に座ったら北側が見えない。
夢の時と同じように僕はピッチ全体を見ることができる席を探し続けた。本部の建物の左右にバルコニーみたいな席があって、そのうちの席の一部からはピッチ全体が見えることをようやく発見したのは試合開始直前だった。
運営者側にとっては使い勝手がいいのかもしれないが、入場料を払った観戦者のことをまったく考えていない。いったい誰がこんなスタンドを設計したのだろう?
【ピッチが見やすい状況とは?】
では、試合が最も見やすいスタジアムはどこだろうか?
僕のお気に入りは、2020年に京都府亀岡市に完成した「サンガスタジアム by KYOCERA」。京都サンガF.C.のホームスタジアムである。
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このスタジアムの記者席は、西側メイン2層目スタンドの最前列にある。席に座ると目の前にピッチ全体が俯瞰的に見えるのだ。
「俯瞰的に」というのがポイントだ。試合全体の流れを見ることができるからだ。
たとえば、国立競技場の記者席もメイン3層目スタンドの高い位置にあるから「俯瞰的に」は見える。だが、あまりに高すぎる。それに、陸上のピッチがあるから水平距離も遠くて、選手は豆粒のようにしか見えない。遠いサイドの選手の背番号も見えないし、細かなプレーまではとても見えない。
最近は各地にサッカーまたは球技専用スタジアムができている。さすがにどこも試合が見やすい。だが、サンガスタジアムは2層目でもそれほど高い位置ではないので、「俯瞰的に」見えると同時に選手までの距離が近くて大変に見やすいのである。
つまり、数式にすると、「(角度)/(ピッチからの水平距離)×(高さ)=(見やすさ)」ということになる。スタンドの傾斜が急であれば水平距離も近くなる。
ミラノのサンシーロ(スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)は世界的な名建築の一つだ。ここの記者席もメイン側2層目の上のほうにあり、まさに「俯瞰的」に見える。スタンドの傾斜も急だし、サッカー専用だから水平距離も近い。しかし、かなりの高さなので選手はやはり小さくしか見えない。
というわけで、僕がこれまで経験したなかではサンガスタジアムが「見やすさ指数」的に最高なのだ。
だが、世界にはもっと"究極の観戦環境"を備えたスタジアムがある。
アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズのホーム、「エスタディオ・アルベルト・J・アルマンド」(通称ラ・ボンボネーラ)だ。
【究極の観戦環境】
ボカ・ジュニアーズはアルゼンチンの首都ブエノスアイレス市の南部、イタリア系の貧しい移民が数多く住むボカ地区にあって、熱狂的なインチャ(サポーター)で有名だ。
「アルベルト・J・アルマンド」は1960年から20年にわたってその職にあった元会長の名。「ボンボネーラ」は「チョコレート箱」の意味だ。急勾配のスタンドに囲まれているので「箱」のように見えるからつけられた通称だ。
スタジアムの北、西、南側の3面は急勾配の2層式スタンドが取り囲んでいる。これだけでも十分に試合が見やすいスタジアムなのだが、東側には5階建ての建物があって、これがVIPやプレス席となっている。垂直の建物だから「スタンドの傾斜角」は90度というわけだ。
僕が初めてここで試合を観戦したのは1995年のことだった。対戦相手はサンロレンソ・デ・アルマグロ。アルゼンチン出身のローマ法王フランシスコもソシオだという、名門クラブだ。ボカではクラウディオ・カニージャがプレーしていた。
割り当てられたのは2階(日本式に数えると3階)の北側の端の席だった。
「俯瞰的」であると同時に、ピッチとの距離はほとんどゼロ。しかも、3階だから高さもそれほどない。まさに究極の観戦環境ということができる。
北の端だったから、身を乗り出すとCKを蹴る選手が真下に見えた。
僕の隣の席には80歳を越える高齢男性が座っていた。試合前やハーフタイムにはまるで眠っているかのようにピクリとも動かなかったのだが、試合が始まると大声で敵を罵り始め、「敵」がCKを蹴りに来ると唾を吐きかけている......。
2001年には、やはりこの"究極の"記者席でリーベル・プレートとの「スーペル・クラシコ」を観戦した。
このVIP用の建物の中央辺りにはマラドーナの部屋があり、試合が始まって10分くらい経った頃、マラドーナ本人が姿を見せた。
すると、スタジアム全体から「マラド〜ン、マラド〜ン」とマラドーナを讃えるチャントが聞えてくる。リーベルのインチャたちも、この時ばかりはボカの連中と一緒にマラドーナを讃えている。しかし、マラドーナ本人は裸になってVIP席の窓から身を乗り出して、ボカのインチャと一緒になって大声でリーベルを罵り続けるのだった。
ちなみに試合は無事にホームのボカが勝利。リーベルのインチャたちはスタンドのあちこちに火を放って帰途に就いた。すると、VIP用の建物の屋上に備え付けの放水銃によって、その炎はあっと言う間に、まるで何事もなかったかのように簡単に消されてしまった......。
それにしても、あのボンボネーラの記者席こそ僕にとっては天国だった......。
【日本でも近い経験が】
ところが、日本でもそれに近い経験をさせてもらったことがある。
川崎市の等々力陸上競技場(現Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu)のメインスタンドが全面改装を行なった時だ。改装中もスタジアムは使用され、取り壊されたメインスタンドとトラックの間の幅跳び走路上に仮設スタンドが造られて、記者席もその上層階に設置された。
つまり、2013年と14年の2シーズンにわたって、等々力にはボカのあの垂直のスタンドに近い角度と距離の観戦環境が実現したのだ(ピッチとスタンドの距離はちょっと遠かったが)。
それより少し前には、FC町田ゼルビアのJ2昇格を前に、町田市立野津田陸上競技場(現、町田GIONスタジアム)でも同じようにメインスタンド改修工事中に仮設のスタンドが造られ、俯瞰的で距離も近い究極の観戦環境が実現した。
新スタジアムを計画しているクラブの方には、ぜひボンボネーラも参考にしていただきたいものである。
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