大川小学校の裏山から校舎を見詰める只野哲也さん=2月7日、宮城県石巻市 東日本大震災の津波で児童、教職員の計84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校の卒業生らが、震災遺構となった同校を訪れた人や地域住民が交流できる拠点づくりに取り組んでいる。任意団体「Team大川 未来を拓(ひら)くネットワーク」代表の只野哲也さん(25)は、悲劇を伝えるだけでなく「未来につなぐ場所にしたい」と抱負を語る。
震災当時、小学5年生だった只野さんは、大きな揺れの後、校庭から橋のたもとに避難する途中で津波を目撃。学校の裏山を駆け上っていたところで津波にのまれた。只野さんは一命を取り留めたが、小学3年の妹を含め多くの友人が犠牲となり、母や祖父も帰らぬ人となった。
母校は、津波の脅威を後世に伝える震災遺構として残されたが、いつしか「悲劇の場所」としての側面ばかりが強調されていると感じるようになった只野さん。「(大川小を)悲しい場所にしたくない。訪れた人たちがまた来たいと思える場所にしたい」と、団体として拠点づくりに着手した。
2022年から、「おかえり」「かがやくいのち」などと書かれた108個の紙灯篭を校庭にともして犠牲者を追悼するイベントを開催。昨年は、初めてキッチンカーを出店し、和やかな雰囲気の中、かき氷や焼きそばを食べながら団らんしたり、子どもたちが駆け回ったりする様子が見られた。
23年5月には、校舎近くの土地を市から借り受け、事務所などに使うコンテナ2棟も設置した。桜の木も植樹し、今後は花壇を設置したり、カフェスペースを作ったりするなど、訪れた人がいつでも立ち寄り、ゆっくりと過ごせる空間づくりを進める計画という。「災害危険区域となり人が住めなくなったが、大川に魅力を感じて、人が入り続ける場所であってほしい」。只野さんはそう願っている。

取材に応じる只野哲也さん=2月7日、宮城県石巻市