
佐藤早也伽(30、積水化学)が2時間20分59秒の日本歴代9位、国内で出た記録としては4番目の好タイムで、9月に行われる東京2025世界陸上代表入りを確実にした(正式な代表発表は3月下旬)。名古屋ウィメンズマラソンは3月9日、バンテリンドームナゴヤをスタート&フィニッシュする42.195kmのコースで行われた。シェイラ・チェプキルイ(34、ケニア)が2時間20分40秒で優勝し、2位に佐藤が続いた。佐藤は課題としていた30km以降でも高速ペースを維持。「いつもより余裕を感じられました。過去の自分を超えられたかな」と、自身の成長を感じていた。
熊崎アナが感じたクイーンズ駅伝との違いクイーンズ駅伝第1中継車を担当した熊崎風斗アナウンサーは、昨年11月の駅伝での佐藤の表情と、名古屋ウィメンズマラソン30km以降の表情の違いに気がついた。クイーンズ駅伝の佐藤は最長区間の3区(10.6km)に出場し、トップでタスキを受けた。
「廣中璃梨佳選手(24、JP日本郵政グループ)や五島莉乃選手(27、資生堂)といったトラックの猛者たちに追い上げられ、前半から速いペースで突っ込まないといけない状況でした。佐藤選手は5kmくらいでもう、キツそうな表情になっていましたね。しかしキツそうになってからもペースを落とさず、押して行く走りをしていました」
佐藤は5.5kmで廣中にリードを奪われ始め、6.4kmで五島にも抜かれてしまった。中継所では100m以上の差をつけられるのではないかと思われたが、2人との差は思ったほど開かない。50m以内の差で4区にタスキをつないだことで、積水化学は5、6区で優勝争いに加わる展開に持ち込めた。
優勝した23年のクイーンズ駅伝3区では廣中に一度抜かれたが、中継所前で抜き返してトップで中継した。そのときも、顔を歪めながらもスピードを上げていた。
「マラソンの30km以降は、駅伝で競り合うシーンと同じくらいキツくなるはずですが、名古屋の佐藤選手は少し余裕も感じられる表情でした。マラソンは5kmあたりのペースが駅伝より1分以上も遅いので、その違いはあると思いますが、一定のペースで押して行く走りをしていましたね。キツくないわけではないと思うのですが、表情の違いにマラソンと駅伝の違い、さらには佐藤選手の成長が現れているのかもしれない、と考えていました」
駅伝の佐藤を最も近い位置から見て、その走りや表情を全国に伝えた熊崎アナの感想を参考に、佐藤にも取材をさせてもらった。
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もちろん佐藤が、自身の表情の違いがわかるわけではない。走っている感覚として、駅伝と今回のマラソンでは次のような違いがあったという。
「駅伝やトラックレースでは思いっきり体に力を入れて、それは固い走りじゃないんですけど、がむしゃらな走りをしています。マラソンでそういった走りをしてしまうと、後半にダメージが出るんです。上半身が固まって動かせなくなってしまうので、苦しくてもリラックスして、楽に押して走るように、というところは意識します。でも今回の名古屋も、40km以降は結構苦しくて、歯を食いしばっていたかもしれませんが」
佐藤は今回が8回目のマラソン。自己記録は22年ベルリン・マラソンで出した2時間22分13秒で、23年のブダペスト世界陸上にも出場した実績を持つ。だが、前述のような駅伝で見せる粘りを、マラソンでは「生かせた実感がなかった」という。今回の名古屋ではどうだったのか。
「粘り強さは出せたと思います。駅伝ではがむしゃらに走って行くことで粘りますが、今回のマラソンではペースを押して行くイメージで粘れた感覚です」
その走りができたのは、30km以降で大きく失速した昨年の大阪国際女子マラソンの反省から、練習メニューの組み方に変更を加えたからだった。「距離を走り込むこと、体がきつい状態でも動かすこと」(野口英盛監督)を意識した練習を行ってきた。
「佐藤のようなトラック種目で強くなった選手は、体が軽いと感じられる状態で走ることを好みますが、12月末以降の1か月で40km走を4本行いましたし、(体が重く感じられる)中2日で10マイル(約16km)や20kmの距離を、マラソンのレースペースで走りました」
過去3年は1月のマラソンに出場してきた。11月のクイーンズ駅伝から間隔が短く、駅伝で上げたスピードを生かしたマラソンができると考えたからだが、後半でペースを落とすパターンが続いた。
3月の名古屋を選ぶことでマラソン練習期間が6週間長くとれる。40km走などの距離走、30kmの変化走などを多く行うこともできるし、長い距離のメニューの間に行う短い距離の練習でも負荷をかけられた。
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年間を通しても、体が重い状態でもレースに出て、そのなかで動かす感覚を体に覚えさせた。クイーンズ駅伝終了後、マラソン練習に入った12月以降で一度も練習を中断するような故障はなかったという。
「40km走の本数も多く走って自信をつけながら、普段のジョグの距離もいつもより増やしてこられました。その上で練習を継続できたことがよかったと思います」(佐藤)
この自信が、代表に決まれば2度目となる世界陸上に向けても、落ち着いて練習を積んで行くことにつながるだろう。
名古屋で結果を出しても「自分が変わったと思っていません」佐藤は前回の世界陸上、23年のブダペスト大会がマラソンの国際大会初代表だった。2時間31分57秒で20位といまひとつの結果に終わった。
「スローペースのマラソンは初めてで、惑わされてしまって力を出せなかったな、という印象です」
23km付近から徐々に先頭と差が開き始めたが、集団の人数が多く、佐藤は引き離されたことがわからなかったという。道幅が狭い箇所が多いコースを77人が走った。下見はしたが、その状況で視界がどうなるかはイメージしようがなかった。給水は手渡しが認められていた大会だが、どう行ったか細かい部分は明確に覚えていないという。
だが東京2025世界陸上では多くの不安要素が解消されているだろう。東京のコースの道幅は、100人前後が一斉に走っても問題ない。「先頭が見える位置で走るようにして、レースに動きがあったときにすぐ対応できるのがいいのかな、というイメージを持っています」
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8〜9月のマラソンも、22年ベルリン、23年ブダペスト世界陸上に続いて3回目となる。試合を練習代わりとして追い込みながら、練習期間を長くとることのプラス面も、今回の成功で実感できた。
「ブダペストで世界との差を感じたので、もっと世界と戦える強い選手になりたいと思いました。もし代表に選ばれたなら、前回できなかった8位入賞を目標に、先頭集団で勝負できる練習を積んで挑みたいです」
そして佐藤自身が、名古屋の走りができても「自分が(マラソン選手として)変わったとは思っていない」ことも、期待が持てる部分だろう。「今までの自分に“脚”、後半の粘りがついてきただけだと思っています」
野口監督が立案する練習内容が変わり、自身が好きだったスピード系の練習とは違うメニューが増えたことも理解はしている。だが、それを特別なこととまでは感じていなかった。「きつい日もあったんですけど、それで涙が出るほど苦しかったとは思っていません。レース後の涙はやっと結果を出せてよかった、という気持ちからでした」。やるべき練習が決まったら、それを日常のこととして全力で取り組む。
代表になったから、世界で戦うから、と特別なことをしようとして失敗するケースは多い。佐藤はその点、仮に東京2025世界陸上に向けて練習を変更しても、今までと同じ感覚でこなしていくだろう。2度目の世界陸上は、普段着の感覚で臨む準備が今回の名古屋で整った。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)