
「鉄オタ息子が小2で不登校になった時、学校に行ってほしくて、路線図刺繍のバッグを作った。
裁縫は苦手なので人生一度きりの刺繍。
教室の席の背もたれにかけておくもので、これをお守りに『席に座っていられるかもしれない』というささやかな願いから。
これは美談ではなく、親の切なる呪いの一例」
鉄道オタクの息子さんのために作った首都圏の電車路線図を刺繍したバッグ。息子さんが不登校になった小学2年生の時、「学校に行ってもらいたい」という親心から手掛けたものだと、3人のお子さんを持つ母親の「川越不登校親の会」さん(@FutoukouKawagoe)がX(旧Twitter)でつぶやきました。
親心を親の切なる「呪い」と表現した「川越不登校親の会」さん…そんな投稿に不登校のお子さんを持つ親御さんや元不登校児だった人たちから共感するコメントが多数寄せられ、話題になりました。
「親子がそれぞれの『あのときの気持ち』を笑顔で率直に語り合える関係になったとき、呪いは愛へと昇華されることも信じられる」
「元不登校児として、呪い(のろい)という言葉が、実にストンと腹落ちしました……目の前にいるのに絶望的に言葉も身振り手振りも通じないが、善意だけは感じる、あの感じがひどく懐かしいです」
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「私は元不登校生でもあるので、この『呪い』の意味が痛いほど理解できます。だからこそ、親子がそれぞれの『あのときの気持ち』を笑顔で率直に語り合える関係になったとき、呪いは愛へと昇華されることも信じられる。一生ものの愛だと思います」
「針の力ですね。子供の着物って小さいので一つ身で出来てしまう。宮参りの着物は大人のように継がなくても良い→背に縫い目がないから、背中から魔物が入ってはいけないと背中に刺繍などでお守りを付けるんです。このカバン自体が心のこもったお守り、呪術だったんですね」
「元不登校児です。小学生で不登校になった時に、私の母も不器用ながらバッグを作って内側にマスコットも縫い付けてくれていました。
当時は使う機会がないものを時間をかけて作ってくれた気持ちが重くてしんどかったですが、今となればあれは母も気持ちのやりどころがなかったのかなと思います」
「ひとりの息子としての僕は、親の思いというのは愛でもあり呪いでもあったなと、ある時に気づきましたが、受け取る側がそう思えるかどうかは、根本的には偶然に委ねるしかないところがあります。バッグ、『愛という名の呪い』というタイトルで作品として出せそうですね。」
「私も娘が劇でオオカミをやりたくないと泣いた時、作りました 楽しめますようにと思いを込めて縫ったのを思い出して、今泣いてます」
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路線図の刺繍バッグを作った時のことや息子さんの反応など当時のことを、「川越不登校親の会」さんに聞きました。
路線図刺繡バッグを目にした時の息子の反応は?
――今回投稿をしようと思ったのは。
「別の過去の資料をパソコンで探していたら、たまたまこの路線図バッグの写真が目に留まりました。『懐かしいな』と胸がキュンとして、思わず投稿しました。このバッグはこの後、息子が何年も使っていたので今はボロボロになっています」
――路線図刺繍のバッグはハンドメイド?
「はい、バッグは全てハンドメイドです。正確には忘れてしまいましたが、作るのに3カ月くらいかかったと思います。普段お裁縫をしないので、このために布や刺繍糸をたくさん買い、無駄も多くてお金もかかっていたかと」
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――バッグを息子さんが目にされた時の反応を教えてください。
「息子は困ったような顔で『地下鉄の交差の上下が違う』というものだったと記憶しています。彼にとっては地下鉄の平面的な広がりと同じように高低差も大事な要素なのでしょうから、刺繍の上下がちがうことに戸惑った様子でした。ただバッグを作ったからと言って、特に息子に変化はありませんでした。今思うと当たり前で、当時の息子にとって学校は恐怖と不安でいっぱいの場所でしたから、親の励ましやお守りで行けるようなものではなかったのだと思います」
――バッグを作った時のことを、今振り返ってどう思う?
「今振り返って思うのは、その時の自分は『親として追い詰められていたな』ということです。このバッグの作成はけして美談ではなく、『子どもに学校に行ってほしい』という親のエゴの表現、自己満足のひとつです。そもそも不登校は問題行動ではありません。この時息子が学校に行けなくなったことは必然であり、最善の選択だったと今は感じています。ある意味このバッグの“呪いの力”がそんなに大きくなくてよかったとも言えます」
母親「不登校への偏見…親や本人の心がけや努力の問題にしてしまっている」
――投稿には、不登校のお子さんを持つ親御さんや元不登校児だった人たちから共感するコメントがたくさん寄せられました。
「今回の投稿にたくさんの方が反応してくださり、ほぼ全部読ませていただきました。肯定的なものも多くうれしかったのですが、これを『愛』だと手放しで言ってしまうのは危険だと私は思っています。その背景には『学校に行けること=子どものためにいいこと』という前提や、不登校を『想い』『願い』『励まし』など、親や本人の心がけや努力の問題にしてしまっているなどの誤解があるからです。不登校は多様な子どもたちの学びを保障できていないという社会の制度の問題です。そしてこれらの不登校への偏見が、現在50万人にも及ぶ長期欠席の子どもたちとその家族を苦しめているものの正体でもあります。
また、不登校に限らず、このような社会問題を『親、主に母親の愛情』の問題にすり替えてきた歴史も、私は見過ごせないと考えています。この投稿を機に息子と路線図バッグの話をしましたが、幸い息子はこのバッグを登校圧力の象徴のようには捉えておらず『いつも使っていた好きなバッグ』という印象だそうです。そもそも小学校卒業までひとりで登校することはありませんでしたので、親の意図した『席にすわっていられるためのお守り』という役割を果たす機会はありませんでした」
――また「親の会」を始められたのは。
「その後、次男も不登校になりまして、せっかくだからと一緒に悩み、考える仲間が欲しくて4年前(2021年)から地域の公民館を借りて親の会を始めました。毎月1回、9時間30分もの時間開いていて、不登校の子を持つ保護者が出入りしています。
また、そこから派生した手芸サークルや、不登校の子の居場所、不登校支援者のかたり場なども行っています。冬にはみんなで焼き芋をしたり、祖父母向けの孫の不登校講座も開いています。子どもが不登校になった時には、すでに心身の状態がとても悪い場合が多いです。そして学びや体験の機会の減少だけでなく、人間関係や経済状況の悪化など、家族はさまざまな困難に陥りやすい状況になります。親の会はそんな苦しい状況の保護者が出会い、安心して今の気持ちを話すことができる場所でありたいと思っています。
情報提供や相談支援の役割も大きいですが、私が目指しているのは、保護者が自分の経験や想いを持ち寄って、お互いの安心を少しずつ保障していく『入口は困りごと、出口はコミュニティ』というあり方です。そして、親が安心できると子どもにもそれが伝わり、だんだん状態は良くなっていきます。そんな不登校の子やその家族の実態を、少しでも多くの方に知っていただけると幸いです」
路線図刺繍のバッグを作ってもらったのは、長男さん。現在20歳になりました。小学校は主に母子登校、中学は不登校、高校からは学校に行くようになったとか。今は地域でプレーパークなど子ども・若者の居場所を作る活動をしながら学童でも働いているとのこと。鉄道好きは今でも変わらずの乗り鉄で、時々フリー切符で各地へ出かけるなど趣味として楽しんでいるそうです。
(まいどなニュース特約・渡辺 晴子)