総合化学メーカーとしてマテリアル、住宅、ヘルスケアと3つの領域で事業を展開している旭化成は、2016年からグループ全体でDXを推進してきた。ビジネス変革、経営の高度化、デジタル基盤強化といった経営革新を、DXによって実現。全従業員4万人のデジタル人材化も進めてきた。
旭化成は経済産業省と東京証券取引所、情報処理推進機構が共同で実施するデジタルトランスフォーメーション銘柄(以下、DX銘柄)に2024年まで4年連続で選定され、DXを実現した国内企業のトップランナーといえる存在になっている。実現できた理由を、上席執行役員兼デジタル共創本部長の原田典明氏に聞いた。
●「デジタルをやらないとまずい」 危機感からDX推進
旭化成が本格的にDXを始めたのは2016年頃からだった。2018年から2020年まで「デジタル導入期」として各部門でDXの基礎を固め、2022年までの2年間は「デジタル展開期」として、グループ横断組織「デジタル共創本部」を設置するなど、全社でDX推進を加速してきた。さらに2024年までの2年間を「デジタル創造期」と位置付け、ビジネス変革、経営の高度化、デジタル基盤強化の3本の柱でDXによる経営革新を実現。全従業員4万人のデジタル人材化を進め、2024年以降は「デジタルノーマル期」に移行している。
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2年ごとに次のフェーズに移行してきたのは、デジタル変革を実現する攻めのロードマップを策定し、計画通りに進めてきたからだ。DX戦略を描いたきっかけの一つは、欧米の競合の状況を見て覚えた危機感からだったと原田氏は振り返る。
「2016年当時、米国の企業では研究開発の分野でマテリアルズ・インフォマティクス(MI)がすでに導入されていました。MIは情報科学やAIを活用して、新素材の開発を効率化する方法です。当時はまだどんなものかも分からなかったのですが、米国では大学の研究室のようなところで次々と新たな素材が開発されていました。もしも最終製品メーカーなどがMIの技術で新素材を作れるようになり、当社の開発力を上回ってしまうと、私たちは下請け的な製造業になってしまう恐れがあります。『デジタルをやらなければまずい』という危機感があり、トップの強い意思もあって、すぐにMIの導入に取り組みました」
きっかけのもう一つは、日本の人口減少だった。旭化成は国内に多くの製造拠点を抱えている。これまでは熟練オペレーターの力に頼ってきたものの、従業員の新陳代謝とともに日本の労働人口が減ることによって、将来的には工場を動かせなくなる懸念があった。
それまでも旭化成の各現場では、デジタル化を地道に進めてはいた。原田氏はERP(統合基幹業務システム)を旭化成で最初に導入するプロジェクトに参画した経験があったほか、2016年当時は子会社の事業部長として、DXの必要性を感じていた。そこで原田氏は、全社で工場のデジタル変革を進めるための組織を本社に提言する。
「国内の工場を動かし続けていくためには、AIやIoTなどの先進的な技術を入れていく必要があると考えました。ただ現場だけで、少ない予算で進めていては限界があります。そこで、全社で工場のスマート化を進める組織が必要だと本社に提言して、2018年に生産技術本部にデジタルイノベーションセンターを作ってもらいました」
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●チームで現場に入って改善し、小さな成果から手応え
デジタルイノベーションセンターのセンター長には、原田氏自身が就任した。センターでは少人数のプロジェクトチームが工場などの現場に入って、生産性を改善することから始めた。最初に取り組んだのは住宅の部材を作っている工場。その具体的な手法は次のようなものだった。
「まずは従業員のヘルメットにセンサーをつけて、動線の解析から始めました。どのような作業をどういうタイミングで実行しているのかなどを分析して、順番の入れ替えや、まとめてできる作業などを、エンジニアリング部門の私たちと、工場のスタッフで毎週顔を突き合わせながら議論しました」
電動ドライバーで部材を留めてその後に検査していたのを、ねじりの強さを表すトルクを検出できるドライバーに変えて検査を不要にする。メジャーで計測してからメモをしていたのを、計測内容が自動的に記録される電子メジャーを使うことでメモを不要にする。こうした小さな改善と、オペレーターの行動を効率化することによって、約1年かけて生産性が30%ほど向上した。
DXが実現できた部署では、開発期間の短縮や品質の向上のほか、設備が滞りなく動くようになるなど、さまざまな手応えを感じた。この成果を社内で発表することによって、DXのプロジェクトは多くの現場に広がった。デジタルイノベーションセンターも最初は数人の組織だったが、2020年には約30人に増員した。成功した鍵は、DXの担当者が現場に入ることだったと原田氏は感じている。
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「デジタルを推進する人間は、オンラインだけでも仕事はできるものの、PCの前にだけ座っていても駄目だと思っています。製造系であれば、工場に入っていって音だとか、匂いだとか、暑さだとか現場の状況を感じて、手触り感を経験することによってはじめて、現場目線でDXを進められるのではないでしょうか」
●全社横断DX成功のポイントは?
旭化成のDXは、2020年の「デジタル展開期」に入って加速する。加速した要因が、同年7月に日本IBMでCTO(最高技術責任者)を務めていた久世和資氏が入社したことだった。久世氏は現在、取締役兼副社長執行役員の職にある。
翌2021年4月にデジタル共創本部を設立。DXの部門を1つの組織にまとめて、グループ横断的なDXの取り組みを可能にした。5月に「デジタルの力で境界を越えてつながり、“すこやかなくらし”と“笑顔のあふれる地球の未来”を共に創ります」と掲げた「DX Vision 2030」を策定し、グループで目指すDXの姿を明確にした。
その際に重要だったのが、デジタル人材の育成だ。旭化成では2018年頃から化学・材料研究者を対象にしたMI教育や、生産製造の技術者を対象にデータ分析教育を開始。2021年には全従業員約4万人を対象にした「デジタル活用人材」の育成と、現場で高度なDXを推進する「デジタルプロ人材」2500人の育成を掲げた。
デジタル人材育成のために導入されたのが、「旭化成DXオープンバッジ」だった。これはITやデジタルイノベーション領域をeラーニングで学べるコンテンツやOJTでの技術取得を、レベル1からレベル5までの5段階で提供するもの。レベル1と2はデジタル入門人材、レベル3はデジタル活用人材、レベル4と5はデジタルプロ人材としてのスキルが学べる。原田氏は、オープンバッジを開発した経緯にも久世氏が関わっていると明かした。
「オープンバッジはIBMが実施していたもので、スキルを可視化するのに優れたツールでした。久世が入社したことで旭化成流のオープンバッジを作ろうということになり、従業員がアイデアを出し合いコンテンツを作成していきました」
「レベル1と2は全従業員の必須科目です。レベル3は市販のテキストレベルで、研究開発分野ではMIの実践やPythonの習得、ビジネス・デザイン分野ではデジタルマーケティングやデザイン思考などを学びます。レベル3までは自己研鑽としてできるだけ多くの従業員に学んでもらいました」
「学びが進んだ要因には、会長と社長が率先して、レベル3まで修了したことも挙げられます。トップが自ら実践して『オープンバッジは旭化成のデジタル化を後押しするためのナッジ』だとメッセージを出したことで、社員に理解が広がりました」
●DXで100億円以上の増益に貢献
デジタル共創本部による全社横断的なDXと、デジタル人材の育成は、旭化成の経営そのものに大きな効果をもたらしている。2022年度からの3カ年中期計画において3つの大きな目標を掲げていた。グローバルでのデジタルプロ人材を2021年度の250人から10倍の2500人にすること。デジタルデータの活用量を2021年度から10倍にすること。そして、重点テーマについて3年間で合計100億円の増益に貢献すること。この3つの目標はいずれも達成される見込みだ。しかも、増益貢献は100億円にとどまらないと原田氏は話す。
「デジタル共創本部が管理しているテーマだけで、100億円の増益を実現できる見込みです。それだけではなく、生産系や研究開発系の現場にいるデジタルプロ人材が自ら取り組みを進めて、品質向上や新製品を生み出す活動を進めることで、全てを合わせると100億円を大きく上回る増益を実現できる予定です。以前は仕事をやり切って『楽しい』と思うところで終わっていたものの、今では会社に利益をもたらすことを意識して仕事をするようになったことが、DXによる大きな変化だと思います」
旭化成ではグループ内外で発生するデータを、高品質に、セキュアに、誰もが素早く活用できるデータマネジメント基盤の「DEEP」を構築し、2022年4月から本稼働している。全社共通のプラットフォームとして、各部門の売り上げや利益だけでなく、工場の在庫状況なども一目で分かる。これまでは計算が大変だった、各工程から排出された温室効果ガスを二酸化炭素に換算して表示するカーボンフットプリントを、システムで「見える化」できるようになった。「DEEP」によって今後、社内はもちろん、社外も含めたデータの活用を進めていく考えだ。
また、生成AIについても、ChatGPTが登場した時から積極的に活用している。原田氏は生成AIの可能性について、こう期待を口にした。
「ChatGPTが登場した時、人間が文章を入れるとその内容を理解して答えを出してくれるのには驚きました。ただ、活用事例は翻訳や要約、過去のデータから何らかの形を作るというものでした。それが、OpenAIの『o1』になると、生成AI自体が思考を持つようになっています」
「今はAIに人間の仕事をやらせていますが、人間よりも賢くなるわけですから、人間ができなかったことを優先してやらせないともったいないですよね。だから私たちも、到達できなかったことをAIで挑戦したい。そのひとつが最適化です。いかに工場を最適に運用するか。需要予測から最適な価格を導き出すか。これまでベテランのオペレーターでもできなかったことが、もうすぐできるようになると思っています」
(ジャーナリスト田中圭太郎)
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