
その昔、ウイングは2タイプに分かれていた。デビッド・ベッカムのようなクロッサーと、ライアン・ギグスのようなドリブラーである。彼らを下部組織から育てたマンチェスター・ユナイテッドは、プレミアリーグ発足後20年、栄華の時間が長く続いた。
だが、近代フットボールにおいて、クロッサーやドリブラーはメインキャストを演じられなくなりつつある。よりゴールに関与できる「ウイングストライカー」こそがトレンドだ。
モハメド・サラーである。ASローマからリバプールに移籍して8シーズン目を迎えた今、ありとあらゆる記録を塗り替えている。
プレミアリーグでは通算184ゴール。アラン・シアラー、ハリー・ケイン、ウェイン・ルーニーといった名だたるアタッカーに次ぐ歴代4位タイのゴール数となった。あと1ゴールでセルヒオ・アグエロを上回る単独4位になり、来シーズン中には3位のルーニーの208ゴールを更新するに違いない。
29節終了時点で27得点17アシスト。ゴール関与数は44に達し、ティエリ・アンリ(24ゴール20アシスト/2002-03シーズン)とアーリング・ハーランド(36ゴール8アシスト/2022-23シーズン)が持つシーズン記録に並んでいる。
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このリーグ記録も抜き去ることは確実で、プレミアリーグが42試合制だった当時にシアラーとアンディ・コール(ともに34ゴール・13アシスト)が記録した「47」も凌駕する公算が極めて大きい。
さらにリバプールで挙げた243ゴールは、イアン・ラッシュ、ロジャー・ハントに続く歴代3位。ヨーロッパのカップ戦における50ゴールはクラブ史上最多と金字塔のオンパレード! 今シーズンはプレミアリーグのMVPどころか、2025年のバロンドールも確実視され始めている。
「チャンピオンズリーグのラウンド16敗退はマイナス材料」との批判も聞こえてくるが、3月15日時点でゴール・アシストともにふたケタに到達しているのは、ヨーロッパ5大リーグ全体を見渡してもサラーただひとりだ。
【3年ぶり2度目のアシスト王も】
バイエルンのハリー・ケイン、アタランタのマテオ・レテギ、バルセロナのロベルト・レヴァンドフスキ、パリ・サンジェルマンのウスマン・デンベレが20ゴールを獲っているとはいえ、アシスト数が物足りない。彼らのなかで最多はケインとデンベレの6。レテギは3、レヴァンドフスキは2でしかない。各リーグとも終盤を迎えており、ふたケタのアシストは難しい。
また、サラーはリバプール加入後、常にふたケタのゴールを刻んできた。8シーズン連続の10ゴール以上はルーニー、アグエロ、ケイン、アンリ、フランク・ランパード、サディオ・マネ、ソン・フンミンとともに、プレミアリーグでは8人しかいない。
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今シーズンもゴールに関与できなかったのは、ノッティンガム・フォレスト戦(ホームとアウェー)とアウェーのクリスタル・パレス戦のわずか3試合だけだ。
ユルゲン・クロップ前監督とアルネ・スロット現監督のアタッキングフットボールにマッチしたサラーがボールを持った瞬間、対戦相手は恐怖と緊張感に苛まれる。巧妙で力強い1対1、ペナルティボックス内に進入してフィニッシュに絡むプレーは、リバプールの最強ポイントだ。
2018-19シーズンと2020-21シーズンを除き、アシストもふたケタに達している。2021-22シーズンは13アシストでランキングトップだ。今シーズンはすでに17アシスト。2位につけるブレントフォードのミッケル・ダムスゴーら3選手は10アシスト。3年ぶり2回目のアシスト王に輝く可能性も高い。
アシスト数が急増している要因は、戦略・戦術の変化である。クロップ体制下に比べると、サラーのプレーエリアはよりゴールに近くなった。サイドに張るよりも全体が見渡せるようになった結果、味方を巧みに使っている。
かつてマネが激怒したようなセルフィッシュな突破(2019-20シーズン4節バーンリー戦。幾度のチャンスにサラーがマネにパスを出さなかった)は少なくなり、32歳にして数段グレードアップしたようにも感じられる。
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【歴代のサイドアタッカーとの違い】
現代サッカーにおける「ウイングストライカー」のプロトタイプはアンリだろう。柔軟なドリブル、左右両足から放たれるテクニカルかつパワフルなシュート、点で合わせる鮮やかなヘディングなど、パーフェクトに近かった。
惜しむらくは、生まれた時代が早すぎた。彼が全盛期を迎えた1990年代後期〜2000年代初頭のプレミアリーグは群雄割拠ではなく、戦略・戦術も洗練されていなかった。
マンチェスター・Uに在籍していた当時のクリスティアーノ・ロナウドも、サイドを主戦場にしていた時期がある。しかし、この男はいい意味でも悪い意味でも自己中心型だ。サー・アレックス・ファーガソンのもとでプレーした6年間のアシスト総数は36でしかなく、一度としてふたケタに届かずレアル・マドリードに去った。
ただ、クラブ内で求められる役割が違うこと、フットボール全体における戦略・戦術が日進月歩であることを踏まえると、他選手とサラーの比較は陳腐かもしれない。
たとえば、チェルシーやレアル・マドリード、バイエルンなどで大活躍したアリエン・ロッベンは、サラーに勝るとも劣らなかった名選手だ。
しかし、所属クラブに有能なゴールゲッターを擁していたため、ロッベンはチャンスメイクに徹するケースも少なくなかった。特にチェルシーでは大外からドリブルを開始し、縦の突破を要求される左ウイングだった。
レアル・マドリードを経てバイエルンに移籍したあとは右サイドに位置し、カットンインしながら利き足の左足を使ってフィニッシュに絡むシーンが増えていった。爆発的なスピード、緩急の使い方、アンフェアなタックルに動じないボールコントロールは、サラーと同等のアタッカーだったと言って差し支えない。
イングランドのスタンリー・マシューズに始まり、ブラジルのジャイルジーニョ、ロベルト・リベリーノ、ユーゴスラビアのドラガン・ジャイッチ、アルゼンチンのレネ・オウセマン、クラウディオ・カニーヒアなどなど、後世に語り継がれる名ウイングは基本的にチャンスメーカーだった。
【年間20ゴール以上が計算できるFW】
トッテナム・ホットスパーでキレキレだったころのガレス・ベイルは左サイドに張るストライカーだったが、レアル・マドリードに移籍したあとは精彩を欠いた。アーセナルのブカヨ・サカ、バルセロナのラミン・ヤマル、レアル・マドリードのヴィニシウス・ジュニオールとロドリゴがスーパースター候補生だったとしても、サラーと同じ土俵に上げるのは早計だ。
サラーは数多くのチャンスを創出し、年間20ゴール以上が計算できるストライカーでもある。エジプト代表の弱体化が彼の輝かしい実績に影を落とし、一般的な知名度も向上しないが、近年の実績には目を見張るものがある。
決して大げさではなく、スフィンクス、ピラミッドに並ぶ「エジプトの三大神秘」であり、フットボールの歴史に名を刻むスーパースターだ。
サラーの前にサラーなく、サラーのあとにサラーなし。