新潟・北越高女子ソフトテニス部を強豪に育て上げ、県総体団体13連覇に導いた津野誠司監督(63)が定年退職する。ジュニア時代から全国で活躍した実績のある中学生を県外からスカウトするのではなく、県内選手を主体としたチーム作りで技術、精神力を伸ばし、18年には全国総体で団体準優勝。4月からは非常勤講師として教壇に立ちながら、部活動指導員という立場で同部の強化を進めていく。
軟式テニスに人生をかけるパワフルな生きざまは、変わらない。津野監督は公立の巻で全国選抜団体3位など輝かしい実績を残し、より競技に特化した指導をするため「当時の校長に直談判した」と10年に私立の北越の監督に就任。県総体は12年から団体V13。うち16、17年は全国総体5位、18年は同準Vへと導いた。
県内出身者主体のチーム作りがモットー。相手を上回る技術はもちろん、追い込まれた場面で強さを発揮する強い精神力を兼ね備えた選手を輩出して来た。軟式テニスはメンタルが重要視される。「弱みは、悪いことでも恥ずかしいことでもない。それを自覚し、いかにコントロールできるかが重要」と話す。
歩んできた道はユニークだ。国学院大卒業後、埼玉大大学院で学びながら国内外を放浪する旅に出て感性を磨いた。教員スタートは87年。岩手の公立中で弱小と呼ばれた女子軟式テニス部を急成長させ、3年後に県王者へと導いた。転勤先ではソフトボール部の顧問になったが「やるしかない」と強豪校に入り浸って育成のコツを聞き出し、研究した。「指導する上で岩手の経験は大きかった」。笑って当時を振り返る。
中学生の指導に面白さを感じたが「学生の青春後期を見届けたい」と93年に新潟に戻り公立高の教員になった。栃尾では大半が初心者の男子軟式テニス部で中越地区優勝。次の新潟東では弓道部の顧問をしながら、「一般公募の役者として舞台に立っていた」と当時はまっていた「演劇部」立ち上げをもくろんでいたが、栃尾での指導実績が校内に広まり「やめるはずだったテニスへ、新潟東の女の子たちに引き戻された」。結果、初心者だった1年生の2ペアが2年後、全国総体に出場した。
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長い教員生活で率いたチームが、なぜ次々と結果を出したのか−。「いる選手の個性を見極め、どう強くさせるかが重要」。4月から少し形は変わるが、北越女子の全国団体初制覇に向け、情熱を注ぎ続ける。
【小林忠】
◆津野誠司(つの・せいじ)1961年(昭36)4月17日生まれ、新潟市出身。舟栄中庭球部、新潟高軟式庭球部。国学院大では軟式庭球同好会。指導者となり、巻高で国体4年連続入賞。新潟国体3位。全日本選手権8強。北越高では13年全国私学大会ダブルス優勝。16、17年全国総体団体5位。18年全国総体団体準優勝。シングルスでは水沢奈央が18、19年のハイスクールジャパンカップ連覇。中、高国語科教員。日本スポーツ協会公認ソフトテニスコーチ1。
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