
甲子園球場のバックネット裏中段の記者席から、ライト方向でキャッチボールをする選手たちに目を凝らす。だいたいの選手は、背番号が見えないと誰が誰だかわからない。だが、身長194センチ、体重98キロというビッグサイズになれば話は別だ。
菰田陽生(こもだ・はるき)。山梨学院の背番号3をつけた、超大型の新2年生だ。遠目にもはっきりと存在が確認できる菰田は、キャッチボールから低く鋭いボールを投げ込んでいた。
【兄は俊足好打の外野手】
今春のセンバツ開幕前、スポルティーバ編集部から「大会注目の野手を10人挙げてほしい」というリクエストを受けた。プロスカウトが注目する新3年生の好素材を優先的にピックアップしつつ、昨秋にたった1打席しか見ていない菰田の名前も入れてしまった。しかも、昨秋時点で菰田は投手登録の選手である。
菰田を初めて見たのは、昨秋の関東大会1回戦・東海大相模(神奈川)戦。試合途中でリリーフのマウンドに立った菰田に打席が回ってきた。雄大な構え姿からして、不思議な迫力がある。スイングの刹那、バットから爆発音が響き渡る。打球はあっという間にセンターを越えていく二塁打になった。
この1打席だけで「とてつもない原石ではないか?」と思わずにはいられなかった。
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菰田という苗字は、ドラフト候補に詳しい野球ファンには馴染みがあるだろう。2023年にプロ志望届を提出した拓大紅陵(千葉)の外野手・菰田朝陽(現・上武大)。山梨学院の菰田にとっては、3歳上の兄である。
ただし、兄弟でも体格もプレースタイルもまったく異なる。兄は高校時代に身長175センチ、体重71キロとスリム体型の持ち主。50メートル走5秒65という飛び抜けた快足を武器にする、左投左打の外野手だった。
一方の弟は前述のとおり巨体で、投げては最速146キロを計測する本格派、打ってはとてつもない飛距離を見せる右投右打のスラッガーである。弟の陽生は「お兄ちゃんが高校の寮に入るまでは、よく一緒に遊んでいました」と語る。
「鬼ごっこをするんですけど、絶対に追いつけないのでよく泣いてたっす」
小学2年の時点で、兄の身長を抜いていたという。それでも、菰田の動きに大型選手特有の鈍重さがないのは、俊敏な兄と過ごした幼少期があったからなのかもしれない。弟の50メートル走のタイムは6秒4である。
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「体つきは真逆なんですけど、自分はお兄ちゃんの足りないものも持っていると思います。だからお兄ちゃんが持っている足の速さとか、自分も持てるようになったらいいと考えています」
【甲子園デビューは緊張との戦い】
3月20日、菰田は「3番・一塁手」として、初めて甲子園の土を踏んだ。
昨秋までは投手メインだったが、打撃力を見込まれて冬場に一塁守備を練習してきた。だが、「初めての甲子園で緊張してしまって」という菰田は、シートノック中に2球連続でトンネルと盛大な失態を犯してしまう。
試合が始まっても、緊張は解けなかった。高めに抜けたボール球に対して「振りたい思いが強すぎて」とハーフスイングで空振り三振。2打席目は外角のスライダーに手を出し、またもや空振り三振に倒れた。
ここで菰田に救いの手が差しのべられる。ベンチで吉田健人部長から「体が突っ込んでいるぞ」とアドバイスを受けた。菰田は「部長から言葉をかけてもらって、緊張がほぐれました」と振り返る。
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3打席目に立った菰田は、本来の伸びやかなスイングを取り戻していた。しっかりととらえた打球は右中間に飛び、右翼手がファンブルする間に二塁を陥れた。
結果以上に、菰田のフルスイングには見る者の胸を躍らせるエネルギーを感じた。ステイバックでボールを呼び込み、豪快なフォロースルーで振り抜く。まともに当たったらどこまで飛ぶのか。そのスケール感がたまらなかった。
その後も、詰まりながら三遊間を球足の速いゴロで抜くヒットを放つなど、終わってみれば5打数2安打。チームも奈良の名門・天理に5対1で勝利した。
試合後、菰田はホッとした様子でこう語った。
「最初の2打席は中途半端だったんですけど、まずしっかりと振ることが大事だと感じています。当てにいくスイングでは飛ばないので」
高校入学から1年間で放った本塁打数は6本。その本数はこれから自然と増えていくに違いない。菰田によると、練習では山梨学院のグラウンドに建つ高いフェンスを越え、道路に飛び出す推定130〜140メートル級の脅弾も放っているという。
【目指すは第二の大谷翔平】
ただし、本人の強い希望は、あくまでも「二刀流」だ。報道陣から理想の選手像を聞かれた菰田は、迷いなくこう答えている。
「大谷翔平選手みたいになっていきたいです。世界でも二刀流で活躍しているのは大谷選手ひとりだけですけど、自分がふたり目になりたいです」
投手としても「練習試合をとおして、だんだんよくなっている」と手応えを深めている。
甲子園でも24日に行なわれた2回戦の西日本短大付(福岡)戦に4番手として登板し、3イニングを投げて無安打、無失点の好投を見せ、最速152キロを記録した。
山梨学院の指導陣は、菰田の資質をどのように見ているのか。技術指導をする吉田部長に聞いてみた。
「入学当初はバッティングがあまりよくなくて、『でかいだけ』という感じだったんです。本人もピッチャー志望だったんですけど、モノはやはりいいので、教えていくうちにどんどんよくなりました。未完成ではありますけど、あのスケール感はセンバツで優勝した代(2023年)のクリーンアップよりも、もうワンランク上だと感じます」
なお、吉田部長は山梨学院の吉田洸二監督の長男であり、若手ながら勉強熱心な指導者として知られる。横浜高の黄金時代を築いた名伯楽の小倉清一郎さんも、吉田部長について「今まで出会ったなかでも、あれだけ一生懸命にやる子はいないよ。成功してもらいたいね」と語っていたことがある。
菰田が当てにいくようなスイングを見せると、吉田部長は「全部三振してもいいくらいのつもりで振れ」と指導するという。吉田部長は笑顔でこう続けた。
「ソフトバンクの試合を見ると、山川穂高選手が空振りをしただけで、『ワ〜!』って沸くじゃないですか。あのスケール感を求めていってほしいんですよね」
センバツが終わったあとは、本人の可能性を広げるために三塁手を練習するプランもあるという。
菰田が秘める投打の適性について聞くと、吉田部長はこう語った。
「今は二刀流にチャレンジして、投打とも高校生としてトップレベルまで引き上げていけたらと思います。彼はもうひと冬あるので、まだまだよくなる可能性があります。その後のことは、上の世界の指導者の方にお任せしたいと思っています」
菰田の好きな言葉は「陰極陽生」。その理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「もともとは『陰極まって陽生ず』という、一番夜が長い冬至にできた言葉で。長い闇が過ぎれば、明るい日が続く。1回落ちても、また上がれるという意味があります」
菰田は2008年12月21日生まれ。ちょうどその年の冬至に生まれている(冬至の日付は年によって異なる)。といっても「陽生」の名前の由来というわけではなく、後年になって家族が「陰極まって陽生ず」という言葉があることを発見。それ以来、菰田は四字熟語として胸に刻んでいるという。
いずれ、菰田陽生という選手が野球界の太陽となる日が来ても不思議ではない。その日の出を待つ時間すら、野球ファンにとっては希望になるはずだ。