日本国憲法によって日本の伝統は“リセット”された? 上念司氏が語る教科書に載らない戦後史

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2025年03月31日 08:50  日刊SPA!

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※写真はイメージです(以下同)
 敗戦を迎えて80年。戦後の占領政策の最中、実は天皇制や国の枠組みを解体しようという動きがGHQ内部にあった事をご存じだろうか。
 仮にその試みが実現していた場合は、冷戦初期のアジアにおける地政学的な勢力図は大きく変わっていたはずだと指摘するのは、『保守の本懐』を上梓したばかりの作家で経済評論家の上念司氏だ。そんな上念氏が解説する、教科書には載らない「もうひとつの戦後史」とは――。

(本記事は、『保守の本懐』より一部を抜粋し、再編集しています)

◆憲法改正後、天皇の存在はどう変わったのか

 対米開戦からの大東亜戦争。日本はこの一世一代の大ギャンブルに失敗し、敗北しました。その結果、日本は重い十字架を背負わされてしまいました。ポツダム宣言を受諾する唯一の条件として日本政府が提示したのは國體護持。

 しかし、占領軍の中には、その約束を反故にしようとする勢力がいました。トーマス・アーサー・ビッソンやエドガートン・ハーバート・ノーマンなど、GHQ(連合国軍総司令部)に所属していたアメリカ人の一部はソ連の同調者だったのです。

 彼らは、天皇を戦犯として裁き、憲法を改編し、日本の國體そのものを変えようと企んでいました。これは1995年に公開されたヴェノナ文書の研究で明らかになるのですが、もちろんそんなのは後の祭りです。

 しかし、この困難な状況の中で、憲法大臣の金森徳次郎をはじめとした「愛国者」たちは國體護持に尽力しました。

 その結果、大日本帝国憲法第1条から第7条と同じく、日本国憲法でも「第一章 天皇(第1条から第8条)」と置き、立憲民主制の形を維持し、その内容をもってGHQを説得することに成功したのです。

 文体は違えど、統治権の所在以外は基本的に書いてあることは同じです。例えば、「天皇は神聖にして犯すべからず」とは、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と意図するところは同じでしょ? 

◆はるか昔から続く日本人の皇室と天皇陛下への敬意

 そもそも1000年以上前に政治権力を失い、その後は国民のために祈り続ける天皇という存在が、国民の総意なしに存続しようがありません。

 憲法の条文上も天皇と民の関係(君民共治)は守られました。また、手続きの面では、日本国憲法はあくまで大日本帝国憲法の改正手続きに則って成立しています。

 さらに、憲法の条文だけでなく、実際の天皇と民の関係にも変化はありませんでした。皇居の一般参賀などの状況を見れば、いまだに日本人の大多数が皇室と天皇陛下に敬意を払っていることが分かります。

 平成31年、明仁天皇最後の一般参賀に普段の2倍の16万人もの国民が集まったことはまさにその証左と言えるでしょう。

◆日本国憲法に対する右翼・左翼の考え方

 GHQは形式上日本国政府にアドバイスをする権限を持っていましたが、事実上はこの憲法草案に納得し、日本国憲法は生まれたのです。苦労して明治維新を成し遂げた先人たちの精神は受け継がれた。私はそう考えています。

 しかし、右翼的な思想を持った人は、この日本国憲法によって日本は普通の国ではなくなってアメリカの属国になってしまったと言います。彼らが言うには、国の基本権である「交戦権」を放棄したことは、屈辱以外の何物でもなく、それを持たない日本はもはや国ではないのだそうです。

 そして、左翼的な思想を持った人々も同様にこの憲法によって日本では革命が起きてすべてがリセットされたと主張します。8月のポツダム宣言受諾により日本には「実質的な」革命が起こったと彼らは言います。

◆「日本国憲法の制定によって伝統も歴史も断絶した」と主張するワケ

 なぜなら、戦前の「天皇主権(※)」から国民主権にシフトしたことで、「憲法制定権力が移行した」「憲法は国民が制定した」のだそうです。これが憲法学者の宮澤俊義により提唱されたいわゆる「8月革命説」というフィクションです。

(※ちなみに天皇主権というのは「君民共治」を言い換えた左翼用語です。実態をまったく反映していないレッテル貼りですが)

 大変不思議なことですが、右翼も左翼も日本国憲法の制定によって伝統も歴史も断絶したと主張しているわけです。おかしいですね?

 確かに天皇に関する規定にはいくつもの改編がありましたが、国民と天皇の関係(君民共治)には変化がありませんでした。

 それなのに、なぜ伝統がリセットされたと言い張るのか? 革命好きな左翼がそう言いたいのは分かりますが、なぜ右翼までもがそのような妄言を言うのか? もうみなさんその理由はお分かりですよね? 

 答えは、右翼は設計主義というカテゴリーにおいて左翼と同じ思想系統に属するからです。彼らはリセットが簡単にできると思っているからこそ、変わってしまった日本を元に戻そう(復古主義)としているわけです。それもまた革命なのですが、事の重大性が理解できていないようです。

◆日本を分断や崩壊の危機に晒した「敗戦革命」とは?

 大変残念なことに、戦後の占領政策を主導した連合国軍総司令部(GHQ)の一部に共産主義勢力が紛れ込んでいました。彼らは、日本社会を急進的に改革しようとする進歩的な思想を持ち、天皇を廃位させ國體を破壊することを目論んでいたのです。

 実際に彼らは、軍隊を解体し、憲法改正や教育改革、労働運動の奨励などを推進しました。特に、労働組合の組織化や学生運動の活発化は、共産党の勢力拡大を助長し、社会不安をさらに高めました。

 江崎氏は、この「敗戦革命」の動きが、日本を分断や崩壊の危機に晒したと主張します。中でも、1947年のゼネスト(全国的な労働者のストライキ)が成功していたら、本当に革命が起こっていた可能性は高かったと述べています。

 当時、共産主義者たちは、戦後の混乱と社会不安を利用して、資本主義社会の転覆と社会主義国家の樹立を目指していました。

 具体的には、労働運動を中心に広範な大衆を動員し、ゼネストを通じて日本政府の機能を麻痺させることを計画していました。彼らの戦略は、労働者階級の不満を糾合し、経済的混乱を政治的な変革へと結び付けるというものでした。

◆ゼネストはマッカーサーによって直前に阻止された

 1947年2月1日に予定されていたゼネストは、官公労(官公庁労働組合)を中心に計画され、鉄道や電力などの基幹産業を含む大規模なストライキが予定されていました。

 このストライキが実行されれば、交通機関や公共サービスが停止し、国全体が混乱に陥ることは確実でした。共産主義者たちは、この混乱を利用して、労働者階級を中心とした革命的政府の樹立を目指していたとされています。

 さらに、共産主義者たちは、ゼネストの成功を機に全国的な蜂起を誘発し、既存の国家体制を崩壊させる計画を立てていました。この計画は、ソ連をモデルにした一党独裁体制の構築を視野に入れたものであり、GHQ内の一部勢力からの支持を得ることで実現可能性を高めようとしていました。

 しかし、この計画は最後の最後でGHQ最高司令官のマッカーサーによって阻止されます。ゼネストは実行直前に禁止命令が出され、この計画は実行されませんでした。

 マッカーサーはゼネストが日本の社会的・政治的秩序を著しく混乱させる可能性にようやく気付き、共産主義者の思惑を阻止する決断を下したのです。

 江崎氏はもしゼネストが予定通りに実行されていれば、冷戦初期のアジアにおける地政学的な勢力図は大きく変わっていた可能性があると指摘します。本当にその通りです。危なかった。

<文/上念 司 構成/日刊SPA!編集部>

【上念司】
1969年、東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。在学中は創立1901年の日本最古の弁論部・辞達学会に所属。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年、経済評論家・勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立。取締役・共同事業パートナーに就任(現在は代表取締役)。2010年、米国イェール大学経済学部の浜田宏一教授に師事し、薫陶を受ける。金融、財政、外交、防衛問題に精通し、積極的な評論、著述活動を展開している。

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  • 以前広告に騙されて右翼の展示会に行ってしまったが昭和天皇皇后の御真影は裸のまま机上にポイだけど中華人民共和国の毛沢東や人民公社ポスターは壁に額装、呆れたw
    • イイネ!2
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