
世界で3番目に透析患者が多い日本。透析とは、腎機能が著しく低下し、老廃物や余分な水分の排出、電解質バランスの維持ができなくなった際に、腎臓の働きを人工的に代替する治療法だ。
日本で主流の血液透析では、専用の機器で血液を体外に取り出し、老廃物や水分を除去して体内に戻す。その体への負担はフルマラソンに匹敵するともいわれる。透析を始めると、腎移植をしない限り、治療し続ける必要があり、透析を止めれば数日から数週間で死に至る。
ジャーナリストの堀川惠子さんによる本書『透析を止めた日』は、仕事をしながら透析生活を送る夫・林新(はやし・あらた)氏との闘病生活の経験と、林氏の死後に行なった透析患者の終末期における取材の2部構成となっている。
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――第2部は仕事をしながら闘病生活を送るおふたりの生活が描かれていました。
堀川 当時、林はNHKでプロデューサーとして番組制作に携わっており、週に3回、朝6時から4時間、透析に通ってから出社しているにもかかわらず、月に200時間以上残業する生活をしていました。
――それは心配になりますね。
堀川 もちろん林の体調も心配でしたが、同じくらい彼の番組のことも心配でした。というのも、彼は文字どおり命を懸けるほど仕事を大切にしていたので、もしこの瞬間に林が倒れたら、番組が彼の思ったものにはならなくなってしまうという不安もありました。
――堀川さんが出会った頃から林さんは透析患者だったそうですね。
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堀川 はい。なので、最初に自分の病気への向き合い方を反省しました。というのも、私には病を患うという実体験がなく、「病気は治療すれば治るもの」という浅はかな認識でいたんです。
ただ、難病を患う林と出会い、治らないことを前提に生きなくてはならないと悟り、病気をどう治すのかではなく、病気とどう付き合っていくのか、という考え方に切り替えました。
――闘病生活の中で、精神的に苦しい瞬間はありましたか?
堀川 透析中に血圧が下がり、激痛が伴うようになり、透析を止めざるをえないと判断したときです。透析を止めればその先は死しかなく、周囲から医療者も消え、まったく光が見えなくなりました。まるで無人島にふたりぼっちみたいな感覚になりましたね。
しかも、透析患者の死は溺れるようなひどい苦しみを伴うことが多いと聞いていたので、せめて苦痛を和らげて、少しでも穏やかに最期を迎えられるように「緩和ケア」を受けさせたかったのですが、緩和ケア病棟が受け入れるのはがん患者だけだったんです。
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主治医に「がん患者じゃないと入れないことをご存じなかった?」と言われたときのショックは忘れられません。
当時は無知だった自分を責めました。ただ、この間、大阪大学名誉教授の仲野徹先生と対談する機会があったんですが、「僕も知らなかった」とおっしゃっていたし、その後お会いした緩和ケア医以外のお医者さんもほとんど知らなかったんです。
そこで、「そうか、これは構造の問題なんだ」と直感しました。
――構造の問題、ですか。
堀川 誰かの悪意とかではなく、医療制度や慣例などによって、緩和ケア医療ががん患者にしか適用されないということが患者はもちろん医者にも知らしめられていない。
――本の中で書かれている腹膜透析についても、広く知られていないように思いました。
堀川 そうですね。腹膜透析は一般的な血液透析とは異なり、腹部に透析液バッグをつなげて水分や老廃物を取り除く方法で、血液透析と比べると体への作用が穏やかで、自宅や施設でも透析を行なえるのが特徴です。
夫の闘病時、その療法は聞いたことはあったのですが、正直に言うと、腹膜透析は使えない医療って思い込んでいたんです。
腹膜透析は、腹膜が使えなくなってすぐ血液透析になってしまうとか、感染症が多発すると聞いていて。
ただ、後から知ったのですが、それは1990年代の情報だったんです。取材を進めるうちに、海外では透析患者の終末期に、苦痛の極めて少ない緩和ケア的な療法として腹膜透析が非常に評価されているということも見えてきた。
なのに、日本の医療業界では90年代から、情報がアップデートされず、そのまま私たち患者にも伝わっていた。あのとき知っていれば、夫の終末期にも腹膜透析が使えたのではないか、と考えてしまいます。
日本でも最新の知見を取り入れて、地域で医療ネットワークを築いたりして積極的に患者と関わる医師もいますが、そう多くはありません。
情報を持っている側と持っていない側の非対称性、その情報格差がもたらす結末がどれほど違うものかということを夫の最期によって思い知りました。
――今後の日本の医療に期待することを教えてください。
堀川 まず、透析を含め、あらゆる終末期の疾病に対して、緩和ケアが適用されるようになるべきだと思います。
少なくとも先進国といわれる国々を見渡しても、緩和医療をがん患者に限定している国は日本以外どこにもないので、最低限、国際水準にまで引き上げてほしいです。
日本の透析医療は世界でも最先端だといわれるけど、それは透析を回している間だけで、腎移植も件数が少ないし、トータルな腎不全医療としてはとても最先端とはいえない。
透析を始める前も、終えた後も「腎不全」という病を患っている患者であり、医療の支えが必要なのだと今回の取材を通して思いました。
また、日本は医療が細分化されすぎています。各自がそれぞれの分野のスペシャリストになることが求められている上、現場の医師たちは忙しくて、ひとりの患者を診るというよりも、臓器別・疾病別に診ている。
トータルに人間を診るという視点を先生方に持ってもらいたい。そのためには、そうしやすい医療制度を作らなければならないと思うんです。
患者の命を預かる以上、さまざまな診療科や学会が連携したり、情報を共有しやすくするなどして、最期まで患者の命を医療者として見届けるという姿勢を医師たちが持てるようにしてほしいと思います。
患者の側にももっと、自分の病についてさまざまな情報を収集する力が問われています。
■堀川惠子(ほりかわ・けいこ)
1969年生まれ、広島県出身。ジャーナリスト。広島大学特別招聘教授。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で第10回新潮ドキュメント賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』(林新氏と共著)で第23回司馬遼太郎賞、『暁の宇品―陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』で第48回大佛次郎賞を受賞
■『透析を止めた日』 講談社 1980円(税込)
ジャーナリスト・堀川惠子氏による医療ノンフィクション。元NHKプロデューサーの林新氏は10年以上の透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした。妻であり仕事上のパートナーでもあった著者は、彼の透析生活を支え、壮絶な最期をみとった。なぜがん患者以外は「緩和ケア」を受けられず、安らかに死を迎えることができないのか? 自身の体験を基に透析患者の終末期を取材し、国の医療政策に一石を投じる渾身の一冊
取材・文/新海渚沙