※写真はイメージです。 今でこそ誰もが知るような大企業にも創業の頃があり、かつてはベンチャー企業だった。そこから組織を大きく成長させた名経営者たちは、どんな思考で立ちはだかる障壁に打ち勝って、成功をつかんだのだろうか。
真山知幸氏の新著『逆境に打ち勝った社長100の言葉』(彩図社)から一部抜粋・再構成し、名リーダーたちの「成功をつかむ言葉」を紹介していこう。
◆「中小企業の社長になったつもりで考えろ」(井深大)
井深大は1908年、栃木県に生まれたソニーの創業者。優秀な成績で名門中学校に入学するが、その後はテニスと無線に熱中し、留年するほど成績が落ちてしまう。
しかし、無線への情熱は、発明家としての才能を開花させることになる。早稲田大学理工学部の在学中に「走るネオン」を発明し、パリ万国博覧会で優秀発明賞を受賞した。
就職活動では、意気揚々と東芝の面接試験に挑んだ。
「やりたいことはたくさんあります。走るネオンは特許をとりました」
そうアピールしたが、「会社は、好きなことをやれるとはかぎらんよ」と面接官から諭されて、結果はまさかの不合格。そこで、写真化学研究所を経て盛田昭夫らと東京通信工業を設立したのが、ソニーの始まりである。
世界に誇る一大企業を築いた井深が、仕事に悩む部下によく言っていた言葉がこれだ。
「中小企業の社長になったつもりで考えろ」
サラリーマン根性を捨てて、責任感と決断力をもって仕事に当たれば、見える景色も違ってくるだろう。
◆「俺はその日のことはその日のうちに忘れる主義だ」(五島慶太)
東急グループの創始者の五島慶太は、人生の転機を何度か迎えている。
まずは25歳のとき、英語教師の身だったが、官僚を目指すために東京帝国大学法学部へ進学を果たす。農商務省に就職し、鉄道院に勤務した。
2回目の転機は38歳のときだ。官僚を辞めて鉄道業界へと転身。武蔵野電気鉄道の常務を経て、目黒蒲田電鉄の設立に参加した。
その後、池上電鉄、玉川電鉄、京浜電鉄など東京近郊の私鉄を次々と統合。東京西南部全域の私鉄網を傘下に置く「大東急」を築き上げただけではなく、バス輸送、デパート、映画などの事業も吸収してしまった。
強引な経営手法から「強盗慶太」と恐れられた男は、なぜこれほどまで人生の局面で大胆な転身を図れたのか。その理由が次の言葉だ。
「俺はその日のことはその日のうちに忘れる主義だ」
成功も失敗も忘れ去ることで、新たな局面が生まれる。
◆「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間だ」(カーネル・サンダース)
「カーネルおじさん人形」でよく知られている、カーネル・サンダース。
農場の手伝い、鉄道会社の車掌、弁護士(実習生)、保険外交員、秘書、ランプの製造販売、タイヤのセールスマン……など、若い頃に体験した職は数知れず。ケンカをしては職場を追い出されて、転職する日々だった。
雇われの身だと、どうにも仕事が長続きしないので、30歳のときに独立。ガソリンスタンドの経営に乗り出すと、持ち前のサービス精神を存分に発揮した。
無料で車内の掃除をし、タイヤの空気もチェック。長距離ドライバーが宿泊できるように、モーテルまで併設した。さらに腹を空かせたドライバーが多かったので、カフェを作ってチキンを調理したことが、後のケンタッキー・フライドチキン(KFC)の原点となる。
大不況やハイウェイ建設による経営難もあれば、火事で店が焼けてしまったこともあった。どんな苦難に襲われても、カーネルがいつでも顧客第一を貫いたのは、次のような思いがあったからだ。
「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間だ」
顧客サービスを徹底すれば、必ず道は開ける。そう考えたカーネルが、本格的にチキンで勝負することを決意したのは、65歳のときだった。
◆「言われのない社会通念や古い意識を変えるときや」(高原慶一朗)
高原慶一朗は1931年、愛媛県生まれ。大阪市立大学商学部を卒業後に関西紙業に入社。29歳で大成化工(現:ユニ・チャーム)を設立し、建材板紙の製造販売を行った。
転機が訪れたのは、起業して2年後のこと。アメリカ滞在中に、生理用品が堂々と販売されているのを目の当たりにした高原は、日本の意識がいかに遅れているかを実感。男性社員の猛反発を受けながらも、生理用品の取り扱いに踏み切った。商品開発のために、高原は自ら生理用品を装着して寝ていたという。
苦しむ女性のために――。その思いは、子どもや高齢者にまで広げられ、ユニ・チャームは生理用品・ベビー用・大人用紙おむつにおいて、シェアNO・1を誇る企業へと成長している。
社員が去っていっても信念を貫いた高原の言葉がこれだ。
「言われのない社会通念や古い意識を変えるときや」
金儲けだけではビジネスはつまらない。世の中の役に立ちたいという強い思いが、未知なる市場を開拓させる。
◆「ソーシャルニーズを市場化する」立石一真(オムロン)
立石一真は1900年、熊本県生まれ。熊本高等工業学校電気科を卒業後、兵庫県庁を経て電機メーカーへ就職するが、経済恐慌でリストラが実施される。希望退職が募られると、30歳の立石は応じることを決断した。
独立した立石は、ズボンプレスやナイフ・グラインダーなど自分が考案した商品を売り歩いて、苦しいながらもなんとか日銭を稼ぐ。苦難の時代から抜け出すきっかけは、同級生から持ちかけられた「レントゲン写真撮影用タイマ」である。
立石は早速、試作品を作ると、大口の注文を受けることができた。オムロンの前身にあたる立石電機を創業したのは、勤め先を辞めてから3年後、33歳のときである。
1960年には「無接点近接スイッチ」の開発に世界に先駆けて成功。ATMや自動改札など無人駅システムも立石電機の技術によるものである。
高度な新技術で人々の生活を変えた立石が、よく言っていた言葉がこれだ。
「ソーシャルニーズを市場化する」
社会が何を必要としているか。いち早く感じてマーケットに落とし込むこと。
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『逆境に打ち勝った社長100の言葉』の「第4章 成功をつかむ言葉」から5人の経営者の言葉をピッアップした。本書は、そのほか「第1章 苦境を越える言葉」「第2章 発想を変える言葉」「第3章 人を奮い立たせる言葉」「第5章 己を信じる言葉」と、ジャンル別に経営者の言葉が収録されている。
逆境にぶつかったときにこそ、リーダーの真価が問われる。時代を創った経営者100人の名言から、成功をつかむためのビジネスの思考法を、ぜひインストールしてほしい。
<文/真山知幸>
【真山知幸】
伝記作家、偉人研究家、名言収集家。1979年兵庫県生まれ。同志社大学卒。業界誌編集長を経て、2020年に独立して執筆業に専念。『偉人名言迷言事典』『逃げまくった文豪たち』『10分で世界が広がる 15人の偉人のおはなし』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』など著作多数。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は累計20万部を突破し、ベストセラーとなっている。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などで講師活動も行う。最新刊は『逆境に打ち勝った社長100の言葉』