南キラさん 小麦色の肌の全身に入る刺青が印象的な女性だ。南キラさんには、黒ギャル系のセクシー女優として名を馳せた過去がある。まだ色が入っていないものの、背中一面には慈母観音が彫られている。なぜこれを彫ったのか、本人の口から語ってもらおう。
◆家出少女だった中学生時代
――過去にはセクシー女優として活躍され、現在はさまざまな被写体として活動の場を広げている南さんですが、遡るといろいろなヤンチャを経験してきたと伺っています。
南キラ:そうですね。若いときは、「どうして大人の言うことを聞かなければならないのか、わからない」というのがずっとありました。両親もそんな私にかなり手を焼いたと思います。
――具体的にはどんなヤンチャをされていたのでしょうか。
南キラ:私は5人きょうだいの4女なんですが、姉たちはわりとパンク系で。私だけギャルだったんです。中学生のときは、いわゆる家出少女でしたね。夜中に同じような仲間とたむろするのが神社とかで。そんなことをやっているうちにバイク窃盗がバレたり、神社の社殿に入ったことで建造物侵入などの罪で家庭裁判所に送られました。
――結構重めの非行ですね! ご両親もかなり心配されたのではないかと思います。
南キラ:迷惑をかけたなと今は思います。途中から両親も見守りの姿勢になっていて。家庭裁判所の少年審判では、「児童自立支援施設に送致するか、お寺に預かってもらうか」みたいな話が出ました。その後、廣中邦充さん(浄土宗西居院第21代目住職)という、有名な住職の講演を両親と聴きに行ったんです。ほとんどその場で、預かってもらうことが決まったように記憶しています。
◆“やんちゃ和尚”のもとで集団生活を学ぶ
――廣中邦充さんは“やんちゃ和尚”と呼ばれ、ご自身も非行少年だった過去があり、同じような境遇の子たちの更生を担ってきた有名な方ですね。廣中さんのお寺での生活はいかがでしたか。
南キラ:地元を離れて愛知県のお寺に2ヶ月ほど預けられ、その後2ヶ月を地元に帰って過ごし、また次の2ヶ月はお寺に行って……という生活を、14歳の頃から2年ほどしていました。お寺では集団生活を学びました。たとえばゴミ出し、料理、掃除、洗濯などが当番で決められていて、当時料理などまったくしたことのなかった私が料理を覚えたのは、廣中さんのところでした。
廣中さんなんて呼んでいますが、当時私は「おじさん」と呼んでいました。また、講演の際に廣中さんも「おじさんのところへおいで」と気さくに言ってくださるなど、懐の深い人でした。残念ながらおじさんは2019年にがんで亡くなりましたが、多くの人を正しい道に導いた方だったと思います。修行を積んだ偉い住職の方のようですが、そんな素振りは見せず、お寺の子どもたちに平等に優しく接してくれました。
◆「恋愛禁止」ルールを破ってしまい…
――どのような人たちが廣中さんのもとを訪れるのでしょうか。
南キラ:やはり何かしらの問題を抱えている子が多かったように思います。私のように犯罪行為に手を染めた子もいれば、不登校や引きこもりのように社会と合わないことに悩む人も多かったと思います。また、お寺に住み込みをする人もいましたが、定期的に通っておじさんと話すことで救われるという子もいました。
――一筋縄ではいかなそうなお寺ライフですね。
南キラ:そうですね。私もよく怒られていました。一番問題になったのは、お寺は「恋愛禁止」なのですが、私が住人と恋愛関係になってしまったことでしょうか。私は当時14歳くらいで、相手は25歳でした。もちろん肉体関係などはないのですが、音楽の趣味が合うことから互いに惹かれ合って。メールのやり取りから発覚しました。きつく怒られましたね。ただ、お寺を出てから結婚した人たちもいるので、基本的にみんな仲が良かったような気がします。
◆「慈母観音の刺青」で表現したのは…
――刺青はいつ頃入れるのでしょうか。
南キラ:刺青は18歳になったときですね。もともと仲の良い男子の影響などもあって、中学生のころには将来的に入れたいと思っていました。自分で針に墨をつけて彫ったりしていたんです。最初の刺青は、自分で描いた拙いハートの刺青をカバーアップするために彫ったヘビの模様でした。
――南さんの身体に彫られているなかで印象的なのは蝶々が多いことですよね。
南キラ:蝶々の刺青は輪廻転生を意味すると言われていて、私の生まれ変わりへの願望を意味しています。今の人生を後悔しているわけではないのですが、生まれ変わったら、看護師である母のように医療従事者として社会に貢献できるような人間になりたいと思っているんです。
――過去には迷惑をかけてしまったけれど、尊敬をしているということですね。それから、背中の慈母観音も目を引きますよね。
南キラ:この慈母観音は、おじさんに対しての「ありがとう」と「ごめんなさい」を表現したものです。荒れていた当時の私を寛大な心で受け止めてくださって、フラットに接してくれた廣中さんがいたから、私はとことんまで堕ちることなく生きてこられたと思います。けれどもおじさんが亡くなったことがショックで、それが受け入れられず、しばらくは非行をやめることができませんでした。それは私の弱さのせいですが、面と向かって謝れない今、身体に彫ることで表現したんです。
◆和尚の息子さんと久しぶりの再会
――現在はお寺との縁は切れてしまったのでしょうか。
南キラ:いえ、ありがたいことに、昨年廣中さんの息子さんにお目にかかることができました。当時は「お兄ちゃん」と呼んでいて、おじさん同様私みたいな人間に対しても優しくしてくれた人です。あのころ、金髪でショートカットだった私を「ガッシュベル」(『金色のガッシュ!!』(小学館))と呼んでくれていたのですが、会ったときも当時に戻ったお兄ちゃんをみて、なんだか安心しました。
――今後、南さんはどのような展望をお持ちですか。
南キラ:現在はフリーランスで被写体をやっているので、主にモデル業を通じて社会に貢献できればと思っています。家族も、最初は「裸のいやらしい仕事」と捉えていましたが、現在は芸術のひとつとして理解を示してくれています。誰かと一緒にひとつの作品を作っていくのが好きなので、物づくりに携わることはこれからも続けていこうと思っています。
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エネルギーを持て余し、非行に走った過去。南さんにとってひとりの神職との出会いが人生の転機となった。正しさの押し付けではなく、一緒に人生を迷うことから始める大人の存在は、当時の彼女の心をどれほど救ったか。南さんは人生の恩師の生き様を刻んで、これからの人生を駆け抜ける。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki