
西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第43回 パウ・クバルシ&イニゴ・マルティネス
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今回は、現在ラ・リーガの首位に立つバルセロナで、際立って高いディフェンスラインを敷くセンターバック(CB)コンビ、パウ・クバルシとイニゴ・マルティネスを紹介します。
【ハイラインの復活】
今季のバルセロナはとにかくディフェンスラインが高い。ハンジ・フリック監督が導入したハイラインは、ゾーナル・プレッシング戦術の初期にミランが設定して以来の高さである。
ハイラインを復活させたのは機械導入による判定精度向上と関係があると思うが、それにしてもあそこまで高いラインにした理由は、おそらくバルセロナというクラブの伝統がひとつと、あとはフリック監督の志向性だろう。
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ハイラインの戦術的なメリットは攻撃側が使えるフィールドを圧縮、制限することにある。一方で、ディフェンスラインの背後には広大なスペースが残るので、そこをオフサイドゾーンとして使わせないようにしなければならない。そうでなければハイラインのデメリットがメリットを上回ることになってしまう。
運用の原則はボールホルダーにプレッシャーがかかっているか否か。ボールをラインの背後に余裕をもって供給できる状態かどうか。プレッシャーがONならばラインは上げる、OFFならば下げる。これが基本的な動かし方。ON、OFFの状態の見極め、ボールホルダーに本当に余裕があるのかないのかも含め、ディテールはさまざまだけれども、原則はプレッシャーのON、OFFによってラインを揃えて上下させていく。
この守備戦術のパイオニアだったミランのアリゴ・サッキ監督はラインコントロールを「無言」で行なうことを強調していた。現在はべつに驚くことではないが、1980年代のラインコントロールは誰かが「上げろ」「下げろ」と号令することが多かったのだ。無言で行なえるのは上げ下げの原則をDF全員が理解しているからで、それなしには機能しない。
ただ、これは基本中の基本にすぎず、実際には原則だけでは掬(すく)えない状況にいかに対処するかが問われる。バルセロナのCBコンビ、パウ・クバルシとイニゴ・マルティネスには例外への対処が見られる。
【原則の逆を行くクバルシ】
ディフェンスラインはプレッシャーがONなら上げる、OFFなら下げるが原則だ。しかし、クバルシはOFFの場合でもポジションを上げてオフサイドをとっている。原則を外して個人の判断でオフサイドトラップをかけているのだ。
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クバルシがそれをやる条件は状況を完全に把握していること。ボール、相手FW、味方DF。この3つの状態を見極めていないといけない。
まず、オフサイドにする相手FWが自分の前にいること。CB間に入った相手はボールから遠いほうのCBがウォッチする。自分の背後にいるFWは見えないので対象外で、オフサイドトラップのターゲットにもできない。
次に味方のラインが揃っているのを確認できること。自分はオフサイドにかけたつもりでも、他の選手が後方にいればオフサイドにならない可能性があるからだ。
そしてボールホルダーの状態。裏に蹴ってくると予測できること。蹴るとわかりきっていてタイミングも予測できれば、プレッシャーがOFFであっても相手と味方を見ていればオフサイドにすることはできるわけだ。
ボールホルダーへのプレッシャーがOFFなのだからラインの動きは後退している。そして自分の前にいる相手FWが裏へ走ろうとしている。原則からすると、DFは裏をとられないだけの距離をとっておくべきである。しかし、バルセロナの場合は競走に確実に勝てるほど距離の余裕をとっていない。CBのスピードに自信があるからだと思うが、例えばレアル・マドリードのキリアン・エムバペと競走して勝てるDFはほとんどいないだろう。
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しかし、レアル・マドリードと対戦してエムバペと対峙したクバルシは後退局面でもあまり距離の余裕はとっていなかった。その代わり、ことごとくオフサイドに仕留めた。
エムバペは単純に直線的な動きで裏へ出ようとはしていなかった。弧を描くように、少しだけ自陣方向へ下がりながら飛び出すタイミングを調整している。これは直線的に走ってオフサイドにならないため、パスを出す味方とのタイミングを調整するためである。
2002年日韓W杯で日本代表の指揮を執ったフィリップ・トルシエ監督は、ラインコントロールを当時のDF陣に叩きこむと同時に、攻撃陣には膨らむ動きでオフサイドを回避するよう指導していて「ウェーブ」と呼んでいた。エムバペが行なったのはこのウェーブだ。
ところが、エムバペがウェーブをすると、クバルシも同じように弧を描くような動き方で対応した。そして最終的にはエムバペが裏へスプリントした瞬間にオフサイドを取れると判断し、体を斜めに傾けたまま後退を減速してオフサイドをとっていた。
クバルシはスピードがあり守備範囲が広いという点で、ハイラインを任せるのにうってつけのCBだ。しかし、エムバペと速さで勝負するのはさすがに分が悪い。だが、オフサイドにしてしまえば競走するまでもない。クバルシのオフサイドトラップはリスキーではあるが、高速FWの最大の武器を無効化した点で意義は大きかった。
【ラインを離脱するイニゴ・マルティネス】
ミランでサッキ監督がプレッシングという新戦術を導入した当初、「バレージは劣等生だった」と述懐している。フランコ・バレージは守備の重鎮、プレッシングとラインコントロールの象徴ともいうべき存在だったので、呑み込みが悪かったというサッキの発言は意外に思ったものだ。
当時、キャプテンのバレージは27歳。CBを組んだアレッサンドロ・コスタクルタは21歳、左サイドバック(SB)パオロ・マルディーニは19歳だった。右SBマウロ・タソッティはバレージと同年齢だったが、素直にサッキ流を吸収した若手と違って、バレージは経験がかえって邪魔になっていたのだろう。ラインコントロールの呑み込みが悪いということは、他の選手と高さが揃わなかったからだ。バレージだけ後方にいたのではないかと想像できる。
バレージは危機察知能力が抜群だった。いち早く「オフサイドにならない」と感知して裏のスペースをカバーする能力は鬼気迫るものがあり、左CBなのに右SBのカバーまで行なっていたものだ。この予知能力と反応の速さが他のDFとラインを揃えるにあたって邪魔になっていたのだろう。しかし、サッキ流に順応してからは、むしろバレージの能力にチームが助けられることになった。
クバルシは18歳、イニゴ・マルティネスは33歳。コスタクルタとバレージの関係に近い。クバルシはハイラインの申し子だが、イニゴは経験でハイラインのバグをカバーしている。
バルセロナはプレッシャーOFFの後退局面でも、あまりFWとの距離に余裕を持たない。FWの能力とパスが出るタイミングしだいでは裏をつかれる危険はあり、実際それで失点もしている。2列目からの飛び出しという、ハイラインの弱点を突いてくるチームもある。イニゴはそれらの被害をある程度にとどめる役割を果たしている。
危ないと感じたら、単独でラインを離脱して後退している。強気に下げないクバルシとは対照的だが、イニゴの好判断で失点を免れる場面もかなりあるのだ。
ちなみにトルシエ監督は後退時の相手FWとの距離を3メートルに設定していた。これだけあれば競走になっても大丈夫ということなのだが、セーフティーすぎてFWの足下に簡単にクサビが入ってしまう欠点があった。バルセロナの後退時の距離感はもっと短い。それだけ裏のリスクを負っている。クバルシとイニゴの個の力でカバーしているとはいえ、それでもリスキーなのは確かである。
ただ、バルセロナは伝統的に攻撃するチームであり、それはクラブのアイデンティティにも関わっている。いわば背水の陣を敷いたようなもので、攻撃への傾斜をより鮮明にしているわけだ。今季ここまで30試合83ゴールはラ・リーガでダントツ。リスクを負っただけの成果は出ている。
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