
Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由
FC町田ゼルビア ドレシェヴィッチ インタビュー 前編
Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回はFC町田ゼルビアのDFドレシェヴィッチをインタビュー。Jリーグに来た経緯、ここまでプレーしての日本サッカーの印象を語ってくれた。
中編「ドレシェヴィッチが語る少年時代のストリートサッカー」>>
後編「ドレシェヴィッチが明かすシーズン中の断食期間」(4月12日掲載)>>
【異なる環境やフットボールを経験してみたかった】
惜しくも歴史的快挙は達成できなかったが、昨季のFC町田ゼルビアはJリーグでもっとも大きな注目を集めたクラブのひとつだった。1部リーグ初挑戦のチームが序盤から首位に立ち、そのまま優勝すれば世界でも稀に見る大記録が樹立されるところだった。残念ながら終盤に失速しそれは叶わなかったけれど、プレースタイルから異色の指揮官、"天空の城"と称する本拠地まで、様々な形で日本サッカー界に話題を提供した。
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そんなチームを支えていたのは、リーグ最少失点をマークした堅守だ。水も漏らさぬ3バックの一角には、昨季開幕前に加入したスウェーデン出身の元コソボ代表DFがいる――イブラヒム・ドレシェヴィッチ、現在28歳の守備者だ。
アルバニア出身の父とモンテネグロ生まれの母のもと、北欧に生を受け、母国のエルフスボリでキャリアを歩み始め、オランダのヘーレンフェーンを経て、トルコのファティ・カラギュムリュクでプレーしていた彼に、J1に昇格したばかりの町田から白羽の矢が立ったのは、2023年暮れのことだった。
「ハラさん(町田のフットボール・ダイレクターを務める原靖氏)がイスタンブールまで来てくれて、いい話を聞かせてくれたんだ」とドレシェヴィッチは当時を振り返る。
「町田はJ1に昇格したばかりで、さらにいいチームを築こうとしていると。すごく真剣だったし、とても魅力的で野心的なプロジェクトに感じた。初挑戦のJ1で、優勝やAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場を狙うと言っていたんだ。僕は自分の成長のためにも、異なる環境やフットボールを経験してみたかった。それもあってこの話を受けた時、すぐに日本行きを決心した」
とはいえ、それまで日本に来たことはなかったし、Jリーグについてもほとんど無知だった。ドレシェヴィッチはオフの時、フットボールをあまり見ないし、Jリーグの試合は観戦したことがなかった。見るよりもプレーを好み、オフの時間は家族――妻とふたりの小さな子ども――と過ごすことが多いからだという。
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だからプレシーズンにチームに加わると、待っていたのは驚きの連続だった。
【日本人選手が抜群に優れている点】
「新しいチームメイトのレベルが想像以上に高くて、びっくりしたよ。動きが俊敏で判断は速くて正確、優れたテクニックも備えている。シーズンが始まると、それは仲間だけではなく相手も同じだということがわかった。全体的なレベルは、トルコのリーグよりもずっと高いと思う。最初は慣れるまでに時間がかかったよ」
なかでも一番の衝撃だったのは、日本人選手の規律だという。ドレシェヴィッチは続ける。
「規律に関しては、日本人選手は抜群に優れていると思う。他国の選手とは比較にならないほどに。ここの選手たちは、黙々とハードワークし、不平を言う人はいない。ヨーロッパでは、不満をこぼしたり、文句を言ったり、言い争いをしたりする選手もいるからね」
ドレシェヴィッチが驚いたのは、日本のサッカーだけではない。人々や文化にも、いい意味でサプライズがあったという。
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「日本のことは安全で清潔なんだろうと思っていたけど、実際に生活してみると、想像以上だったね。選手と同じく、社会には規律があり、物事は的確に運営されている。たとえば道路は交通量が多いのに整然としていて、事故は少なそうだ。僕が日本に来る前に住んでいたトルコでは、2車線のところを4列で走っていたりすることもあったくらい。それ以外にも、日本では電車やレストランなどでも、すべてがスムーズに回っている。きっと、日本人の他者を敬うところが、こうした社会を実現させているんだと思う。
また人々はとても親切だよね。道に迷った時には、誰かが必ず助けてくれ、一緒に付き添って途中まで歩いてくれたこともあった」
ただそれは、ドレシェヴィッチにとって珍しい体験だったようだ。何か裏があるのではないかと、訝ってしまうほどに。
「そんな風にいつも人によくしてもらったことはなかったので、最初は少し疑ってしまったよ。演技をしているのではないかなとか、本当は何か別の意図があるのではないかなとか。でもじきに、それが多くの日本人に備わっている親切心と他者への敬意だとわかった。妻とふたりの小さな子どもがいるので、優しい人々が多い安全な国で生活できて本当によかった」
【Jリーグでもっとも手を焼いた選手は?】
大切にする家族のサポートもあり、1年目の最初からレギュラーとなり、町田の躍進に不可欠な存在となっている。186センチ、84キロと大柄ながら、軽快なステップで素早く相手に寄せ、自由を奪う。競争にも空中戦にも強く、バルカン半島にルーツを持つ選手らしく、ボール扱いも巧みだ。
そんなドレシェヴィッチがJリーグで対戦したなかで、もっとも手を焼いた選手は誰か。
「レオ・セアラはオールラウンドなストライカーで、対応に苦労したよ。それからアンデルソン・ロペス、大迫(勇也)、宇佐美(貴史)も優れたアタッカーだね」
では対象をこれまでのキャリア全体とすると、誰になるのだろうか。
「(2019年11月に)コソボ代表の一員として対戦したイングランドには、ハリー・ケインとラヒーム・スターリングがいた(結果は0−4)。どちらもすごい選手だったけど、スターリングは(マンチェスター・)シティでプレーしていた頃の全盛期で、ものすごくキレがあった。
カタールW杯予選では、スペインと同じグループに入り、ホームとアウェーで対戦した(結果は1−3と0−2)。ホームゲームでは中盤に入ったので、セルヒオ・ブスケツとやり合うこともあったけど、まったくボールに触らせてもらえなかったよ。文字どおり、アンタッチャブルな選手だ。プレスにいけばかわされ、待っていれば展開されるので、手に負えなかったな」
中編「ドレシェヴィッチが語る少年時代のストリートサッカー」へつづく>>
ドレシェヴィッチ
Ibrahim Drecevic/1997年1月24日生まれ。スウェーデン・リッラ・エデット出身。エルフスボリのユースチームから2016年にトップチームへ。2019年にオランダのフェーレンヘーンへ移籍して活躍。2022年からはトルコのファティ・カラギュムリュクで2シーズンプレー。2024年からFC町田ゼルビアでプレーしている。ユース年代ではスウェーデン代表を選択していたが、A代表では2019年にコソボ代表でのプレーを選んだ。